第三十話「謀略戦」④
「して、カザリエ……。我々はどうする? 貴様のことだから、すでに色々と考えているのだろう?」
アークを見送ったオズワルドも、今後の方針についてカザリエに尋ねる。
これもいつもの事だった。
オズワルドも独断で話を進めるようなことはせずに、いつもこうやって、カザリエに相談し行動方針を決めていたのだ。
そして、それで失敗したこともなく、オズワルドもカザリエには絶大な信頼を持っていた。
「そりゃ、盛大にお暇を頂いたのでね。ずっと昼寝三昧じゃ申し訳ないんで、しっかりと今後の予想と対応戦略ってもんを色々と考察しておきましたよ……どうぞ、一応これが先程まで昼寝も忘れて作成した我軍の作戦行動予定書です……。是非、お目通しをっ!」
そう言われながら、分厚い紙束を押し付けられると、オズワルドもなんとも迷惑そうな顔をする。
「これは……さ、さすがにこの量だと読むのも大変そうだな。カザリエ……すまんが、この場で概要を……簡単に説明してもらえると助かるのだが……。いかんせん、長々とこんな山のような紙束を読んでいられるほど、私も暇ではないのだよ! 力作なのは認めるが、ざっとで構わん……一言、二言程度にまとめてもらえぬかな?」
オズワルドにとっては、この甥っ子が赤子の頃から見知っているし、その卓越した頭脳や戦略眼については、深く信頼し誰よりも高く評価しているのだが。
このカザリエと言う男……往々にして、他人に自分と同等の知的水準を求める傾向があって、油断していると何一つ理解できないまま、置いてけぼりにされてしまう……そんな事は珍しくなかった。
「……簡単にですか。まぁ、そうですね……ものすごく簡単にまとめますと、まずうちは大所帯ですが、周りを匿名貴族連合軍に囲まれてるってのは、あまり気分も良くないですし、身動きが取れないってのは、実に困りますよね?」
「そうだな……これでは、まるで包囲されているようなものだ。まぁ、バーソロミューも馬鹿ではない……そう言うことだ。必然、当面は大人しくしているしか無いのだが……」
要するに、オズワルド子爵の軍勢はそう言う扱いを受けていた。
カザリエが匿名貴族連合軍と呼ぶ各地の貴族達が送り込んだ義勇軍は、歩兵戦力が中心でまとめ役もおらず、寄せ集め集団以外の何物でもなかったが。
限りなく黒に近い灰色のオズワルド軍の牽制とその行動の自由を奪う為になら使えると言うことで、意図的にその周囲を取り囲むように配置されていたのだ。
具体的には、前後と左翼側はがっつり包囲されており、アイゼンブルグの防衛部隊の最右翼がオズワルド軍の配置だった。
右翼側ががら空きと言えるのだが、その先は大きめの川が流れていて、退路としても迂回路としても、とても使いようがなかった。
その上で、川沿いには軍勢も配置されておらず、それが意図的な隙間だというのは明らかだった。
これは仮にオズワルド軍の右翼側に軍勢を配置したとしても、地形的に退路が限られることで、オズワルド軍にとっては絶好の狙い所になる……恐らくそれを嫌って、意図的に空白域を作った……そう言う事だった。
なによりも包囲殲滅戦を意図する場合は、予め敵の逃げ場を作っておくのは、言わば定石でもあった。
もしも、この状態でバーソロミュー軍との戦闘に突入した場合、必然的にオズワルド軍は川の方へと後退せざるを得ず、そうなったらそうなったらで、確実に包囲の上で殲滅されるのが関の山ではあった。
……配置自体は、なかなかによく考えられていると、オズワルドも感心していたのだ。
「ええ、嫌がらせとしてはなかなかにハイレベルな配置ではありますな。なにせ、このままではイザという時に、四方八方敵だらけでその時が来ても、何も出来ない……そんな状況になってしまうでしょう。なので、ここは陣を敢えて川っぺりに移します……そして、その上で最終的に我らが陣取る場所はここで決まりですな!」
そう言って、地図を取り出し、カザリエが指差したのは、現在地から少し下流で川が大きく「つ」の字のように大きく湾曲したその内側だった。
川によって、左翼側以外の方向が遮られていることで、天然の要害とも言える地形なのだが。
逆を言えば、退路も一切なく自ら袋の鼠に陥るようなものでもあった。
さすがに、その案にオズワルドも目を剥く。
「……それだと、いざという時の逃げ場がなくなるのではないか? 何より、こんな所に引きこもっては、自分から窮地に陥るようなものではないか……。さすがにそれはどうかと思うのだが……」
「ははっ! 叔父上もそう思いますよね? ならば、バーソロミューもそう思うでしょうな。そこが狙いなのですよ!」
「解った、解った! もったいぶるのは、お前の悪い癖だ。すまんが、こんな場所に陣を張ったところで、向こうの負担が減るだけなのではないのか? 我々は、アスカ様がこの場に攻め込んできた時、その助勢となる……その為にこのような扱いに耐え忍んで、この場に留まる事にしたのだ……。そこは、わかっているのであろう?」
