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断章『手紙の魔女と少年Ⅱ』

 その酒場の喧噪は、耳を聾するほどだった。

 酒場を埋め尽くす団体客。三十人ばかり。いかにも粗野な集団だ。

(うっせー)

 アンバーは思わず、舌打ちをした。

 麦金色の髪を二つに編みこんでいる。

 野宿を連発した末に、やっととれた宿なのだ。勘弁してほしい。

 奮発して注文したスタウトシチュウがなかなかの美味なのが、台無しだ。


 団体客たちが声高に話している内容は、盗む、奪う、犯す──彼らの品のない武勇伝の羅列だった。場末も場末で、宿賃も安い。客待ちの花売り女たちがテーブルの間を踊るように歩いている。もとより治安の良くない酒場だろうけれど、団体客を恐れて他の客はほとんどいなくなっている。

(だる。とっとと食べて、はやく寝よう)

 すっかり夜も更け、団体客たちは強かに酔っていた。


 ある者は女を連れ込んで、宿屋に消えていった。

 ある者は仲間同士の喧嘩に始末をつけられずに、酒場から追い出された。

 ある者は床で眠り、正体をなくしている。


 そんな中、アンバーに話しかける男が現れた。

 酒ばかりを喰らう団体客をよそ目に、アンバーが三杯目のスタウトシチュウを注文したところだった。


「よう、ねーちゃん。いくらだ?」


 何が、とも。何を、とも。

 すべてを省いて放たれた不躾な問いかけを、酔っ払った男が放つ。

 舐めるようにアンバーの胸元を値踏みしている。

 少し猫背気味にシチュウを啜っているアンバーは、これ見よがしに溜息をついた。金麦色の前髪が、表情を隠している。


「よせよ、もうすぐデカいヤマだろうが」

「だからだよ、景気づけだぁ」


 諫める仲間をあしらって、酔っ払いはアンバーに酒臭い息を吹きかける。

 男の粘つく視線は、アンバーの隣に座っているジィナにも絡みついていた。

 ジィナ──イカイ製の人型自律キカイは、旅に汚れたモッズコートを羽織ったままで酒場の喧噪をぼんやりと眺めている。料理に手を付ける様子もないジィナは、男のことも徹底的に無視をしていた。

 男は苛立ったように声を荒げる。


「なあ、おい。いくらだって聞いてるんだがぁ?」


 彼らが仲間内で占拠している居酒屋である。

 女の二人連れが自分たちに臆することもなく平然とした顔で食事を続けているのが、面白くなかったのだろう。アンバーとジィナを二人まとめて、春をひさぐ商売女に見立てて揶揄をしてやった、というわけだ。

(……うざすぎ)

 しつこく食い下がる男に、アンバーがシチューを食べ終わったついでとばかりに呟いた。


「非売品でーす」

「なっ!」


 明らかに馬鹿にした声色だ。

 男が恥辱に顔を赤く染め、アンバーを殴りつけようと拳を振りかぶる。

 ──その、瞬間。


「ぐっ!?」

 

 どっ、と鈍い音をたてて、アンバーに絡んでいた男が膝をついた。

 喧噪の去った酒場の数少ない見物人がどよめく。いや、思わぬ大立ち回りの予感に、歓声をあげた。

 やれやれ、とアンバーは肩をすくめる。

 手紙屋稼業を生業としているが──慰謝料とかも、嫌いじゃない。

 アンバーが楽しげに笑う。


「ジィナ、手が早いよー」

「アンバーの口が悪いせいです。煽るな危険」

「煽ったつもりはないけどねー」


 苦痛に唸る男が立ち上がろうとするのを、踏みつけて阻止しながら会話を続けるジィナに「手加減しなよね」と釘を刺す。

 ──その後も男は、仲間を呼んだり、あまつさえ刃物や銃器まで取り出したりしてアンバーに襲いかかってきたけれど、あえなく返り討ちにされた。

 しん、と酒場の喧噪が静まりかえる。

 ジィナの身のこなしと、いくつも所持している暗器。

 多少は荒事に慣れた男たちを退かせるのには、十分な理由だった。


「けっ、白けた」

「行くぞ、馬鹿。乳臭い素人のガキなんざ、もうすぐいくらでもヤれる」


 捨て台詞とともに、男たちが酒場をあとにする。

 酒場の店主にせっつかれて、革袋ごと金を払うハメになっていたのは愉快だった。壮年の店主が、ほくほく顔でアンバーたちに声をかけてきた。


「いやあ、お嬢ちゃん強いね。胸がすっとしたよ」

「ジィナはちゃんと手加減をしました」

「はっはは! いいねぇ、気に入った」


 あの団体客は、どうやら数年前からこの街に居着いているゴロツキらしい。

 周辺の小規模な街や集落、行商隊をねらった略奪行為をしては、この店で酒池肉林の馬鹿騒ぎを続けているらしい。


「まあ、こっちとしても、その、あいつらの落とす金が命綱でさ……」


 店主が口ごもって、床に視線を落とす。

 確たる証拠もないからと、彼らの暴虐を放置しているらしい。


「どうだい、よかったら今日の食事代はご馳走させてくれ」


 取り繕ったような明るい声で、店主が両手を広げた。

 アンバーは、思わずジィナと顔を見合わせる。


「……悪いけど、遠慮しとくよ」


 ご馳走してもらう元手の出所が、あまり気持ちのよいものではなさそうだ。


「そ、そうかい」


 それきり、店主も黙ってしまう。

(あーあ、せっかく美味いスタウトシチュウだったのに)

