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10/10 順転
帰り際、駅構内のDOUTORに映りこんだ自分の姿が順転だった時の喪失感など。
順転に映し出された私の像は、つまり私のあるべき貌を極めて正確に、かつ客観的に映し出したものであるのにも関わらず、当初私はそれへの認識を主観的なものとして認識する事ができていなかった。
重ね合わせた時一部の正解もない鏡像に自身の姿を投影し続け、あたかもそれが私自身であるかのような理解が前提としてある中では、「正解」として映し出された私を、私は私として理解できなかったのである。
私が左の肩にかけていたKALDIのバックを、自動ドアの縁に映った私は左肩にかけていた。
階段の登りぎわ、右足をついて改札階に登頂した私の姿を、窓の中の私は左足をついて登頂した。
その中で、私は窓の中の鏡像のみを私として認識していた。




