10 蒼木正文VS白崎練児VS御門正太郎
スタートと共に蒼木は外側から回り込むように疾走し、瞬く間に先頭に躍り出た。
(ちょ、いきなり!?)
(調子に乗んな、蒼木!)
突然の展開に御門は動揺し、自分のより数段速いペースで先を走る蒼木に対応出来ずにいた。しかし練児は、格下の蒼木が自分の前に出てきたことに逆上し、スピードを上げて蒼木の真後ろについていった。
端から見れば御門が出遅れたように見えるが、実際は蒼木と練児が飛び出したことにより、相対的にそう見えるだけである。むしろ御門は後半に備えてスタミナを溜めている、見ることもできるのである。とにかく3人の位置関係は『先頭の蒼木に練児がついていき、その数メートル後方から御門が追いかけている』といった感じだった。
そして先頭を走る蒼木は――
(このまま最後まで突っ走る!)
――特に何も考えずに爆走していたのであった。
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自分の練習を終えて、1年生のレースを見守る4人の男子。彼らは全員2年生で長距離ブロックに所属しているため、後輩たちの走りには興味があった。
「最初の200mは……32秒!?」
「はぁ!? バッカじゃねえの!?」
「飛ばし過ぎ。確実に後半バテるな」
腕時計のストップウォッチ機能でタイムを計っていた1人が予想外のハイペースに驚きの声を上げ、周囲がそれに反応した。
ここにいる4人は、先頭の200mの通過タイムは36秒――1000mを3分ジャストで走るペースに相当する――程度だろうと考えていた。その予想よりも4秒も速く蒼木と練児は通過し、現在最下位の御門でさえも35秒で通過したのだから驚くのは当然のことだった。
しかし、残りの800mをこのままのペースで走り切ることはできないだろうと2年生たちは考えている。もし仮にそれができたとしたら、タイムは2分40秒になる。そんな高記録を出せる人間が、こんな強豪でも何でもない高校に入学する訳がない――というのが彼らの見立てだった。
「でも、もしかしたら――」
しかしそれでも、あり得ないと思いながらも、この場にいる人物の中で一番の実力者である増田 創[ますだ つくる]は妙な期待をしていた。
「――あの坊主頭なら、ラストまで突っ走れるかもしれないっしょ?」
「ペース落ちたな」
「あれっ」
増田が言い切ると同時に先頭を走る2人の速度が落ち、早くも彼の期待は裏切られたのであった。
「おいおい、あの頭は見かけ倒しか? そんなん詐欺っしょ」
そして増田は、期待の根拠となった坊主頭の人物――蒼木を眺めながら、落胆を隠せない様子で呟いた。
「大変だな、アイツも。あんな頭してるせいで勝手に詐欺とか言われて」
「まあ……あの強豪校のやつらと同じ髪型じゃあネタにされても仕方ねえな」
「実際、全く関係無いんだろうけどね」
そんな増田の様子を見た周りは、坊主頭による風評被害を受けている蒼木への同情を禁じ得なかったのであった。
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スタートから500m過ぎの地点にて。レース開始直後に比べてだいぶ落ち着いたペースになったが、3人の順位は全く変動していなかった。要するに3人とも後先考えずに突っ走り、結果バテたのであった。
(蒼木のヤロー、意外と粘るじゃねーか!)
すぐに蒼木を越せると思っていた練児だったが、実際には半分を過ぎても未だにそれを成せずにいる。眼中に無かった相手に思わぬ苦戦を強いられ、練児は若干の焦りを感じていた。
(つっても、もう虫の息だろーがな)
最初のオーバーペースが響いてきたせいか、練児は息が上がっておりフォームも乱れていた。自分ですらかなり疲れているのだから、格下の蒼木はもっと辛く感じているはずだと練児は分析した。
(もうすぐラスト1周! てめーの悪あがきもここまでだ!)
