第三十八話「伯爵の最期」①
「ば、馬鹿なぁああああ! たった一夜にして、吾輩の……我が家の伝統と誇りでもあるロックゴーレムと地竜が尽く撃破され、おまけにオーカスの攻略軍も全面降伏しただと! そんな事が……そんな事があってたまるかぁあああああっ!」
……オーカス攻略に送り込んだ戦力が一夜にして、全て壊滅したと言う知らせを受けたバーソロミュー伯爵は、完全に発狂状態で喚き散らしていた。
なお、その配下の貴族達も不穏な空気を察したらしく一人、また一人と逃げ出すようにこの場を後にしており、バーソロミュー伯爵の癇癪と理不尽な八つ当たりの暴力に晒されているのは、その報告に来た老齢の家令のみだった。
なにせ、12体ものロックゴーレムと地竜。
これだけの戦力を送り込んだ時点で、もはやオーカスは廃墟になるだろうと誰もが確信していたのだが。
それらを尽く撃破したと言うウッドゴーレムのような何か。
その戦力は、もはや装甲騎兵など束になっても絶対に勝てないと一瞬で悟らせる……それほどまでの物だった。
そして、何よりも現時点で、このアイゼンブルク城は、全くの無防備に近い状況にあった。
前線での勝利を確信し、ほとんど全軍を出撃させてしまっていて、残っているのは、寄せ集めの匿名貴族の兵達と、味方としては全く信頼が置けないオズワルド子爵とカザリエ男爵の領軍のみ。
オズワルド子爵も、河川湾曲部の内側と言う逃げ場のないところに陣を構え、大人しくしていると思っていたのに、夜の間にいつの間にかその陣地はもぬけの殻になっていたのだ。
その上、折からの雨とそれに伴う濃霧の発生で、その居所はもはや誰にも解らない……そんな状況となっていた。
どうやら、盛大に篝火を焚いて、陣地に立て籠もっているように見せかけながら、いかだを使っての川下りをした上で小部隊単位でほうぼうに散っているようで、包囲していたつもりになっていた寄せ集め軍では、その行方を探ることも出来ておらず、アイゼンブルグ城からも、離れた場所で右往左往しているだけの遊軍と化していた。
かくして、伯爵の全てを賭けたオーカス攻略戦はものの見事に失敗し、伯爵は一転完全に追い詰められていた。
もちろん、伯爵の主力と言える貴族連合の装甲騎士団も残っているのだが……。
12体のロックゴーレムと地竜をたやすく粉砕した敵の存在は、すでに全軍に知れ渡っているようで、配下の貴族達も続々と手勢を連れて逃げ出し始めている……そんな報告も届いていた。
無理もない……元々、主力となっている装甲騎士達は残敵の掃討戦を想定していて、同伴していた貴族達も火事場泥棒目当て……そんな理由で参戦したような者達ばかりなのだ。
当たり前の話ながら、そんな者達に地竜を粉砕するような強大な敵に立ち向かうような勇気がある訳もなく、主力部隊もアイゼンブルク城に取って返して来る頃には、盛大に目減りしていることは確実で、意見の不一致で内輪もめが始まっているらしく、その進軍も遅々として進んでいないようで、来援がいつになるかの目処すら立っていなかった。
「……昨夜まで、我が方の勝利を確信していたのに、一夜明けたら何も残っていなかった……だと? 馬鹿な! そんな理不尽な話……あってたまるか! 吾輩は……大貴族なのだ! ええいっ! 誰か……誰かおらぬのかぁあああっ!」
……それまで、さんざん八つ当たりで蹴りつけていた老執事はすでに動かなくなっていた。
そして、そんなバーソロミューの呼びかけに応えるものはもはや誰もいなかった。
「……これはこれは、お友達の一人も居らっしゃらないとは……。なんとも実にお寒い状況ですな。バーソロミュー伯爵殿」
……不意に声がかかった。
伯爵も振り向くなり、その表情が鬼の形相になる。
その声の主は、オズワルド子爵だった。
「オズワルドォ……貴様っ! 貴様だったかぁあああっ! ええいっ! ど、どの面下げてここに来た! 吾輩をあざ笑いに来た……そう言うことかぁあああッ? あぁあああああああっ!」
目は血走り、額や腕……至る所に欠陥が浮き出て、口の端からは泡を吹き、もはや言葉になっていないのだが。
バーソロミュー伯爵は、それでもまた人間の姿は保っていた。
「いえいえ、私は昨夜も申し上げたように、最後まで伯爵殿のお側にいるつもりですよ。まぁ、世の中思い通りにいかない事のほうが多い……そう言うことでしょうなぁ」
「……ふっざけるなァ! 貴様が……あの悪魔共に我軍の動向を伝えていたのだろうッ! この裏切り者がァアアア!」
「はて、どうやって? 私の軍勢は例の匿名貴族共の軍勢に囲まれていたし、そんなわずか一晩でアスカ様へ情報を伝えるような術があったら、逆に教えてほしいくらいですよ」
実際のところ、伯爵軍の動向はアークが直接目で見て、自分の足で歩いていってアスカに伝えており、アスカからの指示についても、夜の間に神樹教会の使いのものが来て、オズワルドへの行動指示も細かく示されていたのだ。
オズワルド自身、そんな一瞬で情報を伝える術があるとは信じられなかったが。
すでに、各地の神樹教会は通信ネットワーク網で結ばれており、鳥を使った伝書よりも早く情報伝達が出来ると知り、その源が神樹の精霊の持つ未知の世界の知識であると聞き、それならば……と納得していた。
