16話。侯爵は言っている。好きにやれ、と。
『ご主人様。ただいま戻りました』
「そうか、今行く」
トロスト姉妹を買い物に出すようになって数日後のこと。関係者以外立ち入り禁止にしてある中部屋で、侯爵から届けられた薬品の中から各種成分を摘出している俺の下に、買い物から帰ってきたエレンから帰還の報告が入った。
「ではこちらが頼まれた品にございます」
「おぉ、すまんな」
一度作業を取りやめて自室である大部屋に戻ってエレンを出迎えた俺に、エレンは俺に頼まれて買ってきた『普通の準男爵が普段身につけるような装飾品』を手渡してきたので、感謝しながらそれを受け取る。
「……いえ、これもお仕事ですから」
すると言葉をかけられたエレンは、一瞬言い淀んだ後で何事もなかったかのように頭を下げた。
「ん? 何かあったのか?」
いつもならここから「頭を撫でて!」と言わんばかりに頭を差し出してくるのに? と疑問に思った俺は軽い気持ちで確認をしたのだが、ここでエレンの口から出た言葉は、知らず知らずのうちに緩んでいた俺の警戒心を呼び起こすのに十分な衝撃を俺に与えることになる。
「何かあったと言いますか、なんと言いますか……いえ、私は気のせいだと思うのですが、その、ヘレナが」
「ヘレナが?」
「……はい」
なんとも言えない表情をしながらなんとも自信なさげに不明瞭なことを言うエレンだが、俺の中では『異世界などで『気のせい』というフレーズが出た場合、高確率で『気のせい』ではない』という統計が出ている(あくまで俺の中で)し、そもそも剣と魔法と科学が混在する世界に於いて万事に気を使うのは当然のことであり、そこに使い過ぎるという言葉は無いと思っているので、俺はエレンの言葉を『気のせい』で済ますつもりはない。
それに、だ。物事を調べたうえで何も無ければ『何もなくて良かった』で済むが、調べもせずに誰かが仕掛けた罠に嵌って、自分や身内の血と涙を流すことになるなんてのは許容できんぞ。
「ヘレナ。説明を頼む」
――物語として見るならば『起・承・転・結』があったほうが面白いかも知れない。しかしだからと言って物語を面白くするためだけに目の前にある落とし穴に嵌るのはただの阿呆でしかないのだ。もし自身がそんな阿呆であると判断されてしまえば、今後の生活に差し障りが出ることを理解している今の神城に、油断も慢心も無く、その目にはただ『己に降りかかる火の粉は全力で払う』という決意が見え隠れしていた。
そんな視線を向けられたヘレナは一瞬ビクっとするが、彼女としても『気のせいだ』と言われて放置されて後々危険な目に遭うよりは、今のうちに対処してもらった方が良いのは確かなことなので、ヘレナは「少し過剰な表現になっても仕方ないよね!」という覚悟のようなものを決めて報告をすることにしたのであった。
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「はい! 実は今日だけではなく、最近のことなんですが……」
「ほう」
「買い物中とか、私たちに対してなんだか怪しい視線を感じるんです!」
「……怪しい視線とな?」
「はい!」
これまたなんとも判断が難しい話であった。なにせ何度も言うようだが、エレンとヘレナは紛うことなき美女姉妹なのだ。
そのため、彼女らが連れ立って歩いていれば注目を集めるのはある意味で当然のことだし、女二人ということもあるので、その視線が彼女らをナンパしようと目論む男どもからの視線である可能性は否めないだろう。
「私も視線は感じていましたが、特に何か動きがあったわけでもないですし、ヘレナの気にし過ぎではないかと思ったのですけど」
「けど?」
「あの厭らしい感じの視線は実家にいたときによく感じてましたから間違いありません! あれは絶対に私たちを性的に狙ってる男の視線です!」
「と、このように申しておりまして」
「……なるほど」
この場合、王城に居て様々な人間から様々な視線を向けられることを経験していたエレンはある意味でこういった視線に慣れていることもあるし、今は神城という拠り所があるので特に気にならないのかも知れない。