練児は、最後は『どれだけ失速せずに耐えられるか』ということが勝敗を分けるだろうと考えている。そして体力勝負なら勝てることは中学時代に実証済みだった。だから蒼木に負けるはずがない。確固たる自信を胸に、練児は最後の400mに臨む。
しかし、そんな練児の予想はあっさりと裏切られることになった。
ラスト400mのラインを越えた瞬間に蒼木がロングスパートを仕掛け、再びペースを上げたのだ。
(ッ、てめーのどこにそんな力が残ってるってーんだよ!?)
完全に意表を突かれた練児は少し遅れてペースを上げようとするものの、既に足は限界を迎えつつある。今の速度を維持するのが精一杯であり、蒼木のスピードにはとてもついていけそうになかった。
そうこうしているうちにも、蒼木の背中はどんどん離れていく。格下の存在だと見くびり、楽勝だと思っていた相手の背中が。
(ウソだろ……俺が、勝てない?)
違う。俺は負けない。そう自分に言い聞かせても、目の前の現実は変わらない。蒼木との差がみるみる広がり、練児の敗色が濃厚になっていく。
(俺は……負けねえーーーー!)
練児が最後の気力を振り絞りがむしゃらに疾走したが、それでも蒼木と同程度のスピードしか出ず、開いた差を埋めることは叶わなかった。
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「あおきがかったー!」
ゴールした直後の蒼木が最初に耳にしたのは、蒼木の勝利を喜ぶ真弓の声だった。
(っしゃあ!)
蒼木は心の中で勝利のガッツポーズを決めた。そして1度大きく息をして、後続の2人の様子を見るべく振り返った。
蒼木の目には、既にゴールしてこちらに歩いてくる練児と、たった今フィニッシュラインを越えた御門の姿が映った。おぼつかない足取りで目の前まで近づいてきた練児は、蒼木に恨めしげな視線を向ける。
「てめー、なんで、俺に、勝てんだゲホッ、よ?」
息が整うのも待たずに、練児は疑問を口にする。蒼木からしてみれば、逆に何故そんなに自信過剰になれるのかを聞きたかった。前に勝ったからといって、次も勝てるという確証はどこにも無いというのに。
さらに、練児は大きな間違いを犯している。
「練児、残念なお知らせ、がある」
「あー?」
彼が疑問に思うべきことは、『なぜ蒼木が自分に勝てるのか』ということではない。
「中3の時のオレは、貧血だったんだ」
彼が真に考えなければいけなかったのは、『中学時代に、どうして自分は蒼木に勝てるようになったのか』ということだったのだ。
「貧、血?」
「ああ。急に走れなくなるもんだからさ、どうにもおかしいと思ってな。駅伝が終わった後に、病院に行ってみたんだよ。そしたら案の定、な」
蒼木から告げられた事実。これまで自身がとってきた態度。レースの結果。練児の頭を駆け巡るそれらの出来事は、『勝てると過信していた相手から完膚なきまでに叩き潰された』という1つの事実を導き出していた。
「受験勉強しながら薬飲んで、鉄分豊富な食いもの食って。そしたらすっかり元通りになったぜ」
「I see.以前に勝ったことがあるから、今回も勝てると驕ってた、ってわけだね。で、無様に負けたと」
途中から会話を聞いていた御門は大体の事情を理解し、そして昨日の憂さ晴らしの気持ちを込めて、あからさまに練児を煽った。
もちろん練児が黙ってそれを聞き流すわけがない。ましてや気に入らない相手の言葉なら尚更だった。
「てめーに言われる、筋合いはねーよ、負け犬! ビリが偉そーにすんな!」
「おいおい落ち着け。ていうか練児、オレから見たらお前も負け犬なんだからな?」
蒼木のもっともな指摘を受けて、練児は言葉に詰まる。その隙を逃さずに、蒼木は言葉を続ける。
「調子に乗るなら、それ相応の実力が無いとな。じゃねえとかっこ悪いぜ?」
