第三十話「謀略戦」③
「カザリエ男爵のポジション自体が、オズワルド子爵の腰巾着ってことで、誰とも目を合わせずに、一言も喋らなくても誰も不思議に思わない……その上で、重要な席にもちゃっかり同席できる。そんな絶妙な立場だったからですよ。なんと言うか、今回のような状況を想定していたとしか思えないんですが……カザリエ殿も大したものですね」
それは、アークとしても偽らざる思いだった。
その程度には、カザリエの立場は絶妙なものであり、その知られざる実績の数々は、もはや驚嘆に値するものばかりだった。
「あはは……。僕の世間の評判は、怠惰な失格貴族……それでいて、身内のお情けで叔父上の付き人として、使い走りくらいに扱われてる……そんな風に思われてるんだよ。お陰様で実に身軽でいられて、結構な話ですよ」
「……いえ、僕も教会の諜報に携わっていただけに、出来るだけ地味で目立たず、低い評価に甘んじ、決して表に出ないようにしてましたからね。実のところ、そういった立場の方が動きやすいんですよ」
「ほぅほぅ、アークくん……君、只者じゃないって思ってたけど、やはり、そう言うことか。うんうん、君には僕の深慮遠謀についての細かい説明は無用のようだ……。それにその様子だと、ずいぶんと収穫もあったようだね。アスカ様の腹心の一人とのことだけど、アスカ様もなかなかに部下に恵まれているようだね」
「そうですね。あのお方は、いずれこの大陸を統べこの世界を統一する……そんなお方です。当然ながら、お二人については、アスカ様も大変高く評価しているようですよ。もちろん、今回の件にご協力いただいた事も間違いなくお伝えさせていただくとお約束させていただきますよ」
「あはは、お手柔らかにお願いしますよ。でも、悪くないね! アスカ様は君主としてはなかなかの方のようだからね。重用されると色々と大変かもしれないけど、やりがいはありそうだ」
「ええ、それについては同意しますよ。事実、アスカ様もカザリエ殿にもよろしくと言っていましたよ」
「なるほどねぇ……。案外、僕が影で色々暗躍してるのもお見通しなのもしれないね。さて、そうなると……アークくんも早めに出た方がいいだろう。聞いた限りでは、アスカ様はなかなかに拙速を尊ぶお方のようだからね……。何よりも、思ったよりも状況は急速に進んでいるようだ。正直、僕らもバーソロミューを侮っていたかもしれない」
「ええ、情報収集活動としてはもう十分以上の収穫がありましたからね。おっしゃる通り、事は思ったよりも性急に進んでいるようですし、お二人の動向についても、早急にアスカ様へお伝えしないといけないので、この場は取り急ぎ撤収させて頂くとします」
「そうか……もう行くのかね? シュバリエまでの道中は安全とは言い難いし、もう少し調べていかなくてもいいのかね? それにここからだと軽く1週間はかかる。そんなに悠長にしていられるような時間も無いかもしれん……伯爵もあの様子では早ければ、今夜にでも増援を出立させるようだ。ヤツもなかなかどうして、頭が回る……アスカ様も後手に回らなければよいのだが……」
「ええ、そこはよく解っておりますよ。むしろ、このタイミングで敵情を知れたのは、僥倖でした……。慌ただしくて申し訳ないですが、そう言う訳なのでそろそろ……」
「……なるほど、何もかも承知の上で……ということか。なぁ、これは提案なのだが、奴らが増援を出した直後に我らの軍勢で、アイゼンブルグに奇襲を仕掛けるのもありだと思うぞ。私にも、その程度の助勢をする義務があると思うのだ」
「いえ、それには及びません。以降の行動方針は事前に伝えたとおりにしていただければと思います。ああ、時間の問題については、ご心配なく……恐らく今から出立すれば、明日の昼にはシュバリエに着いているでしょうからね」
今の時刻は21時過ぎ……。
バーソロミュー一味は、今頃気の早い戦勝会の真っ最中で、増援部隊の出陣は翌朝以降だとオズワルドも見積もっていた。
もっとも、神樹兵の脚力なら、シュバリエまでの150kmの距離であっても、ノンストップなら丸一日もあれば到着出来る。
アークもそんな風に計算していたのだ。
ノンストップで一晩中時速20km近い速度で走り続ける……この時点で、軽く人間業ではないのだが。
