第二十九話「バーソロミュー伯爵」③
さて、その前に……。
まずはこのライオソーネ王国の情勢についての説明が必要だろう。
この王国の貴族は、大きく分けて二つの勢力が存在していた。
一つはアルギス派。
バーソロミュー伯爵らは、アルギス第二王子と言う王家の次男坊を次代の王として担ぎ上げるアルギス派に属しており、国内の有力貴族の大半がアルギス派だった。
アルギス王子は年齢の割には精神的にも幼く、何ひとつ秀でたものもなく、権力志向で歪みきった精神の持ち主で、誰がどう見ても国王としては使い物になりそうもなかったのだが。
神輿は軽い方が担ぎやすいと言う事で、本来継承権が低いにも関わらず、貴族達の多くはアルギス王子を支持し、大物貴族の多くが彼の後見者に名乗りを上げていた。
その上で、しきりにアルギス王子を時代の王にと騒ぎ立て、遠回しながらも現王の退陣を事あるごとに主張しつつ、着々とアルギス王子戴冠の下準備を進めていた。
一方、本来の王位継承者であるオルシス第一王子は、極めてまともで文武両道に秀でた温和な人柄の好青年で、平民や騎士階級、下級貴族達は当然のようにオルシス王子を支持しており、何よりも彼は敬虔なる神樹教徒であり、神樹教会と現王と言う強力なバックを持っていた。
そして、このオルシス王子を支持する側は、オルシス派とも呼ばれていた。
なお、アルギス派は侯爵や公爵と言った上級貴族達に代表される南部貴族達が、その主要な支持層となっており、北部貴族は神樹教会に近い貴族も多く、本来はその大半がオルシス派になっていてもおかしくなかったのだが。
北方貴族の雄バーソロミュー伯爵と言う大貴族が睨みを利かせている関係で、その多くは表面上はアルギス王子を支持せざるを得なくなっていたのだ。
もっとも、そのバーソロミュー傘下の貴族も、ユーバッハは自らの領地をアスカに譲り渡すような形で死亡し、その盟友、ホドロイ子爵も全軍率いて戦を仕掛けた結果、その軍勢は壊滅し、本人も行方不明となってしまった……。
その上、ホドロイ子爵の領地であり王国北部でも交通の要所と言えるオーカスは、民衆の反乱でバーソロミュー伯爵の手勢は駆逐され、伯爵の盟友にして腹心だったベスター男爵は市民虐殺の首謀者として、死後の名誉すらも奪われて、その死体すらも野ざらしのまま朽ちるに任せる……そんな無惨な最期が確定してしまっていた。
もっとも、この場にいる貴族達の多くも、オーカスの市民虐殺を命じたのは誰か……それはよく解ってはいたのだ。
それ故に、たった今伯爵が下した我が身可愛さ故のトカゲの尻尾切りは、その場にいた貴族達すらも明日は我が身と痛切に実感させ、その時点で確実にその求心力は低下していたのだ。
……いずれにせよ、バーソロミュー伯爵は、かつては多大なる影響力を誇っていたのだが、一連のアスカとの攻防でこの短期間でその勢力を激しく削られることとなったのだ。
だからこそ、バーソロミュー伯爵もこの戦いは負けられない戦いだと認識し、もはや不退転の決意で望んでいたのだ。
……なにぶん、貴族の大半はこの戦いに対し、基本的に日和見を決め込んでいたのだが。
この戦いの趨勢には誰もが注目しており、万が一バーソロミュー伯爵が敗北するような事があれば、日和見を決め込んでいる貴族達が一気にオルシス派の旗を掲げる危険すらあった。
そうなってしまえば、少なくとも王国の半分以上がオルシス派となり、元々継承権を無視して、ゴリ押しで話を進めようとしているアルギス派にとっては、極めて厳しい情勢となるのは目に見えていた。
「国王陛下を耄碌呼ばわりし、神樹の精霊を侵略者扱い……。さすがに私にはそこまでの勇気はございません。いやはや、とても伯爵殿の真似はできませんよ……。もっとも、真似をする気もさらさら無いですがね。ああ、ご安心を……今の暴言は、何も聞かなかったことに致しますので……。私もそれくらいは弁えておりますよ」
……明らかな失言に対しての余裕といった調子の態度。
バーソロミューも怒りのあまりに、反射的にオズワルドの胸ぐらへ掴みかかろうとしたほどだったのだが。
そもそも、体格差があり過ぎて、正面から殴り合ったとしても勝負にならないのは目に見えていたし、そんな事をしても何の意味もなかった。
むしろ、そんな事をしたら、正々堂々たる貴族同士の決闘で決着を付けようと言う話になってしまい……そうなってしまえば、この元A級冒険者にして、剣豪としても名を馳せたオズワルド子爵に、伯爵が敵う道理は何一つとしてなかった。
「……そ、そうだな。すまんが、そうしてくれるとありがたい。すまぬな……吾輩も気が立っていたようだ」
「いえいえ、怒りに任せていては正しい判断も下せませんからな。冷静になられたのであれば何よりですよ」
「ふん、吾輩がそこらの木っ端貴族のように思っているなら、心外だな。だが……貴殿もこのままで良いと思っていないのであろう? いいか? 我ら北方貴族同盟は、王国に仇なす脅威へ立ち向かうために手を携えあったのだ。貴殿にも思うところもあるだろうが、よもや今になって、吾輩の方針に否とは言わんよな? どうなのだ……? そこだけははっきりしていただかないと、こちらも困るのだよ」
