第三十七話「地竜」①
「イース、あの巨大な衛星のようなものはなんだ? かなり近いのではないか……」
……地表のクレーターなども、肉眼ではっきりと見えるくらいだった。
衛星にしては、これまで一度も見たことがないのだが……なんだ? ひどく嫌な感じがする。
「アスカ様! あ、あれは……「穢れし夜の陽」……普段は、空の星にまぎれているのですが、一年に一回くらい……ほんの6時間ほどだけ、あんな風にすごく大きく見える時があるんです! 魔物が活性化したり、犯罪者が増えたりと、良くないことばかりあるので、不吉の象徴とされているのですが……まさか、このタイミングで……!」
なるほど……確かに極めて近くの軌道を極めて高速で通過しているようだった。
なにせ、動いているのが目に見えて解るくらいなのだ。
恐らく、この惑星より早い公転速度を持ち、近似軌道を取る別の小型惑星と言ったところなのだろう。
しかも、6時間程度で追い抜いていくとなると、惑星との相対速度差も時速2000キロとか3000キロとか、それくらいの差があるのだろう。
恒星系における惑星の軌道……公転軌道面は、ほとんどの惑星が恒星を中心にした同じ平面に沿って、同心円を描きながら周回するようになるというのは、いわば宇宙の常識だ。
恒星と惑星の重力バランスの関係で、自然とそう言う位置関係に落ち着く……そう言うもので、これはいかなる恒星系でも、多少のズレが発生したり、逆走軌道を取る惑星が発生する場合もあるものの、惑星配列については、どこでもある程度似たような位置関係となるのだ。
恐らく、この惑星の恒星系も例外ではないはずだった。
推測ながら、二つの惑星の軌道周回円は限りなく重なりあいながらも、実際は相当のズレが有るのだろう。
しかしながら、二つの近似同心円を重ねると最低でも二箇所でその軌道円が交差する事になる。
そして、定期的にそこでニアミスを起こす……それが、今この瞬間なのだろう。
だが、こんなものが地球型海洋惑星の近くを通るとなると、相互重力干渉で海洋や河川に馬鹿にならない影響が出るはずだった。
「なるほどな……となると、この惑星が通過する際は、海辺などでは相当危険なことになるのであろうな……」
通常の地球型惑星だと、衛星の重力の影響はたかが知れているのだが。
古代地球には「月」と言う地球と比較して3割もの大きさがあると言う天文学的にも破格の大きさの巨大衛星があり、その巨大衛星の重力の影響で、海洋水面が激しく上下する干潮と言う現象が起きると言うのは、割と有名な話だった。
まぁ、惑星エスクロン辺りだと、衛星が軽く20個くらいあった上に高重力、おまけにその重力が至るところで激しく変動する異常重力巨大惑星だった関係で、この干潮については、当たり前のように存在し、時に波同士の相互干渉により、都市を軽く飲み込む規模の大津波を引き起こしたりと、大規模自然災害レベルになる程だったのだ。
人類の銀河進出後にわかった事ではあるのだが、どうも太陽系自体が宇宙の視点ではかなり珍妙な恒星系だということが判明している。
なにせ、地球原産のまっとうな炭素系光合成植物ですら、宇宙のスケールではレアだったのだからな。
動物にカテゴライズされるような生物となると、もっとレアで、良くて原始海洋生物や昆虫系くらいのもので、哺乳類やヒューマノイドにまで進化した生物となると、少なくともエーテルロード接続星系では、一切発見されていないのが実情なのだ。
間違いなく、地球環境とは宇宙の視点でも奇跡と言って良いような環境なのは、間違いなかった。
もっとも、地球どころか太陽系への立ち入り許可が降りなくなっていて、ここ数百年くらいは誰も立ち入っていない。
故にその実情については、過去に例外的に許可されていたと言う地球調査団の持ち帰った観測データや、古代地球の文献情報からの憶測ばかりで、誰もその実態を知りようがないのではあるのだがな……。
この惑星の環境に関しては……。
そんなヒューマノイド文明が発生する時点で、地球並みのレア環境ではあるのだが、これまで地上の視点では、そのような巨大衛星があるようには見えなかった。
もっとも、付近を通過する小型惑星があるとなると、話は別だった。
この場合の重力の影響はさすがに馬鹿にならないのは言われるまでもなく解る……。
「ええ、よくご存知ですね! 「穢れし夜の陽」が天を横切ると、海が溢れたり、河川が逆流してきたりと、けっこう大変な事になります。港町などでは、嵐と重なったりなんかすると死者が出るほどの大騒ぎになります! ただ「穢れし夜の陽」が出ていないのに、海が溢れることもありますし、もっと小さく見える時もあるんですよね……」
なるほどな。
イースの話を聞く限りだと「穢れし夜の陽」とか言う小型惑星はこの惑星の数倍の公転速度で、ほとんど同じ軌道を回ることで、年に何度か軌道ニアミスを起こす……そう言うことなのだと推測される。
まぁ、私の予想通りのようだった。
もっとも、近似交差軌道を取っているからと言って、惑星同士が衝突する可能性は意外なほど低い。
公転速度に差がある上に、軌道交差時にもお互いの重力偏差と惑星自体のもつ電磁場の相互干渉により、惑星スイングバイのような状態となり、むしろお互いが微妙に離れていくのだ。
