10/24 贅沢な時間の使い方
「贅沢さ」と「有意義さ」の優劣について考えるのなら、まずは双方の構造を考えるべきである。
考えるに「贅沢」を効果的に得るための手段が「有意義」という属性をはらんでいると思われる。
つまりは「将来立派になるために、今のうちに有意義な時間の使い方をしときなさい」というわけで、「贅沢」という報酬のために「有意義」という努力をするという構造になる。
贅沢について条件を考えると、それは無駄にあると考えられる。
しかしそれは本質ではなく、何かを「無駄」にできるほどの余裕こそが贅沢の本質である。
ここでこの「有意義」と「贅沢」の二つの対立構造について考える必要がある。
有意義の反対とは無意義、あるいは無駄である。
しかし「贅沢」の反対とは周知の通り「質素」である。
ここに構造的な乖離が存在する。
無駄という評価次元は贅沢に含まれるものとして考えると、本件の結論が見えてくる。
つまり、構造としては、「有意義」の評価次元は「贅沢」より一次元下に位置するものということがわかる。
結論として単純な構造上の包括性のみで考えるのであれば、「贅沢」とは「有意義」よりも上の存在である。ということである。
つまり、今日の私が朝5時までFarFarWest やって次に目を覚ましたのが夕方6時だったことは、時間を「無意義」に過ごしたわけではなく、より高位の評価軸にある「贅沢さ」を求めた結果であるということである。




