第四十話「アストラルネットワーク」②
あまり知られていないのだが……。
ユーリィと言うのは、あくまで彼女の戦時コードネームで、彼女の本当の名前はクスノキ・ユリコと言うのだ。
だが、その本名は意図的に隠匿されているようで、帝国においての名門クスノキ家の分家の出自だと言う話は有名なのだが……。
その本名については、巧妙に伏せられていて、戦時コードネームのユーリィでもっぱら通っていた。
それ故にその本名については、私のような直系クローンくらいしか知り得ない情報で、訓練用の人格再現プログラムにはその名は登録されていないはずなのだ。
それが直接、私を名指して呼び出しているだと?
意味が判らん……!
ああ、もうっ! だが、こうやってお母様と問答をしていても、話が進まんっ!
お母様もユーリィを名乗る人物が何者なのか、理解できるはずもない。
……ここは、私が直接その呼び出しに応じる他ないだろう。
多少危険は伴うだろうが、リスクを負う価値は……間違いなくある!
(……お母様、状況は理解した。たった今、いい感じに地面に穴が空いてる所を見つけたので、そこに潜ったところだ。直ちに意識転送してくれ!)
樹のうろの下に空いたクレバス状の地形で、言ってみれば天然の塹壕のようなものだった。
ここなら、そこそこの防御力が期待できる……まぁ、直撃を食らったら、どのみち危ういのだが……。
今は、急を要する……後方の安全地帯へ退避できる状況でもない。
この際、贅沢は言えんからな……致し方あるまい。
(了解した……。うむ、良い所を見つけたな。ここならしばらくならば、私が守れるだろうからな。よく解らんが、むすめにとっては縁深き者のようだな……限りなく魂の質がむすめと同じなのだ。察するに、向こう側のむすめのお母さんと言ったところなのだろう? よいぞ、ならば存分に甘えてくるのだ!)
……ユーリィ殿はそう言うのとは違うのだがなぁ……。
確かに、遺伝上私と彼女は同一人物であり、法的にも彼女は私の母と言えるのだが。
でも、魂の質とな……? お母様は時々、こんな難解な表現を使うのだが。
……本来、人間とコミュニケーションが取れるような存在ではないのを、向こうも頑張ってレベルを下げて相手してくれているのだから、全て理解しようと思う方が間違っているのだろうな。
この頭の悪そうな喋りはどうもそう言うことのようで、コミュ障気味なのも同じ理由なのだと、最近私も理解してきた。
……やがて、VR意識転送時特有の全ての感覚の消失と共に、唐突に地に足が着いたような感覚に捕らわれる。
目を開けると、青空の下……目の前に大きな湖の広がるどこかの地上世界の光景が広がっていた。
足元には草原が広がり、四方を山に囲まれ、レトロな雰囲気の丸太を組み合わせたようなログハウスが点在する風光明媚な観光地……そんな雰囲気だった。
「ふむ……ここが例のアストラルネットワークによるVR空間か。確かにえらくリアリティが高いな……」
足元の雑草の葉っぱをちぎると、草の匂いがした。
風に乗って、甘いような花の香が漂ってきた。
……まるで現実そのもの……。
そんな例えがしっくり来るほどには、情報密度が高く、私の知るどんなVRよりもリアリティが高いようだった。
……だが、風の匂いすら再現されているなんて、どういうレベルなのだ?
でも、この風景……どこかで見覚えがある。
……思い出した。
これはユーリィ卿が若かりし頃を過ごした惑星クオンの風景だ。
当時の彼女は、ごく普通の人間に混ざって、普通の女子高生として過ごしていたそうなのだ。
そして、同級生達と開発中の未開惑星に降り立ち、週末はキャンプをして過ごす。
そんな穏やかな日常を過ごしていたことがあり、その定番としていた場所がここだった。
……彼女の記録映像に、この惑星の光景が出てきていたので、私もよく知っていたのだ。
まぁ……私も彼女の過ごした穏やかな日常生活については、ちょっとした憧れがあったからな。
ごく普通の同年代の子供達と過ごす……学園生活。
私には全く縁がなかったのだが、コミックやアニメ、ドラマなどでは定番の舞台でもあり、そんな生活をおくる自分を夢想してみたりしてみたものだ。
「……だが、今の惑星クオンは農業惑星として開発されていて、こんな光景はもう無くなって久しいはずだ……。これは一体いつの時代の再現なのだ?」
呆然としていると、遥か上空を二機のナイトボーダーと思わしき飛行体が複雑な軌跡を描きながら通過し、あっという間に地平線の彼方へと消えていった。
だが……そのうちの一機は見間違えるはずもない。
あれは……ユーリィ卿の専用機……『白鳳』だった!
「まさか……今のは……本当に……!」
……思わず呟く。
「じゃじゃーん! その通り! そのまさかなのだよ! アスカちゃん!」
そんな言葉と共に、唐突に背後から脇の下に腕を入れられて、無造作に持ち上げられて、抱きかかえられてしまった。
ちょっ! 待て!
いくらVR環境だからと言っても、この私がこんな簡単に後ろを取られるだと!
