54,うれしくてしかたがないことと見慣れた景色
佑紀乃は、この家に住むことになったお礼の意味も込めて、初めて三人で過ごす、この二日間の料理は、すべて自分で用意すると言ったのだ。葉菜はただ、そのことを単純に喜んでいたけれど、たしかに毎食ごちそう続きでは、食材の代金だけでも相当なものになっているのではないのか。
すると、佑紀乃が、どこか申し訳なさそうに言った。
「実は、彼が結構な金額の餞別をくれたんです。最初は辞退したんですけれど、契約解消はこちらの都合でもあるし、娘のことでもいろいろ迷惑をかけたから、受け取ってもらわなければ困るって言われて。
本当ならば、生涯生活を見るつもりでいたんだから、当面の生活費に使いなさいって。たしかに、嫌い合って別れるわけではないですし、アルバイトでお金が貯まるまでの間、ありがたく使わせてもらおうかと……」
その表情を見て、葉菜はふと、佑紀乃は契約ということを抜きにしても、本当に河合の父のことが好きだったのかもしれないと思った。姉が、明るい声で言った。
「そうなの。そういうことなら、心置きなくごちそうになるわ。ねえ、葉菜」
「うん。佑紀乃さんのご飯、どれもおいしくて大好き。佑紀乃さんが作るスイーツも、すごくおいしいんだよ」
「そう。今度、私も食べてみたいわ」
佑紀乃が微笑んだ。
「ええ、ぜひ」
その日の夜も、翌日も、三人でごちそうをお腹いっぱい食べて、たくさん話をして、楽しく過ごした。葉菜は、まるでお正月みたいだと思った。
もしも毎週こんなふうに過ごしていたら、痩せっぽちの葉菜も少しは肉がついて、淳奈ほどとはいかなくても、胸が大きくなるだろうか。今回は特別で、次からは普通の料理になるかもしれないけれど、それでも、とても楽しみだ。
妊娠のせいで胸も豊かになり、以前より全体的にふっくらしている姉は、「お医者さんに太り過ぎはいけないって言われているのに」と言いながら、ご飯をおかわりしていた。
「本当にどうもありがとう。久しぶりにリラックスして、楽しい時間を過ごせたわ」
姉が、佑紀乃に向かって言った。やはり姉は、口ではああ言っていても、毎日緊張しながら過ごしているのだろうと葉菜は思う。
「私も、とても楽しかったです。こんなににぎやかに楽しく過ごしたのは何年ぶりかしら」
「来週は、私は来られないけれど、葉菜のこと、よろしくお願いしますね」
「はい。葉菜ちゃんが来るの、楽しみに待っています」
佑紀乃が、微笑みかけてくれた。葉菜も、これから毎週、家で佑紀乃が待っていてくれるのかと思うと、うれしくてしかたがない。
そのとき、家の前に車が停まる音がした。電話で呼んだタクシーが到着したのだろう。
みんなで玄関を出ると、タクシーのドアが開いた。
「それじゃ、また。お世話になりました」
「いいえ、こちらこそありがとうございました」
「来週も楽しみにしてます」
「ええ、待っているわね」
葉菜が先に乗り込み、後から姉が乗る。
「八津山駅までお願いします」
「かしこまりました」
ドアが閉まり、タクシーが静かに動き出す。葉菜と姉は、振り向いて佑紀乃に手を振り、佑紀乃も、タクシーが角を曲がるまで、手を振りながら見送ってくれた。
シートに寄りかかって姉が言う。
「楽しかったわね」
「うん」
「あんな素敵な人と知り合えて、本当によかったわね」
「うん」
佑紀乃が家にいてくれるならば、家から近くの学校に通ってもいいようなものだが、今の学校も、寮も好きだ。先のことは、まだわからないけれど、高校卒業までは、このまま通ってもいいと思う。友達もたくさんいるし。
そう思いながら、葉菜は車窓から見慣れた景色に目をやった。
姉とは、方向が反対なので、駅で別れた。
「気をつけてね。寮のみなさんによろしく」
「うん。お姉ちゃんも、気をつけてね」
姉に手を振ってから、葉菜は、隣のホームへ向かうため、跨線橋の階段を上がった。




