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その室内は緊張感に溢れていた。
多くの人間が椅子に腰掛けているのも係わらず、しわぶき一つ上げないその状況はいっそ不気味ですらある。
唾を飲み込む音でさえ響いてしまいそうなその静謐は、身動きする事すら躊躇われる程だ。
「――そう、それで? 貴方は自分で出来ると言っていたのに、結局それが出来なかったんですね?」
そんな中、一人の少女の声が無言だった室内に響いた。
まるで鈴を弾いたかのようなその声色は、音の不足していた室内に想像以上に染み渡った。
どう考えてもその場には不釣合いな幼い声。
それもそうだろう。
椅子に座る面々は、どう考えても彼女の父母、もしくは祖父母のような年代の人間ばかりなのだから。
「……い、いえ、それはしかしッ」
壮年の男性が言い縋る様に言葉を発した。
暑いわけでも無いのに大量の汗を流し、その顔は紅潮して真っ赤だ。
仕立ての良いスーツの下は恐らく汗で水濡れ状態だろう。
顔は焦りで歪み、見えない恐怖に怯えるかのように手に持った書類が小刻みに震えている。
そんな憐憫さえ感じさせてしまうほどの有様を見せている男性に対して、少女はその表情を一切変える事はなかった。
まるで氷の彫像のように、涼やかな眼差しは温度を感じさせない。
「言い訳は結構。上に立つ者が約束事を反故にしては示しがつきません。貴方は平社員に降格、一から全て勉強し直しなさい――人事は彼の開いた穴を埋める人材の候補を、後ほど私に報告してください」
「――はい、畏まりました」
その言葉に、男性はガクリとうな垂れ、椅子に力なく崩れ落ちた。
そんな重い空気にもかかわらず、少女――四鵬堂空姫は微塵も臆することなく言葉を放つ。
あくまで温度を感じさせず、淡々と平坦なその声は場を支配しているかのようであった。
そして、事実彼女はこの場の支配者だ。
居並ぶ50名を超える壮年の男性。
彼等は全てがそれぞれの部門における四鵬堂グループの幹部、もしくは社長クラス。
エリートであり実績もある彼らが、年端も行かない少女に指図される様子は、事情を知らないものが見たら滑稽以外の何物にも見えないだろう。
しかし、そんな彼等が少女に向ける態度は、どこまでも真摯で誠意に溢れている。
彼等は、四鵬堂空姫が自分達の上に立つ者であると言う事に対して些かも疑問を感じていないのだ。
『完全実力主義』
『弱肉強食』
『上に立つならば実力を示せ』
それが四鵬堂グループ全てに置ける倫理であり真理だ。力に老いも若いも、ましてや男も女も無いのだ。
逆を言えば、圧倒的な実力さえ見せてしまえば、それに従う事に疑問すら抱かない。
そして、そんな四鵬堂グループだからこそ、今の繁栄があるのだと言う事は、誰の目にも明らかだった。
……けれど。
「……良い年したオッサン連中が、中学3年のの小娘に向かって『姫さま!』とか『空姫さま!』とか言いながら、恍惚の表情を浮かべる状況って流石に引くわー……」
そんな事を、空姫……クウの背後に立ち、その小さな後頭部をボンヤリ眺めながら俺は小声で呟くのだった。
「――以上で定例報告会を終了します。各自、業務に励んでくださいね。解散」
クウのそんなお開きの言葉で、その日の報告会は終了した。
ぞろぞろ退出していく人波を眺め、最後の一人が扉を閉めるのを見届けてから俺はクウの座る机に腰掛けた。
足がだるい。
長時間突っ立っていたせいだ。人口密度が急激に低下した室内は、寒々しさを覚えるほどに広い。
天井に備え付けられた蛍光灯がその青白い光で室内を照らしているが、外はもう真っ暗だ。
窓から外の景色を眺めてみれば、はるか眼下に広がる光の洪水は車のヘッドライトかネオンの明かりか。
そこは夜だと言うのに地上に落ちた星のごとく満点の景色を映して見せた。
今俺達が居る場所は、東京都内の一等地に立つ四鵬堂グループのとあるビルの最上階だ。
夕方までは地方の片田舎に居たはずなのに、どうしてもう都心部にいるかと問われれば、クウと共に俺の家を出た後、四鵬堂の家に移動した俺達は、その敷地内にある自家用ジェット機と滑走路(自家用ジェット機! 滑走路!)を使用し、更にヘリコプターを乗り継いで、あっという間に都心にあるこのビルに到着した訳だ。
そりゃ確かにそんな物持ってりゃ、都心を車でチマチマ移動するよりずっと早いんだろうけど、やる事なす事いちいち規模がでかいヤツである。
「そういや良かったのか?」
「何が?」
俺に背を向け、椅子に座ったままのクウが振り向く事無く素っ気無く答えた。
その眼前の机の上には今しがた行われた報告会で使用した資料が積まれていた。
「いや、だからあのオッサンの処分だよ。降格して良かったのかって話」
「ああ、それ。別に構わないわよ。失態を晒したからには当然の罰だし、本当に実力があるならまた昇ってくるでしょ」
「……あー、いや……そういう事じゃなくてだな」
思わず口ごもる。
俺が言いたいのは、それが本当に罰になっているのかって事だ。
……あのオッサン、確か3ヶ月くらい前にも同じような事して降格食らわなかったっけか?
