第二十九話「バーソロミュー伯爵」②
「よさないか……。今そんな事を言ったら……」
傍らに居た貴族がオズワルドを窘めようとするのだが、オズワルドに一瞥されただけで、その者はそれ以上何も言えなくなってしまった。
……なにぶん、迫力が違う。
2m近い巨躯と鍛え上げた肉体。
彼は若い頃、冒険者として各地を練り歩いていたのだが。
その剣の腕は折り紙付きで、A級冒険者の一人として名を馳せたほどの実力者だった。
その気になれば、素手で人を殺すくらい訳ない武闘派貴族。
まさに、貴族らしからぬ貴族。
それがオズワルド子爵の人となりであり、評判でもあった。
それ故に、この男が発言を始めると、周囲で伯爵を褒め称えていた貴族達は、誰一人として目すらも合わそうともせず、その発言を止めようとした者も睨まれただけで、沈黙してしまっていた。
「……今だからこそ、言うべきことではないですかな? そもそも、シュバリエの民衆の反乱と言いますが、シュバリエにて建国された神樹帝国については、反乱ではなく、あくまで独立であり、事実……彼の国を独立国として認めるとの国王陛下直々のお言葉が出ております。オーカスの反乱については、全軍出撃等と言う無茶をし、オーカスをがら空きにした末のむしろ当然の結果です。おまけに、無抵抗の市民を虐殺したなど……。さすがに、これは申し開きのしようもないでしょうな」
「い、言い過ぎであるぞ! そもそも、虐殺と言ってもそんな証拠は……」
「証拠も何も、単なる市民集会だったのに、そんな中に騎兵を突撃させ虐殺を行った……この時点で申し開きなど出来ないでしょうよ。まぁ……虐殺を命じたベスター男爵は市民に殺された挙げ句、城壁から吊るされているようですがね……。しかし、伯爵殿も部下の暴発とは災難でしたな……。ああ、当然でしょうが、伯爵殿もそのような愚劣な命令は出しては居ない……ベスター男爵は勝手働きの上で、不名誉な最期を遂げた……そう言うことですよね?」
市民虐殺の首謀者にして、伯爵の腹心でもあったベスター男爵の最期を引き合いに出されたことで、伯爵も呪い殺さんばかりの目線をオズワルドへ向けていたのだが。
唐突に、冷水をかけられたように冷静になったようで、咳払いをするとオズワルドへ向き直ると歩みを進める。
……体格的に頭一つ分くらいの差があって、重鎧を着込んで帯剣までしたオズワルド相手では、些か迫力負けしていたのだが。
それでも、怯むこと無く相対しているのは、伯爵もまた数多くの修羅場をくぐってきた故にだった。
「あ、ああ……そうだな! 吾輩もあのバカのお陰で酷い言われようだ! そうだ……奴には死後の名誉もない……男爵号も剥奪の上で、その死体についても返還交渉などは行わない予定だ……。まぁ、あんな愚か者……貴族の面汚し以外のなにものでもない! ……捨て置けばいいっ! 良いか皆の者……金輪際、奴の名は出すな……これは命令だ!」
そう言いながらも、歯ぎしりをし、拳を血が出るまで握り込む。
ベスター男爵は、伯爵配下の貴族の中でも子飼の部下と言える者で、伯爵が若い頃、近衛騎士団に従事していた頃からの付き合いだったのだ。
そんな盟友と言うべき腹心が無惨に殺されて、その内心が穏やかなはずは無かったのだが。
それを表に出さないほどには、伯爵も理性というものが残っていた。
「それは、実に賢明な判断で……。あのような愚物を我ら貴族と同列に扱うなどありえませんからな。実を言うと、ドゥーク殿からベスター男爵の死体を返還したいと言う申し出の使者が我が領軍の陣地にやってこられたのですよ。どう返答すべきか、今の今まで判断に窮していたのですが。そう言うことであれば、伯爵のお言葉をそのまま伝えるとします。いやはや、お伝えするのが遅くなりまして申し訳ありませんなぁ」