だが、完全に拘束された挙げ句、持ち上げられてはもはや抵抗の術もない。
首だけを動かして、相手の顔を見ると……。
なんと言うか、ものすごく馴染み深い顔がそこにあった。
前世でいつも鏡の向こう側にいた見慣れた顔を少しだけ大人にした……そんな顔が目の前にあった。
「……ね、念のために聞かせてもらうぞ……いや、聞かせていただけないか? 貴女は……クスノキ・ユリコ本人なのだろうか? ……この名は、我々直系クローンならば、言わば魂の記憶として誰もが知っているのだが……帝国の公式記録にはその名は残されておらん。当然ながら、人格再現プログラムはこの名を知るはずもないのだ。……故に、この名に対する反応を見ることで、その真偽を判別させてもらおう!」
まぁ、そう言う事なのだ。
クローンと言うモノは、その理屈は不明ながら、オリジナルの記憶を断片的に受け継ぐようで、ユーリィ卿の本名についても、私は誰に教わるでもなく知っていた。
「へぇ……そうなんだ。クローンって、あくまで私とは別物だと思ってたけど。断片的に記憶を受け継いでたりすることもあるんだね。うん! アスカちゃんが仰る通り、この私はクスノキ・ユリコ本人だよ! うふふ……初めましてだねー! ああ、なんかもう一発で気に入っちゃったよー! きゃわわーっ!」
そう言って、ブラーンブラーンと正面を向かされて、ギュッと抱きしめられて、もはや為す術なく弄ばれる。
まぁ、身長差がある上に、向こうも当然のようにハイパワー。
これくらいは容易いのだろう。
だが、ここまで来ると問答無用で理解できる。
これは人格再現AIなどではない……間違いなく本人だ。
こう見えて、私はクスノキ・ユリコと言う人物の研究については、第一人者を自負している。
オリジナルへ対しては、敬意のみならず、幼い頃からの憧れもあったし、皇帝と言う立場は、帝国の全てを識る事が可能と言っていいほどの権限があり、その気になれば、数々の過去の非公開記録情報にもアクセスが出来たのだ。
300年前……ユリコ殿が現役だった頃の記録にしてもそうだし、彼女の学生時代の記録情報にしても、本来余人には触れることも出来ないはずなのだが、私には触れること出来たのだ。
故に、帝国の民が知り得ないであろう、彼女の素顔と言うべき記録を私は知っている。
その上で、その素顔とこの眼の前にいる少女と言ってよい人物は、あまりに一致していた。
……もはや、言葉もない。
あまりにも不意打ちであり、あまりにも衝撃的だった。
だが……もしも、我がオリジナルたるユリコ殿と会う奇跡が叶ったら……。
かつて、幼い頃。
帝国の軍神と言われたユーリィ卿は、私のオリジナルにして、実の母親のようなものだという話を教育係のAI達からも聞かされていた……。
クローンと言うのは、そう言うもので法的にもそう言うことになっている。
そのはるか昔に撮られた映像の中で、先陣を切って、誰よりも勇ましく戦い、皆の勇気となっていた彼女の姿に……私は並々ならぬ憧れを抱いていたのだ。
そして、叶わない夢と知りながらも。
もしも、いつかどこかで、ユリコ殿と相見える奇跡に恵まれたら……。
私にも、そんな風に想像を膨らませていた頃があったのだ。
だからこそ……!
だからこそ、彼女へ色々聞きたいことや言いたいことがあったのに……。
この日のために、密かに考えていた気の利いた言葉も……。
胸のうちに秘めていた思いの数々も……
そんな色んな感情や言葉が入り混じった末、私は子供のようにダバーっと号泣していた。
「うわ、うわっ! ア、アスカちゃん! な、なんでーっ! おおお……ちっちゃい子供が泣いてる時ってどうすりゃいいのーっ! ぎゃあああああっ! な、泣かせちゃったぁあああ! 泣かしちゃったよぉおおっ! だ、誰かぁーっ! へるぷみーっ! メディーックッ!」
まぁ、解らんでもないな。
私だって、抱きしめた子供がこんなになったら、困る。
……でもまぁ、看護兵なんぞ呼んでも、泣く子はどうにもなるまいて。
と言うか、そんな泣いた泣いたと連呼せんで欲しいぞ。
銀河帝国皇帝だって、感情がオーバーフローを起こして、号泣することだってあるのだ。
と言うか、するものなのだ!
はぁ……私も色々と我慢しすぎていたのかしれんな。
流れよ我が涙……というには、ちと豪快過ぎるが。
念願のお母さんに会えた子供なんてのは、多分こんなものだと思うぞ!
ま、まぁ! 私は子供ではないのだがなっ!
でも、大人だってお母さんに甘えたくなることはあると思うのだ!
そして、私を抱えたまま、右往左往の挙げ句ズッコケて、顔から地面にダイブするユリコ殿。
……どうも、蹴躓いて私を地面に落とすくらいなら、迷わず顔からダイブすると言う道を選んだようだった。
おかげで、私はすんなり脱出できたのだが。
ユリコ殿……受け身も何もだったようで、なかなかに酷い格好だった。
ひとまず、ユリコ殿のスカートが派手に捲れていたので、無言で足元へ駆け寄ると、そっと元に戻しておく。
さ、さすがに他に誰もいないからと言って、同性として、こんなのをそのままにしておく訳にはいくまい。
うん、なんとなく知ってたぞ。
クスノキ・ユリコ殿。
実は、結構ポンコツ……ゼロ皇帝の日誌にも、そう書いてあったし、過去の隠蔽された彼女の記録の数々は、控えめに言ってハチャメチャとデタラメのオンパレードだった。




