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序章の三


 俺と、目の前で優雅にソファーに腰掛ける少女との出会いは、別に劇的でもなければ衝撃的でもなかった。

 小さい頃、俺がフラフラと遊びに出かけた先でたまたま出会い、そしてたまたま家が隣同士だという事で自然と遊ぶようになっただけなのだ。

 ……もっとも、当時の俺の感覚では、とてもではないがお隣さんという気はしなかったが。

 いくら田舎とはいえ、どこの誰が隣の家は森を突っ切った先にある、数キロも離れている場所にあると思うものか。

 そんなもん、子供の頃の俺にとっちゃ秘境と同じだっての。

 まあ、実を言うとその森も全て四鵬堂家の敷地で、正確な意味で言うなら、確かに俺の家とは数メートルと離れず隣接している事になるんだが。

 それでも、それはそれ、これはこれ、なのである。

 

「おい、クウ……お前、また人の部屋に勝手に入り込みやがって」

 

 クウ、というのは俺が彼女に付けた渾名だ。空姫の『空』で『クウ』。

 捻りも何にも無いが、呼び安さだけはこの上ない。

  

「良いじゃない、別に。今更なんだし」

 

 その幼馴染であるところのクウが、微塵も悪びれる事無く、随分としれっとした風に言う。

 ……まあいい。あんまり良くは無いけど、まあいいとしよう。

 確かにコイツが俺の部屋に勝手に入り込むのは今に始まった事じゃあない。

 鍵はどうしたんだと言う話になるだろうが、そこは田舎。

 表玄関の鍵は閉めておくものの、勝手口の鍵なんざかかっていないのが標準クオリティー。

 まさに勝手口なのだ。

 ……どんだけ防犯意識低いんだよ。

 ソレは兎も角としても、男の子には色々あるんだっての。

 クウがいつ入って来るか分かったもんじゃないから、普段は厳重を、十重二十重を幾重にも重ね保管してある、やたらと肌色の多い参考書とかが万が一にもこいつの目に入ったら、俺は羞恥だけで死んでしまうかもしれん。

 いくら幼馴染とは言え、なにが悲しくて年下の女の子に自分の性癖を知られなきゃならんのだ。

 

「で、どうしたよ。何か用か?」

「いいえ、散策がてらちょっと立ち寄って見ただけよ」

「あっそ」

 

 散策、散策ねえ……四鵬堂の屋敷から? あの距離を? 直進距離で言っても3~4キロ以上は確実にあるのに?

 

「……暇なのか?」

「それはそうとマコト。貴方、ああいう本はもっと分かりづらい場所に隠したほうが良いわよ」

「馬鹿かお前、馬鹿だろお前、おいこら馬鹿! 何お前、人が必死こいて隠してる物をあっさり見つけちゃってんのッ!?」

 

 つーか、話の脈絡はどこ行った! 話題の逸れ方が半端じゃなかったぞ、今の!

 キャッチボールしてて、投げた筈の軟式ボールが返ってきたらボーリングの玉になってた、くらい支離滅裂だった!

 そして俺も混乱してるせいか例えが判り辛い!

 

「出たわね、意味不明な三段活用」

「ウルセェーな、勝手に出ちまうんだよッ!?」

 

 ほっとけ、そして俺のエロ本もひたすらほっとけよ!

 ああ、恥ずかしすぎて死んでしまいたい!

 つーか、主不在の部屋を漁ってんじゃねえッ!

 

「失礼ね、偶々目に入る場所にあったのよ」

「嘘言ってんじゃねえ! 机の引き出しを2箇所同時に開けなきゃ蓋が開かないように作った隠し棚に入れてあるんだから、偶々で目に入ってたまるか!」

「なるほど、見当たらないと思ったらそんなところに隠していたのね」

「――しまった、嵌められた!?」

 

 むしろ流れるように墓穴掘った! アホ過ぎる!

