第三十八話「伯爵の最期」③
「……はいはい、叔父上どの。ええ、伯爵の手の者は予定通り全員皆殺しとしましたよ……もう一人も生き残りは残っていません。しかし、アスカ様は出来るだけ殺さずに済ませろとおっしゃっていましたのに……。随分と派手に殺ってしまいましたが。これで、よろしかったのでしょうかね?」
飄々とした態度で、芝居がかった仕草で跪くカザリエ。
実のところ、伯爵の隠密兵や衛兵を片っ端から始末したのは、この男の仕業だった。
一見、軟弱な優男に見えるのだが。
個人戦闘力に関しては、並の冒険者程度なら一蹴できる程度の実力を備えていた。
「……構わぬだろう。アスカ様のお人柄を伺った限りだが、慈愛に溢れた随分と心優しき方のようであるからな。なるべく生かせというのは、伯爵も含めて……だったのだろう……。だが、先代の……我が父上の仇がのうのうと生き延びるなど、とても許せるはずがないし、この男は明白なアスカ様の敵だった。こんなヤツを生かしておくほど、私も甘くはない……。それにしても、あの赤い水晶はなんだったのか? お前から渡された粉を撒いたら、緑色に変わってしまったし、何も起きる様子もないな」
「……さぁ? 私もエルフの長のエイル殿から手渡されただけで、もしもバーソロミュー伯爵を殺す気なら、殺した直後に死体にこれを撒くようにと言付かっていただけです。一応、水晶が緑になれば、もう安全とも言っていたので、これなら問題もないかと。なんとも言えませんが、あのまま放置していたら、案外不死身の怪物にでもなっていたのかもしれないですね……」
「なるほど、この粉はその怪物化を防ぐ特効薬のようなものなのか……。これはつまり普通に人として死んだ……そういう状態なのだろうな。他に警告されていた者としては、ボンドール子爵や炎神教団の司祭などもいたはずだが、それらも同様だったのか?」
「ええ、ボンドール子爵については、城内に潜伏していた所をエイル殿配下のエルフ達が追い詰めて始末した上で、同様の処理をしていたようです。炎神教団の司祭については、どこかに隠れているようで、現在捜索中……まぁ、逃げ場など何処にもないので、そのうち見つかるでしょう。もっとも、これらはアスカ様の命令ではなく、エイル殿の独断のようでしたがね……。どうも、アスカ様は、この事態をなるべく人死が出ないように片付ける算段だったようでして……。ずいぶんとお優しい……甘い方のようで」
「……我らにとって、上位存在たる神樹の精霊様なのだからな。甘いくらいでちょうど良いのではないかな? だが、殺すなとは言わなかったようであるからな。当家と伯爵家の確執や因縁を理解した上で、好きにしろとおっしゃった……多分、そう言うことだな」
「なるほど、各々の事情を理解した上で、自らの信念を押し付けるような事はしない。よく解っているようですね……。そりゃ、確かに大物ですな」
「なぁに、伯爵のように長生きさせておくべきではない者がいたとしても……神聖なる精霊様の御手を魂まで汚れきった者の血で汚す必要などないからな。返り血を浴びるのは、我らのような臣下の役目だ。エイル殿もそこはよくわかっているのだろうな」
「ははっ! 叔父上も早速アスカ様の臣下のつもりでいるのですかな? 随分と気が早いことですなぁ……」
「むしろ、当然であろう? まぁ、正式に御本人から言質を頂いた訳では無いが。私は臆面もなく、堂々とアスカ様の臣下の一人となると明言するつもりだよ。なにせ、我が手で怨敵バーソロミューを討つ機会を譲っていただいたのだからな……。万全のお膳たての上でだったが、ここまでしてもらって対等の立場を望むほど、私もおこがましくないぞ」
「ええ、実に賢明な判断です。僕も全くの同感です……。言うまでもないですが、我が男爵家もアスカ様の配下となることを確約いたします。そうなると、アスカ様は北部の神樹の森に接するすべての領地を事実上、その支配下に置いた……そういう事になりますね」
「そうだな……伯爵が消え、その配下の貴族達もその多くがこの戦で消えた。これまで伯爵の手で妨害されていた通商ルートもルペハマから、オーカスそして、シュバリエまでの全てのラインが繋がった。さすがにこうなると、北部貴族の多くがアスカ様の配下に降ることを良しとするであろうな。まぁ……いずれにせよ、そう遠くないうちに、王国の全てがアスカ様の帝国へと成り変わり、統一される事になるだろうな……。それはそれで悪いものではなかろう?」
