「炎蛇ここにあり」
巨大な槍のごとくある蜘蛛の足が振り下ろされる。
エリーはクロトにしがみつき、ギュッと目を閉ざして、最後にクロトの名を強く呼ぶ。
視界を閉じてもわかる、迫りくる恐怖。しかし、それは突如吹いた風によって遠のいてゆく。
風は熱く、熱を帯びて周囲の気温を上昇させて広がる。
「……っ。クロト……さん?」
恐る恐る、エリーは瞼を開け前を見た。
視界一面に広がるのは炎々と燃える蜘蛛の姿。炎はまるで生きているように暴れる蜘蛛に纏わり付き逃がさない。藻掻く蜘蛛。その前にはクロトとは異なる、全く別の人物が立っていた。思わず、その高い身長に視線が向く。
揺らめく羽衣を纏う男の姿。男は告げる。高らかに、その名を轟かせる。
「待たせたな姫君。愛しの俺様が、――【炎蛇のニーズヘッグ】様が助けにきてやったぜ!!」
エリーの隣にはクロトの姿はなく、代わりに目の前にはクロトの契約悪魔――【炎蛇のニーズヘッグ】がいた。
ニーズヘッグは爆炎をあげ、その大悪魔たる威厳と存在をこの場に知らしめる。何度も炎を振り払おうとする蜘蛛を、彼が纏う炎蛇の皮衣が覆いだす。皮衣は繭の様に蜘蛛を閉じ込め、薄衣からは中で燃え上がる炎が強く輝いた。
「たーく、クロトめ。こんな時に寝落ちしやがって……。まっ、仕方ねーけどな。運わりーよクソ蜘蛛がっ。俺の姫君傷つけようとした罪は、魂ごと命で償ってもらうからな! 業火に焼かれて消し炭になれ!!」
薄衣の繭はより光を増す。
中では鋼の様な蜘蛛の身を焼き、溶かし、それは命に留まらず魂すらも燃やし尽くし、最後は爆炎と共に跡形もなく消えた。
炎が消えると蜘蛛の姿は微塵も残っておらず、本来あるであろう異臭すらも残らぬほど消滅。大悪魔の前に、大蜘蛛はあっけなく焼かれてしまった。
熱の冷めてゆく空気の中、エリーはずっと呆気に取られてニーズヘッグを見上げていた。そんなエリーを、ことが終われば炎蛇が即座に抱き上げ抱擁。
「ひーめーぎーみ~。無事かー? まぁ、俺が出てきたなら無事に決まってるよなぁ。なんせ俺強いんで。怖くなかったかー? 安心しろ姫君。俺様がちゃーんと守ってやっからよ~♪」
頬ずりしてご満悦の炎蛇。途端にエリーの表情は冷めて、むしろ不快感すら漂わせていた。
「~っ、もう! ニーズヘッグさん! 降ろしてください!」
「ええっ!? なんでそんな拒否ってくんの姫君!? 俺全然こっちに出てこれねーから、これくらいの時間は許してもらえるだろう!? ちょーピンチもどうにかしたってのにー!」
「助けていただいた事は、ありがとうございますっ。でも、それとこれは別ですのでっ。ニーズヘッグさん変な事しますからぁ!」
「俺の愛情表現がもはや姫君の中で変質者の扱いになってるの傷つくんだが!? なんでそうなった!!?」
エリーはこれ以上の抱擁を拒否。身を反らして少しでも離れようとする行為は、正に懐いていない小動物が逃げようとする様。
拒絶されて心痛むも、そんな可愛らしく頬を膨らますエリーが愛おしいと感じるのもまた炎蛇。とにかく外に出てきたからにはと、一分だろうと一秒だろうとこの時間を堪能したい。
「……あ、あの。天使様? ……そちらの、方は? 魔銃使いさんはどちらに?」
岩陰からユーロがおどおどとしながら出てきて二人の様子をうかがっている。
不思議に思うのも無理はない。ユーロの前にはエリーと、見ず知らずの人の姿を模した大悪魔がいるのだから。
途端にニーズヘッグは気分を害され、不快な表情でユーロを睨む。
「悪かったなクロトじゃなくてっ。俺の姫君に馴れ馴れしくしやがって、その眼鏡燃やすぞ?」
ユーロが脅されて怖気づく。威嚇するニーズヘッグをエリーが止める。尚も冷めた表情のまま。
「ダメですってニーズヘッグさん。ユーロさんが怖がってます」
「だって姫君! コイツ姫君と手つないだり会話してたり、俺めっちゃジェラシー! 俺も姫君とめっちゃ手つないで仲良くしてたいー」
「……ユーロさんはニーズヘッグさんみたいに変な事しません」
「だからこれは愛情表現だって~」
「と、とりあえず、……えーっと、ニーズヘッグ……さん? でしたよね。 そのー、天使様とは……いったいどのような関係で?」
ユーロとしては敵ではないと認識しているようだが、どのような立ち位置なのかが不明である。そのため関係性を問うと、ニーズヘッグはどこか勝ち誇った様な顔で言う。
「ふん。聞いて驚くな? ――こういう関係だ!」
ニーズヘッグはすかさず小指を立てる。
そのジェスチャーだけで、ユーロは驚いた顔でまじまじと見返す。
関係性の問いに小指を立てる行為。それがどういうものなのかは用意にユーロでも理解できる。
「こ……、ここ、恋人ですかぁ!?」
「――違います」
「愛人で問題ねーって♪」
エリーは慣れた様子で、秒で指摘。未だに少女の表情は冷めたもので、そうとうこのやり取りがよくあるとうかがえる。
反論するも、ニーズヘッグは前向きだ。
「ニーズヘッグさん、そろそろ降ろしてください! 後でクロトさんに言いますよ!?」
「……それはそれで後が面倒そうだ。…………はぁ。もっと愛でたかったのにぃ~」
渋々、ニーズヘッグはエリーを地に降ろす。とても残念そうな顔に、エリーもつい申し訳ないとすら思える。
しかし、こうでもしなければニーズヘッグの過剰な愛情表現は止まらないと、エリーも学習している。仕方のないことだ。
「……でもなんかご褒美ない姫君? 俺ってさ、ほんっとにたまにしか出てこれねーからよぉ」
最後のねだりか。しゃがみ込んだニーズヘッグが落ち込んだ様子でエリーを見る。
確かに。ニーズヘッグが出てこなければ今頃どうなっていたか。命を救ったのだから、それなりにちゃんと礼を伝えねばならないとすら思える。
悩んだ末、エリーは丁度良い高さにあったニーズヘッグの頭をそっと撫でた。
「えーっと、助けてくれてありがとうございましたニーズヘッグさん。おかげで助かりました」
いいこ、いいこ。まるで子供を褒める様に、エリーはニーズヘッグの頭を撫でて再度感謝の言葉を述べる。
するとどうだろうか。大悪魔と名の知れた【炎蛇のニーズヘッグ】。そんな彼が落ち込んだ表情から一変。ぱぁっと表情を明るくさせ、上機嫌に羽衣が揺れる。
金の瞳が、至福と輝いた。
「姫君まじで聖女! 天使!! 愛してる!! 一生ついていきますとも!! 大悪魔の名に懸けて!」
「……そ、そうですか」




