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寝落ちで無双〜理不尽にクビにされた社畜が、睡眠スキルで最強の探索者になった件〜  作者:


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第33話 保留にしていた面会と、もう隠せない価値

 朝。

 タワーマンションのリビングに差し込む光の中で、俺は昨日完成したばかりの短剣――『黒淵の紅刃』を静かに眺めていた。


 刀身は深い漆黒。だが、峰に沿って走る血のような赤い魔力のラインが、まるで生き物のようにゆっくりと明滅している。


 軽く振ってみる。

 ヒュッ、と風を切る音すらしない。あまりにも手に馴染みすぎて、自分の腕がそのまま延長されたような錯覚すら覚える。

 魔力の通りが、今まで使っていた強化ミスリルナイフとは段違いだ。


 これ、街中でうっかり抜いたら洒落にならないだろ。

 便利とかそういう話じゃなくて、普通に怖い。


 Aランクのボスの装甲すら豆腐のように切り裂く異常な付与効果の並びを思い出し、俺は小さくため息をついた。ひっそり持ち歩くには、あまりにも物騒な気配を放ちすぎている。


「……その顔、気に入ったのね」


 ダイニングテーブルでコーヒーカップを片手に、栞が呆れたような、でも少し面白がるような声で言った。


「……まあ、強いのは分かる。ただ、ちょっと取り扱い注意すぎるなって思って」

「贅沢な悩みね。それ1本で、並のAランク探索者の生涯年収より価値があるわよ」


 栞の言葉に苦笑しつつ、俺は黒淵の紅刃を専用の鞘に納め、腰のベルトに固定した。

 鞘に収めれば、あの異様な威圧感はいくらかマシになる。それでも、隠しきれない『本物』の気配がそこにあった。



 いつものように池袋ギルドへ向かうと、明らかに周囲の空気が違っていた。


「おい、あいつ……」

「最速Bランクの……」

「例の寝落ちニキだろ。本物初めて見た……」


 ひそひそとした囁き声と、遠慮のない視線。

 昨日までの「なんか変な新人」って目線とは、明らかに違う。Bランク昇格のニュースが回ったせいで、完全に見る側の温度が変わっていた。


 居心地の悪さを感じながらカウンターへ向かうと、顔なじみの受付嬢が、いつも以上に硬い表情で頭を下げた。


「朝倉様、神城様。……実はお伝えしなければならないことが」

「蒼穹の刃、ですか?」


 俺が先回りして聞くと、受付嬢は気まずそうに、しかし深く頷いた。


「はい。……先方の担当者様が、現在このギルドの上階、特別応接室でお待ちです。今日なら短時間でも構わないので、どうしても直接お会いしたいと。白百合の剣と並ぶ規模のクランが、こうして直接出向かれるのは本当に珍しいことでして……」


 本気だ。

 これ以上逃げても無駄だと、暗に告げられている気がした。俺が顔をしかめていると、隣で栞が小さく息を吐いた。


「さすがに一度くらい会いなさい。断るにしても、その方が早いわ」

「……まあ、そうだな」


 ギルドの階段を上りながら、俺は短く息を整えた。

 大手クランは面倒だ。勧誘されたからって、素直に嬉しい気分にはならない。

 だが、栞の言う通り、巨大組織の情報網は俺たち個人の比じゃない。接触することで、夢の欠片に繋がる有益な情報が取れるかもしれない。


「大手は面倒だけど、使えるものは使うべきよ。相手のペースには乗らないことね」

「分かってる」


 俺たちは特別応接室の重厚な扉の前に立ち、短くノックをしてから中へ入った。



「お待ちしておりました」


 部屋の中央、高級な革張りのソファから1人の男が立ち上がった。

 年齢は30代半ばだろうか。仕立ての良いスーツの下に、防刃の特殊繊維を織り込んだインナーを着込んでいるのがわかる。


 Sランク探索者にしてクランマスター、神崎烈――ではない。

 だが、こちらに向けられた柔らかい微笑みには、確かな『強者』の余裕があった。


「お初にお目にかかります。朝倉優馬さん、神城栞さん。私は『蒼穹の刃』で副長を務めております、霧島と申します」


 差し出された名刺を受け取る。

 霧島の態度はあくまで丁寧で、威圧感はない。だが、その細められた目の奥は、完全に俺たちを値踏みしていた。

 個人の力で圧倒してくる天城凛とは違う。巨大な組織を背負い、利益と戦力を天秤にかける、冷徹な『スカウトする側』の目だ。


「突然の訪問をお許しください。どうしても、直接お会いしてご挨拶したかったもので。……おや」


 そう言いながら、霧島の視線がほんの一瞬だけ――俺の腰に提げた黒淵の紅刃で止まった。

 眉1つ動かさなかったが、空気がわずかに張り詰めた。


「……珍しい気配ですね。最近、良い出会いがあったと見える」


 ぞくりとした。

 鞘に収まっているにもかかわらず、漏れ出る気配だけで何かを悟ったらしい。

 この人、分かってるな。大手クランの幹部というだけあって、情報も目利きも底知れない。


「ええ、まあ。運が良かったんです」


 俺は短く返し、警戒を悟られないように、霧島の対面のソファに腰を下ろした。

 栞も黙って俺の隣に座る。


「さて」


 霧島は静かに微笑んだまま、本題に入った。


「単刀直入に申し上げましょう。我々『蒼穹の刃』は、お二人の直近の活動を高く評価しております。Bランクへの最速昇格。神城さんの特異な支援スキルを活かした、他に類を見ないバディ運用。そして何より――最近の攻略速度の異常さ」