「ええ、落ち目の王国の看板なんてさっさと捨てて、圧倒的な強権と力を持つ、神に等しい存在によって統一される。実際、シュバリエはこの短期間で凄まじい勢いで発展を遂げているようですからね。その恩恵が誰にも等しく与えられるとなると、我々としても望むところですよ」
火の精霊の活性化に伴う惑星温暖化の進行と、熱波による飢饉続き。
それによる重税と物価の上昇……どこの領地でも似たような状況だった。
次に来るのは、人口減と経済の縮小化。
国家としての破綻……分裂化の促進。
アスカも指摘していたように、小規模国家が林立したところで何の意味もない。
進む道は、仲良く共倒れ。
言わば破滅へのスパイラルを順調に転げ落ちていく……そんな状況だったのが、これまでのこの王国の実情だったのだ。
そして、その流れを解っていながら、誰も止められない。
それが現実で、そんな状況を歯がゆく思いながら何も出来ずにいたのは、この二人も同様だったのだ。
だが、アスカと神樹は些か乱暴ながらも、そんな滅亡へ至る流れを覆す、大きな流れを生み出し、王国の全てを統一する代わりに、人々の繁栄を約束する存在……希望となりつつあった。
そして、オズワルドもカザリエもそれを確信し、その流れに乗る……それは、アスカの存在を知った時から、二人共決めていたことでもあったのだ。
「……クフフフフ……。伯爵を始末し、完全勝利を確信して……なんとも、おめでたい奴らじゃあないか。笑わせてくれるなよ……」
唐突に闇の中から響いた声に、オズワルドもカザリエも揃って剣を抜くと振り返る。
カザリエの方は見かけの通り、へっぴり腰ではあったのだが。
背中を向けて逃げ出さないだけの分別はあったし、敢えてオズワルドよりも一歩前に出る……その程度の勇気は持ち合わせていた。
赤い衣を纏い、赤い杖をもった痩せぎすの男がバーソロミューだった物のすぐ脇に立っていた。
「……その真紅の衣服。炎神教団の手のものだな。今更、何をするつもりだ? 見ての通り、貴様らの手駒……バーソロミューは死んだ……。なにやら、妙な仕込みをしていたようだったが、残念だったな! 神樹様より授かりし神樹の種の前では、そのような小細工……意味をなさなかったようだぞ。観念して、投降するか? アスカ様も貴様らには色々聞きたいことがあるようだからな……。なぁに、今なら手足を切り飛ばす程度ですませてやろう」
「そうですね。僕は治癒魔法も使えますからね。ギリギリ死なない程度で生かすことも可能ですよ。どうせ逃げ場もないと解っているのでしょう? 観念してはどうですか?」
「雑魚共が……調子に乗るなよ。だが……ボンドールも駄目だったが、バーソロミューも……か……。まさか、炎結晶化を打ち消す等と言う信じがたい真似までもやってのけるとはな! だが……貴様らは詰めが甘い……例え、神樹結晶化されたとしても、こう言う手もあるんだよっ! ヒヒヒッ!」
そう言って、司祭は自らの腕を斬りつけると、その流れる血をバーソロミューだったエメラルドグリーンの結晶に振りかける。
まるで沸騰した湯をかけたかのように、盛大に赤い蒸気が立ち上り、血を浴びた結晶が見る間に赤く染まっていくと、再び増殖を始めた。
「……叔父上、お下がりください! ……舞え! 飛剣よっ! 我が敵を貫けッ!」
カザリエが懐から短剣を抜くと、司祭へ向かって投げつける。
それらは凄まじい速度で司祭へと向かうのだが、空中で停止する。
「な……っ! これは不動結界陣かっ! いつのまにっ!」
すべての物の動きを止める……そんな結界のようで、オズワルド達も縫い留められたように動けなくなる。
「バカが! 備えくらいしているに決まっているであろうが! だから、詰めが甘いと言ったのだ!」
「……だが、この程度! その結界すでに見切りましたよっ! 解呪の法5番っ! 砕け散れっ!」
カザリエが軽く手を叩くと、次の瞬間、空中で止まった短剣に複雑な文様が浮かぶと、ガラスが割れるような音が響き渡り、短剣が再び加速する!