 ちっくしょう……ニヤニヤしやがって、そんなに俺が慌てる様子が面白いかよ。

 

「…………」

 

 ……面白いんだろうなー、メッチャ楽しそうだもの。

 そんな顔を見てると慌ててるこっちがアホらしくなる。

 

「……で、本当に何の用だよ。まさか人のエロ本をわざわざ漁りに来たわけじゃないだろうな」

「それこそまさかよ、私はそこまで暇じゃないわ」

「だろうよ」

 

 こう見えてもクウは超が付く大企業の実質的なトップだ。

 そんなヤツが人様のエロ本探しに熱意を燃やせるほど暇なわけがない。

 つーか、それ以前に女の子が人のエロ本に興味津々になってんじゃねえよ。

 流石に幼馴染として心配になるぞこの野郎。

 

「それは今度来た時にじっくり探させてもらうもの」

「滅茶苦茶暇そうだな、お前!?」

 

 本当、なんなんだろこいつ。

 何がしたいかさっぱりだ。

 世間的には滅茶苦茶すごいヤツって思われてるみたいだが、俺に言わせればただのアホな超絶美少女だ。

 

「…………」

 

 ……うん、まあ、そこは流石に否定しないよ?

 事実だし。

 そこを否定できるほど俺の美的感覚は世間一般のそれから逸脱しちゃいない。

 麻痺はしてるかもしれないけど。

 しかし、先ほどからの随分とアホなやり取りで分かるだろうが、俺は俺でその世間一般の目から見ると恐ろしく命知らずの事を随分平然とやっているのだろう。

 そう、それは――敬語を一度たりとも使っていないのだ。

 それどころか畏まった態度なんか一度足りともしていない。

 普通に考えれば年下に対して敬語を使うほうが間違ってると思うかもしれないが、相手が『あの』四鵬堂空姫だと言えば話は変わってくる。

 この場合だと、俺の方が間違っている事になるのだ。

 現代に不敬罪というものがあるとしたら、まさにそれが当てはまるんだろう。

 そして当てはまっても決して不思議じゃない。

 それだけ隔絶した相手なのだ、四鵬堂空姫という少女は。

 ならば何故俺がこうして、敬語を完全に抜いた会話を出来るからと言うと……まあ、ぶっちゃけてしまえば幼馴染だからだろう。

 実際、こいつが敬語云々言い出したのは確か10歳くらいの頃だった筈だ。

 それ以前に出会っていた俺はノーカウントと言うか、対象外みたいなモンだろう。

 規制前と規制後、そんな感じじゃないかと俺は考えている。

 ならば10歳以前は他の人から普通に話し掛けられていたかというと、これまた話が変わってくる。

 だってコイツ、基本的に引き篭もりだったし。

 まあ、引き篭もりとは言ってもあの馬鹿でかい家の敷地から出ないのを引き篭もりと言うかどうかは知らんが、余所者との交流が極めて限定されていたのは確かだろう。

 四鵬堂家にはそれなりの数の使用人がいるが、その彼等彼女等は主に当たるクウに対しては無論敬語だ。

 その上小学校にも通ってなかったしな。

 不登校とかそんなんじゃなくて、専属の教師を雇ってもっと高度な教育を受けてたのだ。

 しかし、よくフィクションの創作物の天才の設定で、飛び級で海外の大学を卒業しているとかはやっていない。

 出来ないからじゃなくて、やる必要がないからだ。

 大学ってのは基本的に知識を学ぶ場所、最初からそれ以上の知識を持っていればわざわざ学ぶ物がない所に行ってもしょうがない。

 学歴なんかも今更必要もない、四鵬堂のトップなんて立場にいれば。

 ……しかし、なんだか良く分かんないんだけどコイツ、今現在、中学には通ってるんだよなー。

 年齢的には何も間違っちゃいないんだろうけど、その話を聞くとどうも違和感を感じてしまう。

 まあ、滅多に通学してないらしいけど。

 今更勉強しなきゃならん事なんて皆無だろうに……改めて何がしたいかさっぱりだ。


「……あれ、そういや、かくの奴はどうした? 一緒じゃないのか?」

 

 ふと考えてみればもう一人の馴染みの顔が見当たらない。クウがここにいるのにアイツがここにいないのも奇妙な話だ。

 

「彼は出かける準備中。もう時間も余り無いもの。貴方も少し急いだ方が良いんじゃない?」

 

