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第十九話 ケセナ・レフィードの決意

 ほんの一瞬、瞬きをしたような感覚だった。

 強制的に精神世界を覗き見る呪術が解かれた瞬間、ケセナの身体から一気に力が抜け落ちた。


「……っ」


 ぐらりと視界が揺れ、膝から崩れ落ちそうになった身体を、グレンの大きな手が咄嗟に支える。

 額が触れ合っていたほどの至近距離。過去の凄惨な記憶を直接引っ掻き回されたケセナの呼吸は浅く、全身は冷や汗に濡れ、小刻みに震えていた。


 茶色の瞳が激しく泳ぐ。

 グレンは押しつけていた額を離し、頬を包んでいた両手もゆっくりと下ろした。

 するとケセナは弾かれたように後退り、警戒するように身体を引いた。


「ファル?」


 グレンが本名を呼ぶと、ケセナはなおも否定するように、小さく首を横に振った。声にならない口の動きで、「違う」と訴える。


 その怯えたような仕草を見届け、グレンはこくりと深く頷く。


「そうだ。お前はファルイーアではない。ケセナだ」


 その名を呼ばれ、ケセナは勢いよく顔を上げた。不思議そうにグレンを見上げ、首を傾げる。


「え?」

「どうしてそんな顔をする? お前は、ケセナ・レフィードなんだろう?」


 言われた意味が分からないのか、眉間に皺を寄せたケセナは再び目を泳がせた。

 そんな彼の頭に、グレンはぽんと大きな手を置き、優しく語りかける。


「お前は、そのままのお前でいい。それが俺の結論だ」


 グレンはふっと安堵の笑みを浮かべた。


「今のお前の方が、昔のお前よりよっぽど良い顔をしている。それに……お前はリュウショウを――皇帝陛下を殺していなかった。お前が殺したと思い込んでいたのは、俺の盛大な勘違いだった。すまなかったな、ケセナ」


 わしわしと、少し乱暴にケセナの頭を撫でる。

 首を揺さぶられ、ケセナは迷惑そうに顔を顰めた。

 だが、恐怖を上回る安心感がじわじわと胸を満たし、その茶色の瞳から、ぽろり、ぽろりと大粒の涙が零れ落ちた。


「……っ」


 止めどなく、涙が溢れてくる。

 ずっと胸を締めつけていたものが、少しずつ解けていくようだった。


「お、おい、泣くな」

「泣いて、なんか……! う……ううっ」


 意地になって反論しようとするが、涙は止まらず、とうとう声を上げて嗚咽を漏らし始めた。

 どうしたものかと困惑したグレンだったが、やがてそっと手を伸ばし、泣きじゃくるケセナを優しく抱きしめた。


(泣きたい刻は、泣くべきだ)


 言葉を知らない金髪の子供にそう言ったことを思い出しながら、グレンは今の彼を抱く腕に静かに力を込めた。


「――男同士で抱き合って。気持ち悪いですよ」


 ケセナが泣き止むまでこうしていよう。そう決めたグレンの背後から、唐突に声が降ってきた。

 その甲高くも、ひどく冷ややかな響きに、驚いた二人はすぐに身体を離した。


「!!」

「プ、プラウ!?」


 声のした方を見やり、二人はあんぐりと口を開けた。

 そこには銀髪の少女――剣精プラークルウが、二人に冷たい蔑みの視線を向け、仁王立ちしていた。


「目を覚ましてみれば何ですか、この状況。この馬鹿――もとい、グレン・ラティアにはお気をつけください、ケセナ様」


 口を尖らせたプラークルウは、ケセナの腕を掴んでグレンから引き離しつつ、堂々と告げた。


「おい、馬鹿ってなんだ」


 聞き捨てならない単語にグレンが反論するが、プラークルウはそれを華麗に無視して忠告を続ける。


「今までケセナ様を犯人扱いしていたんですよ? こんな奴、簡単に信じちゃ駄目です。オウセイ様も、この黒馬鹿男のことを大変警戒しておりました!」

「黒馬鹿男……?」


 ケセナにとっては初めて聞く単語だったが、真っ黒な装束を纏った、思慮の足りない男という意味なのだろう。酷い言われようだと同情しつつも、どこか的を射ている気がして妙に納得してしまう。