それに、近似交差軌道と言っても惑星直径の100倍くらいはお互いの軌道自体がズレているケースがほとんどなのだ。
要するに、長い年月の間に惑星軌道自体がそこに落ち着いた……要するに、ド安定状態になってしまっているので、近似軌道を取る惑星同士でも、近くを通り過ぎるだけで、惑星同士が衝突を起こすことはまずありえないとされている。
もちろん、長期的には恒星系自体の重力バランスが乱れた結果、惑星同士の衝突が起きる可能性はないとは言い切れないのだがな……。
……案外、お母様がその破滅的状況を回避させている可能性もある。
この惑星はそんなつまらない天体事故で失われていいほど、宇宙にありふれた惑星ではないのだ。
仮に銀河宇宙で、こんな惑星が発見されたとなると、我が銀河帝国はいかなる犠牲や代償を払ってでも手に入れようとするだろうし、それは他の銀河連合諸国も同様であろうし、帰還者なども同様だろう。
と言うか、帰還者自身も地球準拠環境の惑星については重要視していたようで、エーテルロード接続星系については、かなりの高確率でテラフォーミング可能なレベルの高水準惑星を持つ星系につながっていたのだ。
まぁ、この事が銀河人類の速やかなる勢力拡大につながっていたのだがな。
ましてや、お母様もこの惑星に根付いているのだから、そんな天体事故など、可能性の段階で干渉くらいするだろう。
惑星軌道への干渉……これも、恐らく不可能ではないだろう。
なにせ、小惑星や衛星の軌道調整くらいなら、銀河人類の重力操作技術でも可能だったのだ。
さすがに、惑星の軌道変更ともなると大仰な準備や施設が必要で、その後の影響についても緻密なシミュレーションを重ねた上でとなるのだが、今の銀河人類でもその程度のことは、不可能ではないのだ。
銀河人類の技術で可能なことは、お母様は大抵それ以上の水準で、なんとかしてしまうだろうから、それくらいやってのけても別に驚きには値しない。
その程度には、お母様の持つテクノロジーは桁違いなのだ……。
まぁ、それはさておき、イース……。
さきほど、ちょっと気になることを言っていたぞ?
魔物が強化されるだと?
地竜というのは、魔物ではなかったか?
うむむ、だとすればただでさえ、強そうな地竜がよりパワーアップするということか。
だが、「穢れし夜の陽」とやらが通過するまで待っていたら、恐らく6時間はかかる。
そんなに時間が与えてしまっては、軽くオーカスに辿り着いてしまうだろう。
……つまるところ、地竜はここで直ちに撃破するしかないという事だった。
まぁ、巨神兵の戦闘力がこちらの予想以上だったのは僥倖ではあるのだが、敵の戦力を読めなくなったと言うのは、実に困った状況だった。
せめて飛び道具が使えれば、もっと楽だったのだろうが……。
まぁ、恐らくロックゴーレム同様近接パワー型であろうから、頭数の優位とゴリ押しで叩きのめすしか無いか。
芸はないのだが、こう言う時は、変に奇をてらうよりも真正面からの力押しが有効だったりもするのだ。
「……イースよ。一応聞くが、この場合はやはり、地竜も強化されると思ってよいのか?」
イースにそう尋ねると、思わず絶句したようだった。
「そ、そうですよっ! アスカ様! 「穢れし夜の陽」の光を浴びると魔物は凶暴化するし、従属化していても、言う事きかなくなるし、何より通常よりも高い再生力が備わって、手に負えなくなるんです! うわぁああああっ! バーソロミュー伯爵って馬鹿なの? なんで、よりによって、こんな「穢れし夜の陽」の夜に地竜を解き放ちゃったの? 後先の事、全然考えてないでしょ!」
……私の懸念、見事に的中。
あまり、嬉しくないが……。
「確かに、それは盲点でしたね。ですが実際、地竜はもう見えてきてますし……。どうします? ここは敢えて、隠れてやり過ごして「穢れし夜の陽」が沈むまで手出しは手控えると言うのは? それに制御出来ないと考えれば、軽くちょっかいを出して、伯爵領へ逃げ出すように仕向ければ、向こうは大混乱となると思いますよ」
アークの提案。
割りと慎重派のアークらしい進言だった。
まぁ、それが常識的な対応なのだろうな。
わざわざ、パワーアップ中の敵に挑むなど、馬鹿馬鹿しい。
ただ、制御不能の状態で伯爵領へと逃げられてしまうと、今度は城下町の罪もない民草が大勢犠牲になってしまうだろう。
さすがに、それは私としては不本意である。
こんな全人口かき集めても、1億もいかないような少人数しかいない惑星人類なのだ。
一人だって無駄死にして良い者などおらぬのだ。
だが……「穢れし夜の陽」が沈むまで待っていては、少なくともゴーレムとの合流は果たせるであろうし、そのまま勢いに任せて、オーカスへ突っ込んでいってしまう可能性もあった。
そうなったら、もう目も当てられない。
オーカス市の非戦闘員は、ドゥーク殿達が頑丈な建物や地下室などへ、避難誘導している為、ひとまず安全なようなのだが。
地竜が突っ込んで来たとなれば、もはや犠牲者もどれだけ出るか解らない。
そうなれば、たとえ勝利したとしても、その被害の大きさによりとても勝利とは言えないだろう。
……だが、こうしている今も地竜は、確実に近づきつつある。
決断の時は迫りつつあった。




