「危険な街?」
息を切らせ、走る姿があった。
愛用の赤い槍をギュッと握りしめながら、灰色の長い髪を遠慮なく振り乱す。
――魔槍使い、オリガ。彼女は今、何かから血相を変えて逃げている最中だった。
「ひ、ひぇええええええッッ!!!!」
水に溶けて移動すれば早いのに、それすら考えがまわらず。ただ逃げる事のみに専念していた。
「聞いてない聞いてない!!! こんなの聞いてないーーー!!!」
口からは、逃走をしながら愚痴をこれでもかと言い放ってい行く。
「ヘイオスのあほー! ぼ、ぼけー! え、えーっと、眼鏡! ――へたれおすー!!!!」
想定外に誰かを責めたくなったのだろう。ヘイオスのことを思い浮かぶ限りの侮辱を口にして叫んだ。
「か、帰ったら覚えてろーー!! 疲れてもおんぶ降りてやらないし、膝が痺れるまで膝枕の刑なんだからぁああああ!!!!」
目に涙を浮かべ、彼女は走り続ける。追いつかれてなるものかと。
まるで、死ぬほどの恐れを抱いたように……。
◆
クロトはヘイオスを見つけた。新たに出現した街の外側で。
「なんでまた俺の前にいやがるんだよ……」
嫌味を言う様に、クロトは冷めた目でヘイオスを見た。
声をかければ、ヘイオスは水路から目を離し、クロトにへと向く。
「好きでそちらの前にいるわけではないのだがな……。こちらの予定もなく現れるそちらもどうかと思うが?」
どちらにとっても、遭遇は意図しないものだ。
だが、此処にヘイオスがいるとすれば、目的はなんとなく理解できる。
この街には小規模であれど遺跡がある。なら、クロトたちと同じ様に【聖杯】が目当てで来たのやもしれない。見つけて、壊すために。
水路で様子をうかがうあたり、同行者であるオリガを待っているのだろう。
「お前らが此処にいるってことは、此処に【聖杯】があるのか?」
魔女の予想では、ヘイオスたちは知識の悪魔であるダンタリオンを所持している事になっている。その告げ口があるのなら、この街に【聖杯】があるのは確か。
だが、ヘイオスは直ぐに首を横に振った。
「いや……違う。此処に【聖杯】があるなどは知らん」
ヘイオスは隠す様子もなく、【聖杯】が目当てでこの場に来たわけではないと言った。
なら、何がこの契約者たちを引き寄せたのか。
「我々は別の用事があってだな――」
そう、待ち時間を潰すかのように話始めた時だ。
水路が突然勢いよく水しぶきを上げて2人の視界を割って遮る。
続いて、ヘイオスに、ドンッ、とぶつかるようにしてオリガが飛びついてきた。ヘイオスは彼女を身で受け止め、強くしがみつく姿を呆気に取られて見下ろした。
「……ど、どうしたオリガ? 何があった?」
オリガは両腕両足をヘイオスに絡めてこれでもかとしがみついている。子供でもたまに見られる光景だが、オリガはもう立派な年頃の少女だ。
クロトは彼らに敗因を刻まれている分、その強さをそれなりに認めてはいる。だからこそ、ここまで取り乱しているオリガを目の当たりにして気になってしまった。ヘイオスと同様に、なにがあったと……。
オリガは「うぅー、うぅ~」と唸る様に説明に時間をかけている。子供と考えて見るなら、それは何かしら怖いものを見て親に縋るようなものだ。
ヘイオスはわずかにずれた眼鏡をくいっと上げる。
「トラブルか? お前ともあろう者がいったいどうしたと……?」
何かあったのは確かだ。それをゆっくり聞こうとするヘイオス。途端に、オリガは顔をバッと上げて泣きっ面でヘイオスを睨んだ。
「どうしたじゃないよ!! ヘイオスの馬鹿ぁあああ!!!! ふざけんなぁあああ!!!」
そう怒鳴って、驚いたヘイオスの肩にへと飛び乗り、強制的肩車を強いらせる。そして、ヘイオスの頭をぐいぐいと乱暴に揺らした。
「落ち着け……っ。いったいどうしたんだ!?」
「うっさいうっさいーー!! あんなのがいるなんて聞いてないんだからぁああ!! おかげですんごい怖い思いしたっつーの!」
何かしらの恐怖体験をしたのは確か。それはオリガだけでなく、彼女の中にいるルサルカも同様だった。
彼女の中で、ルサルカは滝の様に号泣してしまっている。
『びゃぁあああっ、あああああああッ!!! オリガー~~ッ、ルサも怖かったデスーー!!』
「ルサルカ~っ、ごめんね~っ。怖かったよねっ? あんな奴と戦わせてごめんーーっ!」
声はオリガにしか聞こえていないのだが、オリガの発言からルサルカも酷く怖い思いしたのだと理解できた。そこからはもう涙でくぐもった声でずっとヘイオスに泣き付いている。