更に言えばその前にも何回かあったような。それも毎回決まって大した事のないミスで。
俺が思うに、アレって……クウに怒られたいからワザとやってんじゃねえの?
叱られるのがゾクゾクするとか、クウの冷たい視線に晒されるのが快感とか言うやつ。
さっき椅子座った時だって、茫然自失として座り込んだと言うより、難問をやり遂げた時のような恍惚とした表情で座ってたし。
そうか、やっぱりあのオッサンはマゾか。
人様の趣味にどうこう言うつもりはないが、自分の身を犠牲にしてまでそんな事に情熱を傾けている様子を見ると、何と言うか……人生楽しんでんなーって気はする。
アホ過ぎるが。
逆を言えば本当に優秀な人なんだってことだ。
だって、幾ら実力さえあれば昇進するのが桁違いに早いこの会社でも、たった3ヶ月で何度もこの地位に上り詰めて来れるんだから相当なモノだ。
まあ、その能力とその人間性は別物だといういい例だと思っておこう。
3ヶ月後、またこの場で会いましょう。
「……んで、今日の仕事は終わりか?」
真似したくねえなあと言う感想と、多大な呆れを含んだ溜息と共に気持ちを切り替え、提出された報告書の束をパラパラ捲っているクウに声をかける。
毎度の事だけど、なにその紙束の量。
俺だったらそんな大量の紙の使い道はパラパラ漫画くらいしか思いつかねえぞ。
「ええ、概ね。まあ、問題が全く無いとは言い切れないけど、まだ許容範囲内って所かしら」
「……はあん」
椅子に座って書類に目を通しているクウの言葉に、気のない返事をする。
いや、だって、分からないし。
ボディーガード(バイト)としての立場上、クウの後ろにいたので俺もずっと話は聞いてたけど、ビジネス用語や専門用語のオンパレードで、内容の10分の1も理解できなかった。
途中から欠伸ばっかしてた記憶しか残ってない。
人間、興味のない話を延々と聞かされると眠くなるっていう良い例だな、全く。
「どれどれ」
興味本位がてらクウの背後から手を伸ばし、そのパラパラ捲っていた書類の一枚をヒョイっと抜き取った。
どんなもんかと思い軽い気持ちで斜め読みをしてみたのだが……。
「どう? 内容が理解できて何か具体的な意見ができるようだったら直ぐにでも我が社に採用してあげるけど?」
「……ウルセェーな、俺は頭脳労働担当じゃないから別に良いんだよ」
こちらを振り向きもしないままクスクスと笑うその声が妙に癪に障る。
こちとら極めて一般的な高校生だっての。
ちきしょう、どうせ俺は頭悪ぃよ。
「――ああ、けどこのGFA社ってのは知ってるぞ」
笑われっ放しも悔しいので半分意地になって知っている単語を探していると、何とかその会社の名前を探す事が出来た。
ニュースやコマーシャルとかでも最近よく流れている会社の名前だったので、なんとか覚えていた程度の知識だが。
何をやっている会社だとかは知らん。
「えっと何々……GFA社と笹原重工が合併に合意。コレによって総資本額は業界第2位に浮上するものと思われる……なんだこりゃ?」
俺が首を傾げながらそんな独り言をもらすと、クウは「ああ、それ」と、椅子を回転させこちらを振り向きながら反応して見せた。
「それこそが問題の部分。笹原重工って言うのは元々重工業部門で世界第5位の大手なんだけど、ここ最近は技術的な遅れが目立って商品の開発も後手後手に回ってしまっている、いわば落ち目の企業なのよ。だからこそ他企業との合併を図って、てこ入れをするって言うのも分かる話なんだけど……問題はその合併相手」