 そう言ってクウは壁にかけてある時計を見た。

 むう、確かにバイトの時間まであんまり無いな。

 モタモタしていると遅刻しそうだ。

 それならさっさと着替えて、また出かけないといけない訳なんだが……。

 

「……なあ」

「あら? どうしたの?」

 

 クウが不思議そうな顔で、ちょこんと首を傾げた。

 それだけで長く癖のない黒髪がサラサラと流れ、太陽の光に照らされた髪は、まるで黒曜石のような輝きを放つ。

 ……ううむ、相変わらずの美少女っぷりだな。

 本当に俺と同じ人類の血が流れているのか本気で疑っちまうレベルだ。

 けど、それも取り合えずこの場は取り合えずどうでも良い。

 この状況で、こいつの美少女度とかは関係ないし、今更それに惑わされないと俺は自分を信じている(惑わされないとは言い切れない)。

 それよりも。

 

「ちょっと……外に出ててくんねえかな」

「どうして?」

 

 そこで首を傾げるのかよ。

 いや、そこで首を傾げる方が俺には分かんねえよ。

 

「どうしてって……そこに居られると着替えられないんだけど」

「ああ、良いわよ、気にしなくても。私は気にしないもの」

「いや、俺が気にするんだっての」

 

 そして少しは気にしろ。

 年頃の女の子のクセして、恥じらいっつーものがないのか。

 するとクウは着物の帯に押し込んでいた、古びた感じのする上品な淡い空色の扇子を取り出しそれを片手でばっと勢い良く広げると、そのまま流れるような動作で顔の下半分を扇子で覆い隠して見せた。

 そして、そのままの状態で、さも驚いたような口調で言った。

 

「まさか、着替えを見られる事が今更恥ずかしいとでも言うの? 子供の頃は一緒にお風呂まで入ってたっていうのに」

「……それは確かに幼馴染ならありそうなイベントだけどよ。残念ながら、お前と一緒に風呂に入った事なんて一度たりともありゃしねえよ」

「あらそう、残念ではあったのね?」

「……ぐはッ」

 

 しまった、ついポロリと素直過ぎる本音が!

 いや、けど、ここでそれを否定してしまうのは男の子としての存在意義すら否定してしまうような気にすらなる。

 仮にも可愛い幼馴染がいて、そういう妄想を抱かない方が健全な男子高校生として問題がありそうなもんだ。

 むしろ、漫画や小説とかでよくあるように、朝起こしに来てくれたり、ご飯を作ってくれたりとかを想像するのが正しい男子高校生の姿なんじゃないかな? 違うか、そうか。そいつは残念だ。

 こいつ、そう言うことは全然してくれないもんな。

 やられたらやられたで驚くけど。

 巨大企業の全権代行みたいな事をやってるんだから、そんな暇なことをやってる暇もないんだろうけどさ。

 ……あー、でも、実際どうなんだろう。

 もし仮に一緒に風呂に入ったことがあったとしても、それは子供の頃の話だ。

 その時はお互いに子供で、別に恥ずかしくとも何とも思わないんだろうし、そのもしかしたら過去にあったであろう映像的記憶で俺が得するわけでもない(ロリコンじゃありません)。

 せいぜい、ああ、そんなこともあったなと、過去を振り返って恥ずかしくなる程度か。

 そんなことなら、むしろ無くて良かったのかもしれん。

 恥の上塗りでからかわれるのも癪だしな。

 ……なんだろう、どうも負け犬の遠吠えのように聞こえる。気のせいかもしれんが。

 

「くそっ。……まあ、お前が良いって言うんなら良いけどよ」

 

 投げやりに答える。

 どうせ何を言ってもコイツは出て行こうとはしないんだろう。

 ソファーに腰掛け、こちらから目を逸らそうともしないままのクウの視線を背中に感じながらクローゼットを開け放つ。

 そこには、季節によっての衣の入替えなんて碌にしてないせいで、季節感がてんでバラバラの衣服が押し込められている。

 着ていた学生服のブレザーを脱いでハンガーに掛け、次いでネクタイと着ていた白いワイシャツを一気に脱ぎ捨て、上半身はTシャツ一枚になる。

 せめてもの嫌がらせとばかりに、口元を扇子で覆い隠したまま、じーっとこちらをガン見したままのクウに向かって放り投げた。

 ネクタイはあさっての方向に飛んで行き、白いワイシャツは緩い空気抵抗にフワリフワリと宙を舞った。

 クウはそれを無言のまま扇子を持っていない方の手で掴み取ると、躊躇無くベットのある方向に向かって、ぽいっと投げ捨てた。

 