しかし、そういった経験が薄いヘレナにしてみれば我慢の限度を超えているのだろう。
だが、現在神城の手元にある情報は彼女らが感じた視線だけ。
「視線、な」
自身に報告をしているヘレナとエレンの温度差を見て一瞬(考えすぎたか?)と考えた神城であったが、元々彼は向こうにいた時から『営業先の相手に対して気を使い過ぎるほどに使うことに定評がある男』である。(そもそもそういう細かいところに気が付く人間でないと、常備薬の営業には向かない)
そうした意味では神経質で心配性な神城が、ヘレナの憂慮していることを放置するなど有り得ない。付け加えるならば『買い物に行っている美人姉妹を、上位貴族が狙う』なんてシチュエーションは今までいくらでも(ラノベで)見てきたこと。
そう考えれば、ヘレナが視線を感じている場所が一般市民が多くいる教会だのギルドではなく、貴族御用達の店がある区画というのも、問題に成り得る要因であると気付くことができた。その問題を解決するための手っ取り早い方法と言えば、
「ふむ。なぁルイーザ殿?」
当然『偉い人に頼る』である。
「はい?」
今まで二人の報告を黙って聞きながら、内心では『後から報告のやり方を教えなければなりませんね』と溜息を吐いていたルイーザは、急に自分に話を振られたことに驚きの声を上げた。
ちなみに彼女の中では話題に上がっている視線の主は『トロスト姉妹を見て欲情している変態』という結論が出ており、また「手を出されたわけでもないなら放置で良いのでは?」と思っていたりするのだが、この辺の危機感の差異は当事者と傍観者の違いだろうか。
口に出したらルイーザから凄い形相で怒られること間違いなしな考察はさておくとして。神城は自分が懸念していることを聞いてみることにした。
「もし、そのエレンやヘレナに視線を向けている連中というのが王都の貴族で、その爵位が男爵や子爵。もしくは伯爵や侯爵といった感じで、私より高位の貴族だった場合についてです。その場合私はどう動くべきだと思いますか?」
「あぁ。それを懸念されておりましたか」
「「?!」」
話を振られたルイーザから見ても神城の懸念は尤もである。たとえ相手が下衆な変態であっても、上位貴族に逆らうのは拙い。故に相手が上位貴族の場合、神城が取るべき手段は『関わらないこと』である。
「一応言っておきますが『見捨てる』だとか『泣き寝入る』という選択肢は除外していただきたい。たとえ彼女らに頼まれても私は彼女らを手放す気はありませんので」
だが質問をした神城も、そんな常識論は重々承知の上でルイーザに意見を求めていた。
「やった! さすがご主人様っ!」
「……はぁ」
一瞬『相手が上位貴族なら見捨てられるかもしれない』と不安を覚えたヘレナは、続く神城の言葉を聞いて喜びの声を上げ、エレンに至っては、そのまま服まで下ろして寝室に飛び込んでいきそうになるのを『今はご主人様とルイーザ様の会話を邪魔してはいけない!』と考えて、なんとか必死で抑えていたとかいなかったとか。
そんな姉妹の内心を知ってか知らでか、ルイーザは神城からの問いに対して、彼女の常識を踏まえたうえで自分なりの理想の答えを返す。
「相手の立場が王都の法衣子爵まででしたら、ご主人様の独自の判断で処理して頂いて問題無いかと」
「ふむ。それ以上の場合は?」
「侯爵閣下へ連絡し、協力を仰ぐべきですね」
「……なるほど」
王国に於いて上位貴族の持つ権限は下級貴族の持つそれを大きく凌駕する。さらに資本力や兵力などの総合的な影響力を見れば、比べることすらできないほどの差がそこにはあるのだ。
故にどれだけ神城が言うことが正しくとも、国としては上位貴族の肩を持つことになるのは明白。一応異国の貴族であり国家の客人でもある神城が一方的に潰されることは無いだろうが、それでも大幅な譲歩を求められることは明白である。