 霧島の目が、すっと細まる。


「天城さんがあなた方に『白百合の剣』の客分エンブレムを渡したと聞いた時は驚きましたが……今なら納得できます。あなた方は、いずれ確実にSランク帯に到達する。我々はそう判断しました」


 俺は黙って続きを促した。


「もちろん、今すぐ正式加入を求めるつもりはありません。今のあなた方には、何かの枠に収まる気がないことも承知しています」


 霧島はそう言って、内ポケットから銀色に輝く小さな金属片を取り出し、テーブルの上に置いた。

 蒼い空に剣が交差する意匠。蒼穹の刃のエンブレムだ。


「ただ、我々の名を預けることはできます」

「名を、預ける?」

「ええ。蒼穹の刃の特別協力者として、このエンブレムを持っていただきたい」

「素材の融通も、ギルドでの面倒も、ある程度はこちらで通せます」


 空気が重くなった。

 軽くない。天城さんが「面倒な奴に絡まれた時の護身用」としてポイッと投げてよこした白百合のエンブレムとは、重みが全く違う。


 隣で、栞が小さく息を吐く音が聞こえた。


「……本気で囲いに来てるわね」


 栞の呟きは、俺にも聞こえる程度の小さなものだった。

 白百合の剣のエンブレムは、天城凛という個人の『期待と興味』だった。


 だが、目の前にある蒼穹の刃のエンブレムは違う。

 これは好意じゃない。

 組織としての判断だ。

 将来使えると見た戦力に、先に印をつけに来ている。


 しばらくの沈黙の後、俺はテーブルの上のエンブレムを見つめたまま、口を開いた。


「……すみません」

「ほう」

「今は、受け取れないです」


 霧島の表情は変わらなかった。ただ、静かに俺の言葉を待っている。


「俺たちには、まだやらなきゃいけないことがあります。それに、こういう重いものを、軽い気持ちでとりあえず受け取るのは、ちょっと違うと思うんで」


 縛られたくない。

 それが本音だった。便利なのは分かるが、これを受け取れば確実に『あちら側』のペースに巻き込まれる。今はまだ、自分の足元を固める時期だ。


 だが、完全に交渉を打ち切るつもりもなかった。


「……でも、話を聞く気はあります。情報交換なら、歓迎します」


 俺の答えを聞いて、霧島は初めて、少しだけ人間臭い笑みを浮かべた。


「構いません。今日のところは、そういう返事でも」


 怒りも、落胆もない。

 いずれ自分の手の中に入ることを疑っていないような、強者の余裕だった。霧島はエンブレムをスッと懐にしまい直す。


「では、情報交換の第一歩として、1つ有益なお話を置いていきましょう」

「お話、ですか」

「ええ。最近、Bランク帯の攻略領域――『新宿地下水道・深層』で、少し奇妙な現象が観測されていましてね」


 霧島の声が、一段低くなった。


「特定のエリアで、局地的に異常な魔力反応が起きているんです。我々の調査隊の報告によれば、それは……『夢の道標』が発生する直前の兆候に、酷似しているとか」


 心臓が、大きく跳ねた。

 栞がわずかに姿勢を正すのがわかった。


「まだ未公開の情報です。我々でも手を焼いている領域ですが……あなた方なら、あるいは興味を持たれるかと思いましてね」


 霧島は一礼して立ち上がった。


「本日はお時間をいただき、ありがとうございました。またいずれ、ご連絡差し上げます」



 夕暮れの池袋を、俺と栞は並んで歩いていた。


「……思ったより面倒だったな」

「でも、ただの勧誘じゃなかったでしょ」

「まあ、そうだな。情報は有益だった」


 夢の道標に近い異常な魔力反応。

 それが本当なら、次なる『夢の欠片』に繋がる可能性が極めて高い。


「で、行くの?」


 栞が、横目で俺を見た。


「……行くか。せっかく聞いたしな」


 俺の返答に、栞は満足そうに口角を上げた。


「ええ。新しい短剣の試し斬りにも、ちょうどいい場所ね」


 俺は歩きながら、腰に提げた黒淵の紅刃の柄にそっと触れた。

 服の上からでも、その異様な気配が伝わってくる。


 まだ名前をもらったばかりで、俺自身も慣れたとは言えない。

 でも、たぶんこいつは強い。

 強いなんて言葉で片づけるのも、少し違う気がする。


 ……問題は、それを試す相手が、だいたいシャレにならないくらい危ないってことだ。

 たぶん、そういう日に限って面倒なことは増える。


「今日こそは、ゆっくり寝たいんだけどな……」


 俺の小さなぼやきは、夕方の雑踏の中に吸い込まれて消えた。

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