「…………」

 

 なんだろう。

 自分でやっておいてアレだけど、自分が着ていた物を女の子からそういう適当な扱いされると、ちょっと切ない気持ちになる。

 なんと言うか、男心の繊細な部分がスプーンで抉られた気分だ。

 そんな内心の感傷は取り合えず置いて、湧き上がる羞恥心と、足の裏がむず痒くなる様な感覚を味わいながら、一気にズボンを脱ぎ捨てた。

 年下の女の子の視線を感じながらTシャツとパンツ一丁の羞恥プレイ。

 ……きっついわー、いくら幼馴染とは言え、俺には難易度が高すぎる。

 恥ずかしくてしょうがない。

 勢いで物は言うもんじゃねえな。

 さっさと着替えを取り出す。

 ハンガーにかかった黒い光沢を放つ、皺一つ無いスラックスを取り出し、足を通す。

 着慣れたそれは、細身で体にフィットするにも係わらず伸縮性があり、動きを阻害しない快適さを併せ持っていた。

 それを白い革のベルトで固定する。

 今度は同じようにハンガーに掛かった、パリッと糊の効いた白いYシャツを羽織る。

 学校に着て行っているそれより、明らかに数段上質な仕立てであると一目で分かる高級品だが、それが何着も同じものが吊るしてあれば有難みは薄まるってもんだ。

 一番上のボタンを留めないままの首元を、ワンポイントの入った黒いネクタイで適当に縛る。いかにも最近の高校生らしい着崩し方だが、ソレを指摘するような人間もいないので、まあ別に構わないだろうと勝手に自己解釈。

 首痒くなるんだよな、一番上まで閉めると。

 最後に、スラックスと同じく細身で、いかにも高級品であるであろうジャケットを羽織る。

 袖丈もバッチリなジャケットはまるでオーダーメイドのようだった。

 まあ、実際にフルオーダーメイドなんだけど。

 俺の金じゃないけど。

 ともあれコレでバイトの準備は完了だ。

 

「――準備、出来たみたいね」

 

 クウの声が掛かる。

 落ち着き払ったその声に振り返った。

 いつのまにかソファーから立ち上がったクウは、俺の上から下まで全身をくまなく眺め、それで何かに満足したかのように小さく頷いた。

 その視線に慈愛のような妙に暖かいものを感じて、首の後ろ辺りが熱を持つ。

 年齢は俺のほうが上の筈なんだけどなあ……。

 クウはフローリングの床の上を、すすすっと滑るような自然な足取りで俺の前に立つと、俺の左胸……つまり、心臓の上に掌を置いて2回叩いた。

 ポンポンと、2回叩いた。

 

「ああ、いつでも出られる」

「そう、それじゃあ――行きましょうか」

 

 その声に無言で頷き、壁に立て掛けてあった1メートルを超える細長い黒い皮製のケースを肩に引っ掛ける。

 中で硬いものがぶつかり合う、カチャカチャと言う音が鳴った。

 クウはソレを見届けてからクルリと踵を返す。

 黒髪がフワリと舞い、陽光すら反射しそうな眩しいその輝きに一瞬目を奪われた。

 そうして、先程の流れるような足取りで進み部屋の扉を開ける。

 その寸前。

 何かを思い出したかのように、背後に居る俺を少しだけ振り返り、また扇子でその顔の下半分を隠して――言った。

 

「――それじゃあ今日も宜しく。しっかり私を守ってね、バイト君」

「……アイサー了解。出来る範囲で頑張るさ」

 

 東口高校一年、立花誠。身長178.7cm。

 血液型はB型。

 帰宅部。

 

 時給830円で、四鵬堂空姫のボディーガード(バイト)、やってます。




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