そして、それは司祭の胸元に突き刺さり、その体を軽く貫通していった。
「……ば、バカなぁああああ! 結界砕きだと! そんなものを用意していたのか!」
「どうやら、こちらの方が上手だったようですね。不動結界……確かにまぁまぁ高度な結界ですが、既知のありきたりなもの……そんなモノ対策があるのが当然ではないですか!」
対策と言っても簡単な話ではないのだが。
要するにカザリエにとっては、不動結界を使われるのも想定の内で対策を用意していた。
それだけの話だった。
「……くっ……単なる無能と侮っていたが、その実、腕利きだったのか……。大した……ものだ……」
たまらず血を吐き、崩れ落ちる司祭。
「詰めが甘いのはそちらでしたな! この短剣は結界対策だけでなく、敵の魔力器官を確実に破壊する……要は魔法師殺しの武器なんですよ。もはや、どうすることも出来まい?」
「……バーソロミューめ……。こんな危険人物に見落としていたなど……」
「すまないね……僕は、切った張ったは苦手だけど、知略と魔法については、それなりに自信があるんだ。侮って、勝手に油断してくれたのならば、僕も無能のフリをした甲斐があったよ……。すまないが、君はこのままここで死んでくれ。なにやら切り札があったようだけど、この神樹の種ならば、炎神由来の力を確実に封殺できる……。つまり、君は無駄死にってことさ!」
「……我らが神……炎神の力をいとも簡単に中和する……か。使い手を得て覚醒した神樹……聞きしに勝る恐るべき存在だ……な。だが、もう遅いと言ったであろうっ! くくくっ! バーソロミューの魂はすでに生贄として捧げられたのだ。そして我が死……我が血肉と引き換えにイフリート召喚の呪法は成った! さぁ、炎の祭典が始まるぞ……貴様らもまとめて焼き尽くされるが良い! ハーハッハッハ! 原初の炎よ……愚かなる者達へ神罰をっ!」
それだけ言い残すと司祭の身体が激しく燃え上がる炎に包まれる!
そして、赤い水晶がその身体から次々と生えていき、足元に転がっているバーソロミューだった水晶の塊と融合し、それは見る間に巨大な赤い水晶の塊となっていき、際限なく巨大化していった。
その様子を見て、カザリエも自らの失敗を悟った。
ここは、顔を見せた直後に一切何もさせず、問答無用で即死させるべきだったのだ。
「叔父上……申し訳ない。どうやら、我々は失敗したようです……。この火の魔力の集中……極めて危険な状態です! 急ぎ、この場から退避しましょう!」
「……な、何が起きているのだ! あ、あれは……いったい!」
「……奴は、イフリートと言っていました。火の巨人……かつて神樹の森の半分を焼いたと伝わる恐るべき存在です……。どうやらこれが奴の本当の切り札だったようですね……。二段構えだったとは……やってくれたな!」
「……つまり、神樹の種が無かったら、バーソロミューを殺した時点で、ああなっていたと……。だが、なんということだ……これは、完全に我々の失態だ……これでは、アスカ様に会わせる顔がないではないか!」
「いやいや、これはもうしょうがないですよ……。まさか、ここで死ぬことを覚悟した上で自らに火を放って呪法を成就させるなんて……。あれでは、神樹の種を撒いたところで届かなかったでしょうね」
「……口惜しいが、この場は逃げるしか無いか。だが、どこへ逃げるというのだ。この炎の勢いでは、逃げても無事に脱出できるか怪しいものだぞ! まったく、最後の最後にしくじるとは何たる不覚! かくなる上はこの場で我が死を以ってアスカ様への侘びとするしか……」
「まぁまぁ、命あっての物種ですよ? あっさりと諦めるなんて、叔父上らしくもない。でもまぁ、こうなったらアスカ様にでも泣きつくしか無いでしょうね……。なぁに、この場から逃げるだけなら、そんなに難しくないですよ。叔父上……少々手荒になりますが、ご容赦を! 爆ぜろ、爆炎ッ!」
カザリエが壁に向かって、黒い粉の入った小瓶を投げつけると盛大な爆発が起き、壁に大穴が空く。
その上で、有無を言わさずにオズワルドの腕を掴むと、諸共に空中へ向かって飛び出した。