「あ、警戒じゃないです。心の底から馬鹿にしてました」

「…………オウセイ……あの野郎……っ」


 心の底から怒りが湧き上がったのか、グレンは握りしめた右拳を震わせた。

 ぎりぎりと歯軋りをするグレンを見て、ケセナは堪えきれずにくすりと笑ってしまう。


 すると、プラークルウが必死に左手を伸ばし、ケセナの顔の前で大きく振った。


「プラウ?」


 怪訝に問うと、プラークルウは周囲を窺うように小声で尋ねてきた。


「記憶封印、解けちゃってません?」

「うん、大丈夫」


 ケセナが首を振って答えると、プラークルウはほっとしたようにケセナへ抱きついた。無言で衣服に顔を埋める彼女の、ふわふわの銀髪をケセナは優しく撫でる。


「ありがとう、プラウ。でも、少しだけ見た、かな」

「!?」

「俺が……」


 ケセナは言葉を止めた。

 皇位後継者。

 にわかには信じ難い。


 そもそも、見せられたのだ。

 視界に焼きついたという方が正しい。あれが本当に自分の記憶なのか、それともファルイーアという別人の一生を眺めていただけなのか、ケセナにはまだ判断がつかなかった。

 だが、知ってしまった。

 残酷な嘘と、凄惨な真実を。


 それを知ってしまった以上、もう黙ってはいられなかった。


「ケセナ様?」


 訝しがるプラークルウを見つめ返し、ケセナは静かに覚悟を決める。


「俺は、評議会と……フィサルーア・ク・フェスカを止める。いや、潰そうと思う」

「えっ!? どういうことですか!? あの金髪の阿呆はともかく、評議会を潰すって!?」


 驚愕したプラークルウが叫んだ。

 衣服を何度も引っ張り、「やめてください!」と懇願するが、ケセナは明確に首を振って拒絶する。

 当然、傍で聞いていたグレンも声を上げた。


「ケセナ、やめておけ。フィサルーアや評議会の件は、俺が……」

「いいえ。俺は、俺のためにこんなことを言っているんじゃないんです」


 ケセナは真っ直ぐにグレンを見た。

 茶色の瞳の奥に、強い光が宿っている。


「ファルイーアが俺だっていう実感は、まだいまいち湧きません。でも、とにかく俺のせいで誰かが傷ついている……いや、傷ついているどころじゃない。あの応龍狩りで、多くの犠牲が出ている。それを知っていながら、何もせずに放っておくことなんて、俺にはできそうにない」


 一旦言葉を区切り、ケセナはより強い語気で続けた。


「無謀なのは分かっています。戦うことにも、剣を振るうことにも慣れていない俺に、何ができるのかなんて分かりません。でも、俺は!」


 言葉を絞り出すケセナの表情に、グレンは親友の面影を見ていた。

 懐かしさを感じながら、その不器用な決意に耳を傾け、小さく息を吐く。


「分かった」


 高ぶったケセナの言葉を、グレンは静かに、けれど確かに受け止めた。


「剣の振るい方は、俺が教えてやる。だが、これだけは絶対に約束しろ。無茶だけはするな。二度と、自分を犠牲にするような無茶だけはするな」


 グレンが強い声で念を押す。

 その言葉の重さの理由は完全には分からなかったが、有無を言わせぬ気迫に、ケセナはこくりと頷いた。無茶をするつもりなど毛頭ない。


「嫌ですぅ――っ!!」


 唐突にプラークルウが絶叫した。じたばたと手足を動かし、地面を何度も蹴る。


「絶・対・嫌・な・ん・で・す!!」

「プラウ、お願いだから、話を聞いて」

「嫌ったら嫌です! 愚かです! 潰せるなんて、どうして思うんですか!」

「じゃないと、応龍狩りは終わらないから」

「だからってケセナ様がどうにかしようとするなんて、間違ってます! 蒼馬鹿とそこの黒馬鹿に任せておけばいいんです!」

「オウセイにこれ以上、無理はさせられないよ!」

「させていいんですよ! あの人、そういうこと喜んでやるので! とにかく私は嫌です!」


 めげずに拒否するプラークルウを押さえつけながら、ケセナはふと思い出した。


「あの、グレンさん。そうなると、ラルさんも一緒に……来ることになるんですかね?」

「まぁ、そうなるかな……」

「ラルさん、俺のこと壮絶に嫌ってますし、ご両親のことも……ありますし」

「……」


 グレンが、ぴたりと動きを止めた。


「――あっ!!」


 直後、天啓を受けたかのように声を上げた。


「そういえばラル、クレート姓に戻してたんだった……」

「えっ、今思い出したんですか?」


 呆気に取られるケセナに続き、暴れるのをやめたプラークルウが心底呆れた声を出す。


「うわぁ……。だから黒馬鹿だって言うんですよ」

「仕方ないだろう! あいつと会った頃はエルアベルグ姓だったんだ! クレート姓に戻すと言われても、そこまで気にしてなかったんだよ!」


 グレンは顔を真っ赤にして反論し、こほんとわざとらしく咳払いして気持ちを整えた。


「ラルの両親を殺した犯人のことは、お前と一緒にいれば、いずれ分かる……かもしれない。って、待て? クレート……確か、お前の記憶の中でリュウショウが『リーギスト・クレート』って言ってたよな?」

「えっと……」


 すぐには思い出せず、ケセナは首を傾げた。そんな名前が出ていた気もするが、ほかの事実の衝撃が大きすぎて記憶がはっきりしない。

 グレンは悩むケセナから、プラークルウへ視線を移し、問う。


「プラークルウ、覚えているか? リーギスト・クレートのこと」

「存じ上げていますよ。泥人形を創った張本人で、麒麟族の術師です」


 さらりと答えたプラークルウの言葉に、ケセナとグレンの思考が完全に停止した。


「クレートって……ラルさんの……」


 ケセナもぶつぶつと呟き、何かに気づいて動きを止めた。


「あ、あれ……?」


 ぱちくりと目を瞬かせ、彫像のように固まってしまった二人に、プラークルウは戸惑う。何か悪いことを言ってしまっただろうかと腕を組んで唸ってみるが、二人は一向に動く気配がない。


「えーと、ケセナ様ぁ? グレン・ラティアぁ? え、どういうことですか?」


 何が起きたのか理解できずにいると、ようやく二人に動きが戻った。


「そうか、クレートという名前に聞き覚えがあったのは、それだったのか!」


 訳の分からないことを口走り、グレンは弾かれたように洞窟の奥へ猛然と疾走していく。


「相変わらず、無駄に忙しない黒馬鹿男ですねぇ」


 プラークルウが「昔からそうですけど」と付け加えて笑うのを聞きながら、ケセナは少しずつ彼女へ歩み寄る。

 そして、その耳元でなぜか声を潜めて問うた。


「ねぇ、プラウ。麒麟族って……オウセイが里ごと隠したっていう麒麟族?」

「ええ、そうですけど……」

「教えて。オウセイ、ちゃんと教えてくれなかったんだ」


 どうやら、ケセナの知識欲へ盛大に油を注いでしまったらしい。

 少々後悔しながらも、プラークルウは諦めて、麒麟族に関する説明をケセナへ語り始めた。

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