もっとも、そんな事をバーソロミューにわざわざ伝えるつもりはオズワルドもサラサラ無かった。
なにぶん、徒歩で一週間もかかるような距離を半日足らずで走り抜けて情報を伝達する……そんな非常識な真似が出来るような人間はこの王国ではまったくもって一般的ではなかった。
当のオズワルド子爵自身もこんな速さで事態が進行するなど、思ってもおらず、それでも伝わってくる断片的な情報や神樹教会から伝えられる情報から、状況を理解し、積極的に手駒を動かすことで、この瞬間を迎えていたのだった。
実際は、それら情報分析についてはカザリエ男爵の仕事で、例によって長々とした報告を手短にまとめてもらって話を聞いただけなのだが。
なによりも、オズワルドはアークの手引をしただけで、別にアスカに自分から直接情報を漏らしては居ないのだ。
アークもあくまで自分で見聞きした情報をアスカに伝えただけの話だ。
だから、別に嘘は言っていなかった。
もっとも、嘘を言っていないだけの話で、オズワルド子爵は明白な伯爵の敵ではあることには変わりなかった。
「……まさかっ! まさか……我が伯爵家の誇る無敵の地竜をも倒す……あの悪魔共がそれほどまでの化け物だったなど……! なんなのだ! 一体何なのだ! あの化け物たちは! オズワルド! 教えろっ……あんな奴らに勝てるはずがない……わ、吾輩はどうすればよかったのだ! 一体どこで間違ったのだァアアアアアッ! こんな現実、認められるかァアアアアア!」
奇声をあげて、床にひれ伏し床に頭を何度も打ち付けるバーソロミュー。
当然のように額が切れて、流血するのだが……もはや、痛みを感じなくなっているようだった。
「……そうですなぁ。私が思うに、伯爵殿は最初から何もかもを間違えていたのでしょうな。古臭い貴族主義に凝り固まり、王国再興などと言う誰も望んでいない夢を見て、挙げ句に炎神などと言う邪神を崇め、平民達を蔑ろにした……。すべて、バーソロミュー伯爵のなされたことですよ?」
「馬鹿なっ! な、何を言っているのだ! オズワルドォッ! 貴様ァアア! そ、それでも、誇りある王国貴族の末裔か! 貴様らのような奴がいるから、こんなことになったのだ! おのれ! おのれ! 貴様だけは……貴様だけは許さぬぞッ!」
「別に伯爵に許しを請うつもりはありませんな。ああ、もし命乞いをしたいのであれば、ここは潔く神樹の精霊……アスカ様にこれまでの非礼を侘び、何もかもを委ねると言うのはどうでしょうか? あのお方は寛容な方だそうですからね。今のように地に伏し情けを乞えば、命くらいは助けていただけるかと思いますよ」
……あくまで、単なるオズワルドが見聞きしたアスカと言う人物像からの感想なので、実際はどうだか解ったものではないのだが。
存外に甘く、寛容な人物なのは聞き及んだ話を聞くだけで、容易に想像できた。
どのみち、伯爵がこの提案を受け入れるとはオズワルドも思っていなかったのだが。
別に伝聞を伝えるだけなら、何ら問題はなかった。
「な、なんだと! あの神樹の精霊を自称する化け物に降れと! その上で惨めに命乞いをしろとでも言うのか! 貴族の……誇りはどうなる? 吾輩は……我が国に20人も居ない伯爵……上級貴族なのだぞ! それにまだ負けと決まったわけではないっ! 吾輩は……媚びぬっ! 退かぬっ! 負けなぞ決して認めぬぞっ!」
……どう見ても、勝ち目などないのだが。
アスカも言っていたように、敗北とは負けを認めた瞬間に訪れる……それもまた真理ではあった。
もっとも、負けを認めないなら、古来から使い古されてきた手っ取り早い手段を使うだけの話であり、オズワルドも今の言葉はそう言う意味だと理解することにした。
「……すべてを失った今の伯爵殿に何が出来ると? そもそも、この私がこの場に現れた……その意味をわかっているのですかな? 伯爵殿の周囲には、伯爵子飼の隠密兵達がいつも張り付いていたのに、彼らは一体どうされたのでしょうなぁ……?」
そう言って、酷薄そのものと言った笑みを浮かべるオズワルド。
……そこまで言われて、ようやっとバーソロミュー伯爵は、常に天井裏に潜んでいる護衛の隠密兵の気配が消えていることに気づく。
それに使用人や会議室の前に居たはずの警備兵の気配も。
つい今しがたまで、床に伏せていた家令もいつの間にかいなくなっていた。
要するに、伯爵の味方は周囲に誰一人として居なくなっていた。
その上で得体の知れない者達に囲まれている……その事だけは理解できた。
ジリジリと窓辺によって中庭を見ると、土砂降りの雨の中で配下の城兵や衛兵がいたるところに無造作に転がされて、黒い革鎧の兵士たちが忙しそうに中庭を行き来しているのが見えた。
……その黒い革鎧の兵達と彼らの掲げる旗印には見覚えがあった。
オズワルド子爵領軍の従兵隊……。
それが我が物顔でアイゼンベルグ城に入り込んでいて、配下の兵達が血に塗れ地に伏し、周囲からも護衛が排除され、帯剣したオズワルド子爵が目の前にいる……それが意味することはただひとつだった。