これはとても話にならず、ヘイオスも強制肩車を渋々受け続ける。
困った顔をして、ヘイオスは魔剣を片手に異空間を開く。
「悪いが、こちらはこれで失礼する。今度はいらぬ遭遇がないことを願うぞ、魔銃使い」
そのままヘイオスはさっさと異空間にへと入り、歪みは瞬時にその場から消えてしまう。
呆然と眺めていたが、後々になって他人事とは思えなくなってきた。
何故なら、オリガが逃げてきた街には、今エリーがいるのだから。
『……あんれー。ひょっとしてすんげーやべーとこっすか、此処?』
門にいた頃はとてもそんな様子には見えなかったが、現に逃げてきた者を見てしまった。それもただの人間ではない。悪魔を宿した契約者が泣きだしてしまうほどのことだ。只事ではない。
「くそっ。やっぱり無理矢理にでも連れ戻すべきだったか!」
抑えられない怒りが近くにあった木を強く殴りつけた。わずかな振動で、逆に自分の手が痛む。自分でも馬鹿なことをしているとは思えていたが、どうにかしてぶつけたい衝動があった。
もしかしたら事無く門に戻ってきているかもしれない。その安全な未来があると思い込みつつ、クロトは逆走しようとした。その時だ……。
――ドサッ。
先ほど殴りつけた木から、何かが落ちてきた。
軽いものではない。それなりの重みを感じ、クロトは落ちたものを確認する様に向き直る。
そこには、黒と白の色をした……人影。要は人が地面に落ちてきたという状況。しかし、その人物には見覚えがあり、クロトは更にそれに近寄った。
「……なんでお前が此処に」
地べたに落ちても何事もなくぐーぐーと眠っている人物がいる。
それは見間違えるわけがない。同じ魔銃使いである――イロハだ。
こちらの声に気付いたのか、のろのろとイロハは目をこすりながら身を起こし始めた。
「……あ、れ? もう朝~?」
『正確には昼だ、愚か者』
さすがイロハだ。痛覚がないため木から落下し地面に顔面をぶつけようとその間抜けな様子は変わらない。大あくびついでに腕を天に伸ばし、それなりに眠気が飛んでから辺りをキョロキョロ。それでもクロトが近くにいる事に気付いておらず。のろまな様子に先ほどまでの苛立ちが蘇ってしまう。
「おい……っ」
低い呼びかけに、イロハが無意識に肩を跳ね上がらせる。クロトに振り返った時、イロハの顔は蒼白ともしていた。
「……え? あれ? …………先輩?」
認識してから、イロハの顔色はどんどん悪くなっていくようにも感じた。直に会うのは久しぶりだ。最後に連絡をとった時もおかしな様子もなかった。その間に変化があったのだろうが……。
様子をうかがいつつ、クロトは問いただす事とした。
「なんだよ、その会うのは都合が悪いっていう顔は?」
「なななっ、なんのこと……かな~~?」
イロハは顔を背ける。その頬から汗がだらだらと流れ落ちていた。隠し事があるに違いない。
イロハといえば失態など多々ある。なんせ知能はなく、常識に欠けている部分が多いからだ。その失態一つ一つを指摘していても埒が明かない。余計な労力を使いたくもない。ここは多少目をつむる必要がある。
それに、イロハには他に確認したい事があった。
「……まあ、いい。お前には直に会う必要があったからな」
「へ、へ~。何かな~?」
苦笑を浮かべるイロハにへと、クロトは片手を差し出す。
最初はその手をキョトンと眺めているだけ。把握できていないイロハに、更にクロトは要件を告げる。
「なんせお前は魔武器を二つ持っているんだからな。ほんとーに、――心配してたぞー?」
クロトは、更に手を前に出し、普段から見せない笑みを浮かべてイロハの無事に安堵している。その光景が、イロハにとってどれだけ不安を煽るように逆なでしたことか。イロハの苦笑が凍てつき、上がった口角すら引きつらせてしまっていた。
更に手を前に出し……クロトは要件を率直に告げた。
「――此処で確認する。持っているフレズベルグと、メフィストフェレスを今すぐ出せ」
まるで、死刑宣告。裁判長が判決を下したような状況でイロハから血の気が引いてゆく。
それもそのはずだ。イロハは今のクロトの要件を飲めない理由があった。
イロハはしばらく前から魔鋏のメフィストフェレスを失くし、今も探している最中であり手元にない。もしもその事が知られれば、ましてやクロトに知られれば、それはイロハにとって命に関わるほどの大事態でしかない。




