53,聞きそびれた新婚生活と「ココナッツ」の思い出
「されてないよ。クラスにも友達が出来たし、お昼は学校のカフェテリアで、クラスの友達と、郁美ちゃんたちのグループと、みんなで食べてるんだ」
「そうなの、よかったわね」
「うん」
佑紀乃も微笑みながら聞いている。
「あっ、それから、国語の朽木先生は、葉菜のことを名前で呼ばなくなったよ」
そもそも、朽木先生が「葉菜さん」などと呼び出したのが、事の発端だったと言っても過言ではないかもしれない。
「たまに『葉菜さん』って言いそうになって、『三丘さん』って言い直すこともあるけど」
「先生も誰かに注意されたのかしらね」
「そうかも」
葉菜は、ちらし寿司をぱくりと頬張る。
「おいひー」
口の中の物を飲み込んでから、葉菜も言った。
「お姉ちゃんはどうなの?」
「え? 私?」
「うん。お義兄さんとの新婚生活」
佑紀乃も言う。
「良一郎さん、とても素敵な方ですね」
姉が、照れくさそうに微笑んだ。
「ええ、まあ」
「のろけてるう」
葉菜がふざけて言うと、姉が横目でにらむ。
「大人をからかうんじゃないの」
「えへっ。でも、お姑さんたちと一緒で、窮屈じゃないの?」
「あなた、子供らしくないことを言うわね」
「だってもう子供じゃないもん」
「よく言うわよ。寮に行った日、お姉ちゃんと一緒にいたいって赤ちゃんみたいに泣いたのは誰でしたっけ?」
「あのときは、寮に入るのが嫌だったんだもん。知らない人たちと同じ部屋で生活するなんて……」
口を尖らせる葉菜を、姉は優しい目で見つめながら言った。
「私も、葉菜と同じよ。本当は、最初はちょっと怖かったの。
でも、一緒に暮らしてみたら、お義父さんもお義母さんも、とても優しいし、私の体を心配していたわってくれるわ。
葉菜を寮に入れたことも、最善の方法だと思ってそうしたけれど、もっと別のやり方もあったかもしれないって、お義母さん、ずいぶん気になさっていたのよ」
「ふうん」
「葉菜が、今は学校でも寮でも楽しく過ごしているって話したら、きっと喜んでくださるわ」
「それならいいけど」
結局、新婚生活については聞きそびれてしまった。
しばらく食事に専念する。ちらし寿司も、筑前煮も、鶏の竜田揚げも、佑紀乃の料理は最高においしい。
料理でお腹がいっぱいになってしまって、ケーキが入る余地がなくなってしまいそうだ。
新しくお茶を淹れながら、佑紀乃が言った。
「私、来週からアルバイトをすることが決まったんです」
「まあ」
「どこでするの?」
「駅前のカフェです。コーヒー専門店の」
「あっ、『ココナッツ』っていうところ?」
佑紀乃がうなずく。葉菜は、思わず声を上げた。
「えーっ、あそこのおじさん苦手」
佑紀乃が、首を傾げる。
「何かあったの?」
「昔、夏の暑い日に、あそこに入ってクリームソーダを頼んだら、『コーヒー以外のメニューだけの注文はお受けできません』って言われて。
ちゃんとメニューに書いてあるのに、出してくれなかったの」
姉が言う。
「そんなことがあったの。全然知らなかったわ」
佑紀乃が言う。
「コーヒー専門店だからなのかしら」
「それで、葉菜はどうしたの?」
「しかたがないからお店を出て、近くのコンビニで買って飲んだ。コーヒーは苦くて嫌いだし、どうしてもクリームソーダが飲みたかったんだもん」
「ふうん、そうだったの。まあ、言いたいことはわかるけど、子供相手に大人げない気もするわね。……あっ、今のはマスターには内緒ね」
姉がそう言って、みんなで笑った。
楽しくしゃべっているうちに時間も経ち、お腹に余裕も出来たので、姉が持って来たケーキを食べた。紅茶を淹れながら、佑紀乃が言う。
「今夜はすき焼きにしようと思うんですけれど、いかがですか?」
「わあ、大好き」
無邪気に声を上げた葉菜の横で、姉が言った。
「佑紀乃さん、今回は全部ごちそうしてくださるっていうことだけど、一食ならばまだしも、こんなにしていただいていいの?」