「当然ですよっ! だからこそじゃないですか。要するに、我々にはそう言う役割が与えられた……そう思うべきです。実際、我々が陣を動かすとなると、あの連中も一緒についてくるでしょうが、川っぺりなら、少なくとも全周包囲はされないでしょうし、まとめてこの位置まで引き付けられるなら、連中共々ものの見事に遊兵化するじゃないですか……。それに、何もここに全員で引き籠るなどとは言っていませんよ。引き籠るのはあくまで見せかけだけ……。河を使って、兵を下流へと送り込み、バラバラに散開させた上で各所に潜ませて伏兵とする……如何です? これならば、色々やりようがありそうですし、その手の訓練も受けさせているので、うちの兵達なら、それくらい容易いでしょうな」
つまり、カザリエは、この湾曲部周辺に貼り付けられた兵力を釘付けにした上で、少しづつ兵を下流方面へと送り込み、フリーハンド化させる……そう言っているのだった。
敵の目は当然ながら、オズワルドの主力に釘付けになるだろうし、夜闇に紛れて兵を送り出せば、その存在は誰にも気づかれない。
兵を下流へと送り込む方法についても、この河は流れも早くなく、いかだでも川下り程度なら十分可能で、陣地構築のための資材も山ほど用意してきているので、材料にも困らなかった。
ノーマークの兵力がフリーハンド化した上でアイゼンブルグ城の周囲あちこちに潜伏する……その時点で、オズワルド軍の戦略的な価値は極めて高いものとなる。
オズワルドもそのことに気づき、思わず苦笑する。
その上で本陣は、堅牢に固めておいて、陣地化しておけば、実際の兵が少なくなっていたとしても、むこうが迂闊に手を出す事も考えにくく、相当数の兵が釘付けにされることとなる……。
フリーハンドを手にし、その存在を知られていない兵達については、いくらでも使いようがある。
幸いオズワルド軍は、装甲騎士の集団突撃の対抗戦術として、散兵戦術……兵を一塊にして運用するのではなく、少数グループに分けて、散らせ、時に集結させつつ臨機応変に戦う。
そんな戦術を研究しており、相応に形になる程度には熟練していた。
そう言う事なら、オズワルド軍は恐らく最終局面となるであろうアイゼンブルグ城の攻城戦において、多大なる貢献を果たせるだろう。
もとより、オズワルドもこのカザリエの知略については、誰よりも高く評価しているとの自負があったが、その評価が間違っていないと確信した。
「……要するに、あの寄せ集め集団を一戦も交えず戦力外にした上で、こちらは敵にもその存在を伏せた戦力を自在に配置出来る。そう言うことか! まったく、我が甥ながら、なんとも狡猾であるな! いや、さすがだと褒めてやろう!」
「どういたしまして……。まぁ、そう言うことですよ……。どうせ我々の出番は当分先でしょうからね。ここはじっくり、気楽にコソコソっといきましょうや、叔父上殿……。んじゃまぁ、僕はすでに策を預けましたんで、ちょっと昼寝でも……後はいつもどおり、全部叔父上達に丸投げでよろしいですかな?」
まぁ、こう言う人物ではあるのだ。
大本のベースプランを出すだけ出して、細かい事は全部現場に丸投げ。
配下の者達に細々と説明したりもせずに、こんな調子で分厚い紙束をぶん投げて、自分の仕事は終わりとばかりに、引っ込んでしまう……まぁ、それがこの男の常ではあったのだが。
カザリエの言うように、彼に求められる役割はこの時点で十分果たしているのだ。
「ああ……後のことは任せておくがよい。やはり、お前は使えるな……。ガストンのような愚物ではなく、お前を男爵家の跡取りに推したのは、正解だったな」
恐らく、この分厚い紙束には、今後、起こりうるあらゆる想定と、その際の行動指針が事細かく書かれているのだろうとオズワルドも当たりを付けていた。
自分でじっくり読もうなどとは、サラサラ思わないが。
この手の仕事を引き受けてくれる部下には困っていなかったから、オズワルドとしては丸投げにするつもりだった。
総大将たる自分は、概要が解っていれば十分であり、カザリエもすでに仕事は終えてくれている。
何かというと、昼寝やサボりと言うのも今に始まった事ではないので、殊更問題にするつもりもなかった。
「ははっ……あのバカ夫婦に任せてたら、今頃は我が領地もバーソロミューの好きなようにされていたでしょうからね。正直、爵位を継ぐとか面倒で仕方が無かったんですがね……。政略結婚とか回りくどい手を使われちゃ、そうは言ってられないですからね。もっとも、叔父上が色々理解ある方でしたので、僕としては大いに助かりましたよ」
……実際問題、カザリエ男爵領の領地経営については、オズワルドが代官を送り込んだ上での、ほぼ丸投げと言う状態ではあった。
その程度には、カザリエ男爵は領地経営と言うものに意義を見出しておらず、その傑出した頭脳はもっぱら、オズワルドの知恵袋として活用されていた。
それ故に、これまでもカザリエは、バーソロミューのあの手この手の策を見破り、のらりくらりと躱しながら、巧みに戦争も回避し、勝ち組貴族と呼ばれる程度にはうまく立ち回ってこれたのだ。
それが全て自分の力だと思うほど、オズワルドも自惚れてはいなかった。
(……邪教の信者共、そして新たな時代の到来を認めようとしない愚物共……貴様らの好きにはさせんぞ! アスカ様、未だお目通りは叶っておりませんが……。貴女ならきっと節目を変えてくれると……信じております! どうか……神樹よ……我らに勝利を……)
オズワルド子爵も改めてそう誓いながら、雌伏の時を迎える……。
決戦の時は刻一刻と迫りつつあった。