だからこそ『相手が上位貴族であっても放置も泣き寝入りもしない』という形で問題解決を図るならば、後ろ盾であるローレン侯爵家が動く必要が出てくるわけだ。
ただまぁ、一般的に考えれば、上位貴族同士の争いとはそのまま派閥を巻き込んだ政争となる可能性を孕むものだから、普通は互いに争いを避けようとするのが常識。
それなのに、まさか侍女を巡って侯爵家と争う家があるとは思えない。というのがルイーザの考えであった。
ついでに言えば、確かにエレンとヘレナは美女・美少女と言っても良い器量を持っているが、それでも上位貴族が存亡を懸けてまで得ようとするほどの者ではないのだ。
それに上位貴族が関わっている場合『数日の間様子見に済ませる』などといった消極的な行動はしないと判断したのもある。
なにせ上位貴族ならば、数日あれば『姉妹がローレン侯爵家の持ち物であった邸宅に住む貴族に仕えている』という情報を得ることは簡単であり、そのうえでトロスト姉妹が欲しいというのなら、とっくにローレン侯爵家に対して何かしらのアプローチを仕掛けているはずだからだ。
それらの事情を考慮したうえで、上位貴族が動いていないことを半ば確信しているルイーザが『法衣子爵程度ならなんとでもなるから好きにやっていい』と断言するのは、あらかじめ侯爵家の人間からそれだけの権限を与えられているからである。
そこまでの事情は知らなくても、この場で自信満々に断言するルイーザを見て、彼女が侯爵家の許可を取っていることを察した神城は『そんな決定をして大丈夫か?』とは聞かず、ただ彼女の言をローレン侯爵が許容するボーダーラインと認識して、とりあえず直近の方針を定める。
とは言え、現時点での判断材料が『ヘレナが怪しい視線を感じた』というだけなので、神城が取れる行動は決して多くはない。
「ではエレン。ヘレナ」
「「はい」」
「二人はしばらく買い物には行かなくていい」
なので、神城の決断は『とりあえず様子見』と言う、ある意味肩透かしとも言えるものであった。
「「はい!」」
しかしそんな消極的な動きであっても、神城が自分たちを守ろうとしてくれていることに気付いた二人は、反論することなく揃って頭を下げる。
「ルイーザ殿は侯爵閣下に事情を説明して、食料品や消耗品の調達を侯爵家を通して行うことができるよう、手続きを取ってもらえますか?」
「かしこまりました」
すでに本当に必要と思われる物品は買い揃えているし、元々研究用の薬などを侯爵家が用立てることも決定しているので、今回はそこに消耗品を加えるだけの話。神城に恩を売りたいと考えている侯爵家がこの要請を断る可能性は限りなく低いだろう。
さらに今回の神城の決断は、言ってしまえば『見えている地雷を回避する行為』であるので、面倒事を望んでいるわけでもない侯爵家としても歓迎こそすれ忌避するようなことは無いはずだ。
そう考えたルイーザは、姉妹と同様に頭を下げることで神城からの命令を受諾したことを態度で示す。
(動かざること山の如しってな。さてさて、何が出てくるかわからんが、何かあるなら早めにその芽を摘んでおきたいもんだ)
己に対して頭を下げる三人を見ながら神城は『エレンとヘレナを陰から狙っていた存在が居たとして、彼女らが姿を現さなくなった場合どう動くのか?』と想定される相手の立場や行動に対して、自分がどう対処するかを脳内でシミュレートするのであった。
サブタイを正確に言うなら『侯爵(の関係者)は言っている。(条件付きで)好きにやれ、と』になりますかね。
とは言え一言で『好きにやる』と言っても、神城君が持つ力の大半は侯爵の権力であり、どうしても気を遣う必要があるので、能動的に動くのは憚られる状態です。よって実際のところは『動かない』のではなく『動けない』に近いんですってお話。
―――
読者様かられびゅー頂きました~。
ありがとうございます。ありがとうございます。
燃料とれびゅーはいくらあっても良いですからね。
皆様ドシドシお願いします!(乳少年風)
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