「いえいえ、それはむしろ当然の話ではないかと。よろしいですかな? 私は伯爵の提唱された王国の秩序の守り手となる……その構想に賛同したのです。そして、国王陛下にも我ら貴族あってこその王国なのだと、改めて思い知ってもらわねばなりません。だからこそ、この民衆たちとの戦い……敗れることがあってはいけない。そう言うことなのでしょう? すでに虐殺の首謀者たるベスター男爵へは、相応の死後の不名誉でもって処分を下した……ええ、勇気ある決断だと称賛させていただきます。であれば、堂々としていればよいではないですか……。なぁに、何も民衆達を皆殺しにせずともよいのですよ。ある程度痛めつけたところで、寛容なるお心で許すと語ればよいのですよ」
……てっきり、反抗的な言葉が返ってくるかとバーソロミュー伯爵も思っていたのだが。
オズワルド子爵は、むしろ肯定的かつ、好意的な言葉を返してきた事で、伯爵も思わず拍子抜けしたようになる。
……捕らえどころがない曲者。
押せば退く、退けば押し出してくる……まさにそんな例えがぴったりだった。
立場的にも地政学的にも、オズワルド子爵はバーソロミュー伯爵と敵対するのが、むしろ当然の立場で、その敵意すらも隠そうとしていないのだが。
この男……こんな風に反対意見を述べたと思ったら、肝心なところで意見を同調させて、バーソロミューの味方であると解りやすくアピールしてくるのだ。
そのあからさまな面従腹背そのものと言った態度に不愉快なものを覚えつつも、伯爵としては立場上、その言葉を続けるしかなかった。
「そうだ! この戦いは、平民共に自分達の立場を思い知らせる為の戦いでもあるのだ! 何よりも王国内にあんな訳の解らない者共が貴族を蔑ろにして、勝手に平民共の国を作るなど許しがたい! 言語道断といえよう! 皆の者よ! これは正義の戦いなのだっ!」
平民あってこその貴族であり、正義が聞いて呆れる……オズワルド子爵も内心ではそう思いながらも、この場で事を荒立てるつもりもなく、鷹揚に頷きながら、湧き上がった万雷の拍手に合わせて、自らも手を打ち鳴らした。
こんな調子で、オズワルド子爵はコウモリのような変節漢を演じながら、時にあからさまな毒を吐きながらも、のらりくらりとバーソロミュー伯爵の追求を躱し、決定的に敵対することもなく、他の貴族達に対しても、礼を尽くし最低限の義理を果たす事で、その敵意を受け流してきていた。
何と言っても、この辺りの領主達も港湾都市のルペハマに出るには、オズワルド領を通過する必要があり、表立って敵対するとルペハマとの往来が経たれる事で経済的に死ぬ……と言う現実的な理由もあった。
要するに、誰も好き好んでオズワルドを敵に回したくはないのだ。
どうみても、バーソロミューの敵ではあるのだが、敵に回すには厄介過ぎる……そう言う事だった。
なにぶん、バーソロミュー伯爵もその辺りの事情は似たようなもので、それ故に決定的な対立までは至っていないのだ。
何よりも、オズワルドも今回の討伐の呼びかけに応じる形で兵も出しており、大量の物資提供まで行っていて、十二分に義理は果たしていたのだ。
その上で、バーソロミュー伯爵の主張についても真っ向から否定する言動もなく、先の言葉にしても、些か毒混じりではあったものの、現実を見据えた上での言わば、助言のようなものだとも受け取れなくもなかった。
もっとも、それはあくまで表向きの話であり、伯爵の盟友ベスター男爵に対する処分を伯爵自身から引き出させそれを公約扱いにするなど、多分に悪辣なところはあった。
実のところ、バーソロミューがオズワルドに言ったベスター男爵への処分は、口先だけのつもりだったのだ。
その上で、ベスター男爵の遺体返還は武力に訴えてでも為すべきだと考えていたし、ベスター男爵を殺した平民達は皆殺しにすべき……それが伯爵の本音だった。
だが、そんなオズワルドの元にドゥークの使者が訪れているなら、その口だけのつもりだった処分は間違いなく実行に移される。
……そうなるように仕向けたオズワルドも大概であり、この場で刃傷沙汰になっていないのが不思議なほどではあった。
もっとも、このような心温まる関係は、この国の貴族社会では珍しくなかったし、多分にお互い様と言えた。
他の貴族達も胡乱な目で見ているのはオズワルドも承知していたが、付け入る隙を見せるほど、馬鹿ではなかった。
「……貴族の利権を守るための正義の戦い……実に結構なことではありませんか。それよりも……此度の戦の話をさせていただくべきかと。まず、確認ですが、私とカザリエ男爵の隊は、今回の戦については、当初の予定通り後詰と言うことで、ここアイゼンベルク周辺の防衛任務に当たると言う事でよろしいですかな?」
オズワルドもいつも通り調子を合わせて、受け流す事にしたようだった。
バーソロミューは怒り心頭といった様子だったが、実務的な話が始まってしまえば、それに応えないわけにはいかなかった。




