8/31 超絶多様性時代。〜夏休みは終わらないSP〜
「いい時代になったものです。」
カメラの前でそう語るのは、御年54歳、遠藤不 八氏。
「夏休みが8/31で終わらなくなったのですから。」
令和が終わってすぐの頃、男女平等参画社会法やLGBTQの台頭に伴う多様性の許容が法的根拠や条約、国際協定にまで及んだのは記憶に新しいのではないでしょうか。
今やかつて絶対的根拠とされてきた多くのものは主観による変動を受け入れ、調和しています。
本日は、近代多様性認識時代の専門家、遠藤不八氏に、お話をお聞きしたいと思います。
「遠藤不さん、夏休みが終わらなくなった…というのは?」
「茨城のセシウム原子時計が撤去されたのは知っていますかな。」
リポーターが向けたマイクに、咳払いをして遠藤不さんは話し始めます。
「ええ。時間が絶対的な物差しで測られるのは多様性に反するとの意見により、先月撤去されました。」
「そうです。つまりは、あの瞬間時間とは主観によって語られるものとなった。それにより、すべての時間に伴う物差しは、個々人で設定するものとなったわけです。」
「と言うと?」
「8/31の次が9/1である必要がなくなった。そも、8/31が8/31である必要すらなくなった。つまり、夏休みが終わり、学校が始まる9/1は完全に失われたと言うことになります。故に、夏休みは終わる契機を永遠に失った。」
「これも多様性ですね。」
「その通りです。全ては多くの主観によって成り立つようになった。」
「素晴らしい。現代社会の在るべき姿かと思います。」
遠藤不氏は満足げに頷きました。
しかし、一方で……
「遠藤不さんは、近代多様性認識時代にもある種の危険性があると、発信していましたよね。」
「……。」
リポーターの言葉に、口をつぐんで顔を伏せる遠藤不氏。
沈黙が流れます……。
「これを、見て頂きたい。」
遠藤不氏が広げたのは、一台のノートパソコン。
中には、一つの動画が。
『あ?(シャッター音)…こっち…(シャッター音)あいや?内、外、外カメなら…(シャッター音)』
そこには、上だけスーツを着た大学生が自撮りを続ける姿が映っていました。
「……これは?」
「就活用の証明写真をスマホで撮ろうとしている様子です。この多様性時代、すべての主観が基準となり、内在世界で周囲を構築しなければならない以上、こういった気狂いも生まれてしまう。」
「多様性社会は、個人の精神的負担もまた増やしてしまう可能性があると。」
「ええ。やはりある程度の指針はあったほうがいいと感じる層もいますから。かく言う私も、カップラーメンが出来上がる時間がわからなくなったのは1度や2度ではない。」
遠藤不氏は乾いた笑いをしながら、続く動画を再生しました。
「これは?」
「まぁ見ていてください。」
暗い部屋。
画面の中央には、2人の男が前後に立っていました。
前は赤い服を、後ろには青い服を着ています。
2人は向かい合わせで立ち、互いに指を差し合っています。
数秒向かい合った後、赤い服の男が手を下ろし、カメラに向き直ります。
沈黙。
カメラが赤い服の男の顔にズームします。
見れば、赤い服の男の目は、真っ赤に充血しています。
水気を失ったように瞳は燻んだ反射のみを残し、目尻だけが震えています。
カメラが左に
『……!!!!』
叫び声と共に赤い服の男が聞こえますが、直後音声が途切れました。
後には、ズームされた暗い部屋のみが残りました。
「……なんだったんですか?」
「つまり、昨今の世界は自身の内在世界を広げて周囲を形作る必要があります。すなわち、量子的な状態への許容が些か狭まった状態なわけです。」
「はぁ。」
「元々、シュレディンガーの猫で有名な『観測』というのは、単に人間が“見る”ことではないんですね。猫の状態が実際に生きている状態と死んでいる状態とで重なっているわけがないですし。生きているか死んでいるかでしかないわけで、つまりは、『わからないから存在しない』という解釈はあの実験においては誤りです。人間が認識するから現象が確定するのではなく、現象が確定するから人間が認識できるのです。この話は因果の順序を誤って理解されがちです。」
「しかし、ある種の許容が起きてしまった。多様性に前提される相互干渉が、外部に残るべき結果を不確かなものとしてしまった。絶対的根拠を失ったのは社会だけではなかったのです。」
「つまりは?」
「観測は外部への結果という唯一の手がかりを失ってしまったのです。故に、最も安定的な面に実在を託すしかなくなった。水滴が空中て球を模るように、石が波に揉まれて円くなるように、本来の定義から外れたシュレディンガーの猫が発生してしまった。つまり、『人に観測されないと実在できない』存在が。」
リポーターが懐から取り出したナイフを遠藤不氏に向けました。
「多様性の時代です。害意を向ける事は個人の自由です。お分かりになりますか。」
「あなたこそ理解されていない。なぜナイフで害せるのが私なのですか?ナイフの多様性を理解していない。」
ナイフを持ったリポーターの指がするりとずれ、そのまま地面に落下します。
ナイフは刃先を上に向けたまま、柄が地面に突き刺さりました。
蹲るリポーターには見向きもせず、遠藤不氏はカメラに目線を合わせます。
「宿題は終わりましたか?夏休みは今日で終わりです。」