銀河帝国で言うところの強化人間となったアークにとっては、それすらも不可能ではなかった。
「神樹様に選ばれし神の兵……。あの距離を僅か半日足らずで走り抜けるというのか……信じられん話だが……事実なのだろうな。だが、本当に我々はここで、伯爵の味方のフリをして動かないでいるだけで良いのかね? 確かに戦力としては、微力かもしれんが、私達も神樹様の精霊……アスカ様の助力になりたいと考えているのだぞ」
「そうですよ! うちは、皆歩兵ばかりだけど、ドゥーク殿より指南された対装甲騎士戦術を習熟したロングパイク兵とクロスボウ兵が主力だから、時間稼ぎの陽動役くらいなら問題ないと思いますよ。我々が決起すれば、伯爵もその戦力を分割せざるを得なくなり、少しは有利になるはずです」
なお、このカザリエ男爵は、ドゥークを顧問として招聘した際に頼み込んで、期間限定の弟子入りしたと言う経緯があり、それ故にドゥークの歩兵偏重主義を大いに見習うこととし、その領軍の編成についてもその考えに基づき大幅に改革を行っていた。
結果、オズワルド子爵とカザリエ男爵の領軍は、他の領軍と違い徴用兵制度を真似することも無く、常備歩兵を500と言うそこそこの戦力を動員できていた。
他の貴族軍と比較すると、装甲騎士が皆無に等しい以外は、兵の数も多く、士気も練度も高く、実のところその戦力は、かなりの有力戦力ではあったのだ。
それ故に伯爵も予備兵力として拘置した上で、目の届くところに配置する……そう言う方針にしたのだが。
カザリエも、その意図を正確に把握しており、どこで仕掛けるのがアスカにとって都合がいいか……それを念頭に入れた上で、入念な作戦プランを練っていたのだ。
「では、ここに留まること……それが我々への助勢になるとお考えください。戦わずして、伯爵の背後を脅かしプレッシャーを与え、ある程度の戦力を釘付けにする……。それだけでも十分な助勢と言えるのではないでしょうか?」
「戦わずして、敵を拘束する時点で戦力になる……か。確かにそう言う考え方もありだし、こっちとしては、そう言う事なら、兵力も温存できるし、何より楽が出来るね。そう考えると悪くない話ではあるのか……叔父上、どうでしょう? 決起して、完全に敵対するのではなく、いつ決起するかわからない……そう言うグレーな戦力のまま、盤上に留まるというのも、そう悪い策ではないかと」
「貴様は、単に横着をしたいだけであろう? まぁ、いい……我が軍勢の采配については、全てお前に任せているから、お前がそう思うなら、そうするまでだな。アーク殿も……何にせよ時が来れば、我々はいつでもアスカ様の助勢に加わると約束する……そうお伝え下さい」
「畏まりました。恐らくは、戦の最終局面で貴殿らの助勢をいただくことになる……。僕もそう予想しています。では、オズワルド子爵もカザリエ男爵もご武運を……神樹の加護あらんことを」
その言葉でカザリエもアークが何を言いたいか悟ったようで、揃って含みのある笑みを浮かべる。
「最終局面の助勢ねぇ……なるほどね。君達の考えもよく解ったよ……ああ、お気遣いに感謝するとしよう。では、そのように取り計らうとしようか。では、長々と引き止めるのも何だし……叔父上どの」
「ああ、我々も我々の戦いを始めるとしよう……アーク殿、そしてアスカ様に神樹の加護あらんことを! 互いの勝利を祈って!」
「じゃあまぁ、今後とも末永くよろしくって事で……アークくん! 君に神樹の祝福を! ささやかながら、道中の無事と君達の勝利を祈らせてもらうよ」
「こちらこそ……では、これにて……!」
三人が別れの挨拶を交わすと、アークは一瞬でその姿が見えなくなる。
単に走り去っただけなのだが。
身体強化されたアークは、延々休まず、夜闇の道なき道だろうが、お構い無しで疾駆することが出来るようになっていた。
距離にして、およそ150km以上もの道のりだったが、彼にとってはもはや、苦にもならない距離だった。
なにせ、ここに来るまでにすでに一度走り抜けているのだから、来た道をそのまま戻るだけ……。
アスカの言を借りるなら、この時点で軽く人間を辞めているのだが……。
当人は、その事を微塵にも気にせず、むしろ誇りにすら思っていた。




