第三十話「謀略戦」②
……その後、流れで宴席へとなり、バーソロミュー伯爵とその取り巻き貴族達は、勝ってもいないのに祝杯を上げ、そのまま乱痴気騒ぎに移行していたのだが。
オズワルド子爵は、配下の軍勢の様子を見に行くと称して、その腰巾着と評判のカザリエ男爵を連れて、早々と宴席を切り上げていた。
「オズワルド子爵殿……。ありがとうございました。おかげでアスカ様に貴重なナマの情報を持ち帰れそうです。変わり身を承諾いただいた、カザリエ男爵にも篤く礼をお伝えいただければと思います。しかし、あの様子では、伯爵はオズワルド子爵を味方とは思っていないようですね」
オズワルド軍の駐留地の片隅の人目につかない場所に来るなり、カザリエ男爵の姿がみるみる変わり、どこにでも居そうな少年……アークの姿に成り変わる。
「礼なら、僕に直接言ってくれよ! アーク君。やれやれ、自分が歩いてくるのを見るというのは妙な気分でしたよ。そうなると、誰気兼ねなく昼寝できるこのテント生活もこれまでと言うことですかね……思った以上に、快適だったんですがねぇ……」
それと同時に、近くに張られていたテントから、メガネを掛けた眠そうな顔をした若い男が顔を出す。
こちらが本物のカザリエ男爵だった。
なお、趣味は昼寝と読書と豪語するような勇猛さなど欠片もなく、むしろその怠惰さで有名な貴族で、服装にも無頓着で、一応生地などは上質なものではあるのだが、何日も同じ服を着続けていた事で、あちこちシワだらけで、ところどころに何の染みだか良く解らない染みがあったりと、ぱっと見では、貴族というよりも、浮浪者と言われた方がまだ納得できる……そんな姿だった。
なお、アークもそんな小汚い服装にはせずに、割りと小綺麗な服装を着込んでいたのだが。
幸い腰巾着の付き人同然のカザリエにそこまで注意を払っているものはおらず、結果的に誰にも見咎められることも無かったのだ。
もっとも、こんな見かけながら、政治戦略家としては極めて有能な人物ではあるのだ。
彼の才覚を示すエピソードどしては、港湾都市ルペハマにて起きた市長の代替わりに伴い起きた政変への見事なまでの対応が挙げられるだろう。
ルペハマで起きた政変……それまで、悪徳貴族の後援者的な立場で、ルペハマの先代市長の唐突な死。
そして、その娘が後釜に入るなり、ルペハマの独立都市化を宣言したのだ。
……だが、ルペハマ自体は元より貴族ではなく、商人達の代表者……市長がその統治を担っているという特殊な政治形態だったのだが。
それでも、大貴族たちとべったりと癒着することで、腐敗の温床と化していたのだが。
貴族の息のかかった役人や公務員なども、同時にまとめて行方不明となり、事実上の無欠クーデターにより、貴族の影響力を廃した独立都市というべきものへ変貌を遂げたのだ。
当然ながら、その恩恵に預かっていたバーソロミュー伯爵あたりは激怒し、軍勢を向かわせようとしたのだが。
オズワルド子爵は、カザリエ男爵の進言でいち早くその後ろ盾になる事を宣言した上で協力関係を締結し、自らの軍勢を立ちはだからせる事で、バーソロミューの軍勢を戦わずして追い返したのだ。
この事がきっかけで、オズワルド子爵はルペハマとの太いパイプを形成し、その強大な経済力を取り込むことに成功していた。
そして、近年の熱波による不作で周囲の貴族達が経済的に沈んでいく中、やはりカザリエの助言でいち早く主要農産物を熱波に強い農作物に切り替え、街道整備や治安維持や治水などに優先的に予算を投入することで、農民や商人の支持を得て取り込むなど、キモを抑えた施策で他の貴族領よりも随分とマシな状況に導いていた。
それらの源泉がカザリエ男爵であり、オズワルド子爵がこれまで致命的なミスやバーソロミューに付け込まれる隙を一切見せなかったのは、彼の入れ知恵によるものが大きかった。
オズワルド子爵にとっては甥っ子ながらも、実の息子同然に可愛がっており、まさに腹心、懐刀と言えた。
そして、今回アークはアイゼンブルク城の潜入調査の協力を二人に要望し、当初はその断りを得るだけのつもりだったのだが……。
そう言う事ならと、カザリエ男爵は自分の姿に成り代わって、堂々と会議にも列席すればいいと言い出して、自分は兵隊達に混ざって、野外テント生活を送りつつ、昼寝に読書三昧と言う怠惰な生活を満喫していたのだった。
実際、アークはバーソロミュー伯爵の生の声を聞き、その切り札たる地竜と12体のロックゴーレム、更に炎神教団の出兵と言う数多くの貴重な情報を得ることに成功していた。