「……うっせー。次は負けねーから覚悟しとけ」
反抗的ながらも、落ち着いた口調で言葉を返す練児は、敗北の事実と蒼木の言葉を受け入れて反省しているようだった。
「粋がっておきながら負けるのって、ぶっちゃけビリよりダサいよ」
「てめーはマジで黙れ、雑魚」
「ホントお前らは……」
隙あらばケンカを始めそうな練児と御門にを見て、蒼木は呆れながら呟いた。
「もう少し仲良くできねえの?」
「「無理」」
「そこは気が合うんだな……実は相性いいんじゃね?」
「ねーな」「ないね」
「ほら。ケンカするほど仲が良いってホントなんだな」
練児と御門は、蒼木の言葉を反芻[はんすう]しつつ互いの姿を横目に見るが、即座にそんなことは有り得ないという結論に至りすぐさま正面に目線を戻した。
「そんな下らないことより、風邪引かないようにさっさとダウンして着替えようよ」
初春の夜は冷える。夕方になり気温が下がり始めた今、汗をかいたままの姿でいるのは自殺行為だった。
「そうだな、寒くなってきたし」
「早く帰りてーしな」
御門の提案に乗ってクールダウンのジョギングを始めた3人。その背中を、日本海に沈み始めた夕陽が照らしていた。
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「うん、まずは初レースおつかれさん。どうだっだが?」
シン先生が蒼木たちにレースの感想を聞いた。
「楽しかったです」
「今の自分の実力が分かりました」
「特に感想はねーっす」
素直な気持ちを答える蒼木、冷静に自分を分析する御門。そして練児は、あまり触れて欲しくない一心でそっぽを向きつつ適当な返事をした。
クールダウンを終えて落ち着いた蒼木たちは、シン先生と長距離のコーチである男性に呼ばれ、ミーティングをしていた。
「お? おめの要望さ応えで走らせだってのに、なんか不満げだな」
「べつに」
練児はシン先生の言葉を否定したものの、彼が不機嫌なのは態度から丸分かりだった。
「敗けを素直に……認めない人間は。強くはなれない。陸上に限らずな」
そんな練児の態度を見かねたのか、蒼木たちとは初対面である長距離のコーチが初めて声を発した。彼の言葉が練児の痛いところを突いたせいか、練児はまたもや言葉に詰まった。自業自得とはいえ、今日の練児は可哀想なくらいにプライドをズタズタにされまくっている。そんな練児に出来るせめてもの抵抗は、目の前の男性に鋭い目付きを向けることだった。
「紹介が……まだだったな。私は長距離のコーチをやっている……柳沢 拓哉[やなぎさわ たくや]だ。『タクさん』とでも……呼んでくれ」
練児の睨み付けをものともせず、落ち着いた口調で長距離コーチの男性――タクさんは蒼木たちに自己紹介をした。
「お前たちの走り……見せて貰った。タイムは先頭から……2分58秒、3分04秒、3分07秒。3分を切る奴が居るとは……正直思わなかった」
遠回しな言い方ではあるが、タクさんに褒められたと感じた蒼木は笑顔を浮かべる。対照的に、ハッキリとタイムによる実力差を突き付けられた2人――特に最下位の御門は暗い表情を見せた。
「まだ最初だ……これからの練習次第でいくらでも強くなれる。今回の結果が思わしく無くても……過度に落ち込む必要はないぞ」
「んだ。おめも勝ったがらって調子に乗ってるど、すぐに抜かれるど」
練児と御門にはタクさんによる励まし、蒼木にはシン先生による戒めがそれぞれ送られた。それらは別個の言葉に見えるが、その実『努力した人間が勝つ』ということを伝えている点で共通していた。
唐突に始まり、それぞれが現段階での実力を尽くした今回のレース。成長性が未知数な3人が今日の結果にとらわれること無く前へ進めるように、指導者たちは彼らなりの言葉を送ったのだった。




