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産寧坂の事故

 俺は、京都の産寧坂を歩いていた。


 休日の石畳は観光客で溢れている。外国語が飛び交い、写真を撮る

シャッター音と笑い声が重なる。人の流れは途切れることなく、坂を

ゆっくり上へ下へと動いていた。


 肩には小型犬用のキャリーバッグ。布の隙間から、黒い鼻先が少し

だけ突き出ている。


「人多いな」


 バッグを軽く叩く。


「れもん、もうちょっとで清水寺だぞ」


 布の隙間から、つぶらな瞳がこちらを見る。次の瞬間、小さく尻尾が

揺れた。嬉しそうだ。


「まあ、観光客だらけだけどな」


 周囲では生八ツ橋の試食を配っていて、甘い香りが風に乗って流れてきた。

観光客が列を作っている。俺は少し迷ってから、手を伸ばした。


「一つだけ」


 試食を受け取る。柔らかい生地に甘い餡。口に入れると、やさしい甘さが

広がった。


 ――うん、うまい。


 そのときだった。キャリーバッグが、わずかに揺れる。


「ん?」


 バッグの中でれもんが体勢を変え、小さく鼻を鳴らした。


「どうした?」


 布の隙間から周囲を見回し、そのまま耳をぴんと立てて、低く小さく唸る。

珍しい反応だった。人混みの中では落ち着かないこともあるが、こんな警戒の

仕方はあまり見ない。しかし、しばらくするとれもんはくるりと丸くなった。

警戒は解けたらしい。


「人多いもんな」


 俺は歩き出した。坂の上へ。


 その瞬間。


 ドンッ――背中に強い衝撃。体が前に押し出される。


「うわっ」


 後ろから、中国語らしい叫び声が聞こえた。観光客同士の接触事故。その

勢いがこちらまで伝わり、足元が石畳で滑って体勢が崩れる。


 その瞬間、口の中の生八ツ橋が喉の奥に引っかかった。


 ……あれ?


 息を吸う。空気が入らない。喉が塞がれている。咳をしようとしても身体が

動かない。呼吸ができない。


「っ……!」


 胸が強く締め付けられる。周囲の音が急に大きくなった。


「大丈夫ですか!」


 誰かの声。視界が白く滲む。足元が揺れる。誰かが肩に触れる。しかし息が

入らない。喉が閉じたまま、咳の反射すら起きない。声が出ない。


 キャリーバッグが、肩から落ちた。


「救急車!」


 誰かが叫ぶ。ざわめきが広がる。視界がぼやけ、音が遠くなる。胸が焼ける。


 ……まずい。


 意識が沈んでいく。キャリーバッグが俺のすぐ横に転がっていた。布の隙間

から、小さな瞳がこちらを見ている。


「……れもん」


 声にならない。雑踏が遠ざかり、光が滲む。体の感覚が消えていく。


 最後に感じたのは、キャリーバッグの重み。そして、ほんのわずかなぬくもり。


 それがれもんなのか、わからない。


 視界が白に溶けた。


 気づくと、俺は立っていた。真っ白な空間の中に。

挿絵(By みてみん)

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