 アンバーは心の中で嘆いた。もう何日かは、手紙の募集をせずにこの宿でノンビリ過ごすのもいいかと思っていたのに。金払いのいい客の手紙を運んだばかりで懐に余裕があるし。

 魔女というのは、収入が不安定なのである。

 さて。黙り込んでしまった店主をじっと見つめて、ジィナが囁く。


「アンバー、ご店主が黙ってしまうと気まずいですね」

「うん。ジィナのその発言で、余計に気まずさが加速しているねー」


 アンバーは「こんにゃろー」とジィナの頬をつまむ。


「はひふひゅんでひゅひゃ、ほーひょふひゃんふぁい」

「失礼、なんて?」

「暴力反対、と言ったまでですが」


 きょとん、と首を傾げる人型自律キカイであった。


 兎にも角にも。

 あまり長居をしたい集落ではないな、とアンバーは思った。

 運ぶべき手紙を預かって、さっさとお暇するのがよさそうだ。


「ご店主。この村に手紙飛脚が入り用の人はいないかな」

「手紙……? 郵便か」

「まあ、かつての帝国の郵便網のような仰々しいものではないけれどねー。いつでもどこでも、手紙を運ぶアンバーさんだよ。仕事の口をさがしてるんだ」

「ふぅん」


 店主は気のない返事をする。


「このあたりに、手紙なんてたいそうなもんを送る習慣はないぜ。商家だって、使いの小僧でもやって言づてして済ませちまう」

「そうかい」


 この分だと次の旅に出るのは、骨が折れるかもしれない。






 ──アンバーの予想通り、スタウト・シチュウの宿に逗留してから数日……手紙屋への依頼は一件もこなかった。



 このまま二度寝してしまおうか、そう思ったとき。

 しんと静まりかえった宿に、か細い女の声が響いた。

 アンバーの借りている部屋には、鍵もない。

 きぃ、と蝶番が軋んで、声と同時に女が入ってきた。


「あの……手紙を、届けてくれるんですか?」


 花売り女だった。

 この宿で商売をしているのだろう。見覚えのある顔だ。

 先日、一階の酒場を占拠していた男たちにいいようにされていたのを覚えている。

 くすんだ赤髪が特徴的だ。 

 とうに娘とは呼べない年齢に見えるけれど、悪くない見目をしている。

 万が一の襲撃に備えて身構えていたジィナが、モッズコートに忍ばせた銃器から手を離す。

 アンバーは花売り女に微笑んだ。


「うん、いかにも。貼り紙を見たのかな?」

「手紙の魔女は、いつでも、どこへでも……手紙を届けてくださるのですね?」


 切羽詰まった様子の女が、何度も念を押す。

 アンバーは悠々と頷いて、麦金色の髪束をもてあそぶ。


「ああ、だって私は──」


 魔女の手紙屋だから。

 アンバーは改めて、そう名乗った。


「ああ、本当に……!?」


 疑うでも、訝しむでもなく、花売り女は瞳を潤ませた。

 もっと若い頃には高値のついた女だったのかもしれないな、とアンバーは思った。


「わ、たし、聞いたことがあります。手紙の魔女様! 宛所がわからずとも、必ず無事に手紙を届けてくださる、不思議な旅人の噂……」

「いかにも、私のことだねー」


 アンバーは大仰に頷いた。

 赤毛の花売り女が、ぐっと身を乗り出す。


「どうか」


 掠れた、けれども決意のこもった声。

 その瞳には、先程まではなかった意志の炎が宿っている。


「この手紙を、かならず無事に《・・・》届けてください」

 

 アンバーは、花売り女に握らされたボロボロの封筒と硬貨の詰まった革袋の重みを感じた。この手紙は、とても、重い。


「あの人たちは、ボーキョー川を跨いだ向こう岸の村を襲う計画を立てています。ああ、ひどい、全部奪って、皆殺しに、しようと、」

「……っていうと、イカイからの植民村だったところだね」


 アンバーの問いかけに、花売り女は頷いた。

 厄災戦役で放棄された植民村を元に作られた集落は多い。住人には少なからずイカイにルーツを持つ住人もいるため、野盗に襲われた際には残酷な結末──たとえば、復讐を避けるための皆殺し──を迎えることが多かった。

 あの人たち、というのは数日前に酒場を占拠していた一団だろう。

 ボーキョー川は遠くない位置にある。

 すでに略奪が行われていても、おかしくない。


「──この手紙を、無事に届けてください」


 花売り女は、おそらく全財産であろう硬貨をなげうって願った。

 手紙を届けてほしいと──いや、この手紙を受け取るべき相手が、無事に生きていてほしいと。

 アンバーは「ふむ」と顎に指をあてる。


「本来は、手紙の受取主の生死は保証していないけれど……」


 けれど、断るわけにはいかないだろう。

 なぜって、アンバーの相棒が──イカイ製の人型自律キカイ、ジィナが落ち着かない様子で銃器を弄んでいる。ジィナが呟く。


「ボーキョー川の、ほとりの村」

「行こうか、ジィナ」


 アンバーの相棒が頷く。ボーキョー川のほとり。

 それはかつて、少女様式の人型自律キカイ──ジィナが放棄されていた場所だった。



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