当然ながら、これはアスカのオーダー以上の成果であり、アークも自分の仕事に満足していた。
「そうだな、すまんがまた色々と仕事してもらうぞ。だが……こっちはいつバレるのではないかとハラハラ物だったんだぞ。カザリエの幻術もだが、アーク殿の認識阻害術も実に大したものだったな。伯爵はもちろん、お抱えの魔法師共も微塵にも怪しむ様子はなかったのだからな……」
「ま、まぁ……僕としては、バーソロミュー伯爵が今にもオズワルド子爵殿に殴りかかってくるのではないかとハラハラしてましたけどけどね。……なんと言うか、結構無茶しますね。いつもあんな調子なのですか?」
「うむ、いつものことだな。アレと私は自他ともに認める仇敵同士と言えるのだからな。なぁに、どうせあの場で殴りかかってきたら、一騎打ちの口実にして、叩き切っていたまでよ。そうなれば、むしろこっちのものだったのだがな……。もっともヤツもそれくらい弁えているからな……度々挑発しているのだが、乗ってきた試しもない。ヤツ自身は私のように武人として修羅場を潜ったことなど一度もない……。軟弱な木っ端貴族共と大差ないのだ……。だが、本当に見事なまでにカザリエになりきっていたのだな。迫真の演技だったぞ……うむ! お見事だった!」
……迫真の演技とか言われても、黙って存在感を消して、オズワルドの背後で佇んでいただけで何もしていない……そんな風にアークも思っていたのだが。
この存在感が薄いと言う特技は、生来のものであり……点呼で自分の番が飛んだのに、誰も気にしていなかったり、 自分の分の食事の用意がなかったりなどは日常茶飯事ではあったのだが。
アスカも気づいたように、それは諜報員としては得難い才覚であり、実際その才能は今回の任務では、遺憾なく発揮されていた。
「そうだねぇ……。アークくん……歩き方や仕草や口調まで、僕をそっくり真似てたしね。若いのに大したものだよ。まぁ、僕も普段からあまり目立たないようにしてたから、誰も注目してなかったんだろうな。ん? これって本来なら嘆く所かな……?」
このカザリエの男爵領も実のところ、かつては後継者問題で揺れていて、カザリエの姉に当たる長女の婿殿が男爵家を継ぐか、長男であるカザリエが継ぐかで散々に揉めていたのだ。
なお、その長女の婿殿は、バーソロミューの外戚に当たる者で、男爵家の乗っ取りを企んでおり、それ故にその爵位継承については相応に揉めたのだ。
曰く、カザリエでは爵位継承者の重責を担うにはあまりに未熟で頼りなく、その上本人もまるでやる気なし……半ば自ら蒔いた種のようなものではあったのだが、当然のようにそこに付け込まれる形で、カザリエも廃嫡寸前にまで、追い込まれていたのだ。
だが、叔父に当たるオズワルドがカザリエの後見人として名乗りを上げ、長男であるカザリエを跡継ぎに据えるのは当たり前の話だということで、長女夫婦を問答無用で黙らせて、先代男爵も目上であり、義兄でもあるオズワルドには逆らえず、話もそれで落ち着いたのだった。
もっとも、カザリエ自身に対する貴族社会での評価は、何もしない、何も出来ない無能者と言う散々な評判が流れていた。
要するに、失格貴族。
この王国では領地の統治をしない貴族など、別に珍しくもないのだが。
カザリエ男爵領もその統治はオズワルド配下の代官が回しており、事実上オズワルド子爵領に合併されたような有様になっており、当の当主は毎日遊んでいるようにしか見えず、貴族社会の誰もが跡継ぎの選定ミスだと口にして憚らなかった。
そして、オズワルド子爵の行く先々について回っているのも、無能すぎて自分の領地に居場所がないからと言われており、オズワルドもカザリエの手柄をことさら吹聴したりせずにいたので、貴族社会や王家からほぼノーマーク。
それどころか、むしろマイナス評価を下されていたのだが。
カザリエはそんな評判が広がるように意図的に無能者として振る舞っていたし、オズワルドもまたカザリエについては、表向きは手のかかるボンクラ甥っ子のように扱っていた。
しかしながら、オズワルドはカザリエの知識と知謀を誰よりも高く評価していたし、実のところ見えないところでは、目一杯甘い親バカのような対応をしていたのだ。
何よりも、自分の立場が低く扱われ、なるべく低く評価されるようにと進言したのは、他ならぬカザリエ自身だったのだから、世話なかった。