……その場にいた貴族達ももはや逃げ出したくなるほどには、両者の間には殺気にも似たものが飛び交っていた。
「……オ、オズワルド……貴様ぁああっ!」
「おやおや、どうなされましたか? たった今、口にされた伯爵ご自身のご指示通りにさせて頂くと言うだけの話ですよ。まさか、口先だけのおつもりだったのでしょうか?」
この場はどう見ても、オズワルドが狡猾だった。
相手の言葉を逆手に取って、ベスター男爵の名誉を徹底的に貶める。
……オズワルドの意図は明らかだった。
なにせ、爵位剥奪の上で、その死体すらもゴミ扱いし、捨て置かれる。
それが貴族にとってどれくらい不名誉な事か……それが解らないような者はこの場には一人としていなかった。
そして、当然ながら、こうなると伯爵も泥を被ることになる。
……死んだ配下の名誉も守らないという悪評が下されることになるだろう。
この時点で、伯爵が失ったものはあまりにも大きく、そう返答するように差し向けたオズワルドも大概だった。
「……あ、ああ、そうだ。わ、吾輩が指示したと言って良いぞ。……だが、ドゥーク将軍も死体の返還を申し出るとは感心なヤツだな。平民の分際ながらも、一応は貴族の名誉というものをわかっているのだな……。だが、それだけに、ここは敢えて厳しく対処せねばいかん……。そうだ! 吾輩の命令に逆らうなど……言語道断であるからな!」
実のところ、見せしめに市民を虐殺するように命じたのはこの男……バーソロミュー伯爵本人であり、ベスター男爵は伯爵の命令に忠実だっただけに過ぎなかった。
オズワルドもそれを解った上で、死者の名誉を貶めるような発言を重ねており、バーソロミューもあくまで自分は無関係だと言う事を明言の上で、腹心のベスターを切り捨てるより他なかったのだ。
当然ながら、二人はお互い憎みあっており、この場で呉越同舟となっていること自体がそもそもおかしい……そんな状況ではあるのだ。
「さすが、それでなくてはなりませんな。いずれにせよ、事の発端となったシュバリエ市についても、現在は神樹の精霊の保護化にあるという話ですからな。オーカスも確実にその影響を受けていたようですし、こうなると神樹帝国ももはや伯爵殿の隣人のようなものですからな。あからさまに悪し様に言うのはどうかと思いますよ」
「……オズワルド子爵殿……貴様は一体何を言っているのだ? それは単に神樹教会の奴らが国王陛下に吹き込んだ戯言に過ぎん。我ら貴族の多くは、反対したにも関わらず、あんな訳の解らない国を独立国として承認するなど、現王陛下も耄碌した……。前々から言われていたように、早いところ、玉座を譲り渡すべきなのだ」
「そ、そうですぞ! オズワルド殿……考えてみるがいい……。全て……あの神樹の精霊とやらが現れてからおかしくなったのだ。我が領地でも農民たちが集団脱走をし始めたり、商人が破産したりと酷い事になっているのだ。どう考えても、あれは邪悪なるもの……王国を滅ぼさんとする侵略者以外の何だというのだ!」
この場にアスカがいれば、ご尤も……と答えていただろう。
アスカはその程度には領土的野心を隠そうともせずに、着々と周辺地域に食指を伸ばしていたし、周囲の農村からも続々と農民たちが肥沃な農地を与えると言うアスカの甘言に乗って、秘密裏に集団移住を始めていたのだ。
そして、神樹教会も迂遠な表現ながらも、神樹の精霊の導きに誰も従うべきだと堂々と発言して憚らず、市井の誰もがそれを歓迎しているフシもあるのだった。
そして、そんな声は貴族の一部にも及んでいて、あろうことか王家の王族達ですらも、その呼びかけに迎合しようという動きがあるのだ。
アスカの存在は……この王国に住まう者達にとって、ある種の試金石とでも言うべきものとなりつつあったのだった。