「合併相手って……このGFA社か?」
「そう。そのGFA社っていうのは最近になって急激に勢力を広げてきた企業なんだけど……」
クウはそこで一旦言葉を切ると、着物の帯に挿していた扇子を取り出し、それを広げると顔の下半分を隠すいつもの仕草をした。
しかし、いつも通りなのはその仕草だけで、その隠れていない目の表情からは明らかに不快を示す眼差しが見て取れた。
「……どうにも、キナ臭い噂が絶えないの」
「……って言うと?」
「恫喝、買収、情報操作によるライバル企業の信頼の失墜。他にはもっと直接的な手で、産業スパイや役員の家族を誘拐して脅しをかけているという話すらあるわ。しかもほぼ確定情報として」
「――おいおい」
誘拐って……キナ臭いなんてレベルじゃねえだろ、ソレ。そんな犯罪者集団みたいな連中が堂々と会社とかやってていいのかよ。
いくらなんでも捕まるだろう。
「彼らも狡猾でね、決して表沙汰にならないの。黒い噂は絶えないものの、それが表に出ない限りは世間的な目にはクリーンな企業に映るわ。この情報だって、知っている人間は数えるくらいしかいない。私を含めてせいぜい数人程度……笹原重工は知らなかったんでしょうね、知ってたらこんな無謀な合併に合意なんてする訳ないもの。恐らく、幾ら笹原重工が資本で上回っていても、実際に運営の舵をを握るのはGFA社の者になるでしょうね」
それはまあ……そうなるだろう。
犯罪を犯すことも厭わないような、独善的な人間が他人の下に付く事なんて考えられない。
それこそ、脅迫をしてでも主導権を握るだろうと容易に想像できる。
「――って、あれ?」
そこまで考えて、ふと頭の中にある閃きがよぎった。
そんな上昇志向が強い連中が2位なんて状態で満足するんだろうか?
1位と2位、数にすればたったの1しか変わらないように見えるが、実情は大きくかけ離れている。
トップ、チャンピオン、王者、世界一、ナンバー1。まあ意味は被るし、呼び方は色々あるけど、それらが輝くのはあくまで1番だからだ。
2番目やそれ以外に意味はない。
分かりやすい例で言えば、オリンピック選手なんかが良い例だ。
例えば、自分の国の選手は別として、各競技の金メダリスト以外の選手の名前なんていちいち覚えているものだろうか?
答えは否だ。
それが2位、即ち銀メダリストであっても、外国の選手の扱いは途端に小さくなるのは理解できると思う。
陸上の花形競技である100メートル走の金メダリストは? と問われて答えられる人は結構な数がいると思うが、じゃあ銀メダリストは? と問われて答えられる人は途端にその数を減らすのと同じだ。
それだけの差が1位と2位にはある。
そんな状態に、文字通りの意味でなりふり構わず上を目指してきた連中が満足出来るんだろうか。
無理だ。
少なくとも俺の考えでは無理だ。
間違いなく1位を獲得するまで止まらない。
それはつまり1位とは次の標的に他ならないという事を意味している。
そして、その1位の地位に今いるのは……、
「……いや、待てよクウ。そんなヤバイ連中が、良く分からんけど業界2位って言うほどでかくなるんだろ? となると、あと上に残るのは1位だけ……その1位ってのはもしかして……」
クウは俺の言葉に小さく頷くと、パチンと、扇子を勢い良く閉じた。
そして冷めた表情のまま言った。
「――ええ、勿論。我がガルーダカンパニーよ」




