37,怒りに燃える目と「契約」
葉菜は佑紀乃に問いかけたつもりだったが、河合が、怒りに燃える目で、佑紀乃をにらみつけながら言った。
「こいつが、人のものを横取りして、自分だけが得をしようとする、薄汚いあばずれだからよ」
「違うわ!」
佑紀乃が叫んだ。だが、すぐに河合が言い返す。
「違わない! 汚い手を使って、我が物顔で洋館に住み着いて、私やママが知らないとでも思った? これは不法侵入よ!」」
佑紀乃の顔から、血の気が引いたように見えた。彼女は静かに言った。
「違うわ。あなたこそ、何も知らないくせに」
河合が、ひるんだように黙り込む。
「もちろん、自分がしていることがよくないことは自覚しているわ。でもこれは、契約なの。
私の母は、難病で、長い間患っていたの。母はシングルマザーで、一人で私を育ててくれたのよ。
莫大な治療費がかかるけれど、どうしても母を助けたかった。でも、いくら仕事を掛け持ちして働いても、私一人ではどうすることも出来なかった。
もうとっくに体力の限界は超えていたけれど、治療を続けなければ、母は死んでしまう。とにかく必死だったわ。
仕事先で出会った彼が、そういう私の境遇を知って、契約を持ちかけて来たのよ。治療費を払う代わりに、愛人にならないかって」
佑紀乃は、河合の父親を「彼」と呼んだ。
「契約の内容は、こうよ。母の治療費を全額支払って、住まいも用意する代わりに、私は生涯、彼の愛人として尽くす。
悩んだわ。彼に家庭があることはわかっていたし、生涯、つまり母が亡くなった後も、一生彼の愛人として生きることが私に出来るだろうかって。
でも、今の生活を続けても、遅かれ早かれ破綻することは目に見えていた。治療費は、それほど高額だったの。
とてもありがたい話だと思ったわ。彼にしても、軽い気持ちで提案出来るようなことではないでしょうし、そこまでしてもらうならば、一生尽くすのは当然だと思った。
私は、彼と契約を交わしたの」
圧倒されている葉菜を見て、佑紀乃が言った。
「私のこと、軽蔑する?」
葉菜は、首を横に振る。
「そんなこと……」
ただ、想像もしていなかった話の内容に驚いているだけだ。視線を落として、佑紀乃は続ける。
「治療の甲斐なく、母は去年亡くなったの。でも、出来る限りの治療を受けさせてもらうことが出来て、本当によかったと思っているわ。
後悔もしていない。それに、彼は今も、私のことをとても大切にしてくれるわ」
「ふざけないで!」
河合が叫んだ。
「私の前で、よくもぬけぬけとそんなことが言えるわね。いくら親の病気を言い訳にして自分を正当化しようとしたって、やってることは泥棒猫じゃないの!」
佑紀乃は、河合に向き直る。
「ごめんなさい。あなたとあなたのお母さまに、とても失礼なことをしているのは事実です。本当にごめんなさい」
佑紀乃は、深々と頭を下げた。だが、河合はさらにいきり立つ。
「しおらしいふりをして見せたって、私は騙されないわよ。一生尽くすとか言いながら、パパのことをいいように操っているじゃないの!」
佑紀乃が顔を上げる。
「なんのこと?」
「あんた、偉そうにパパに指図したんでしょう? 三丘さんのこと」
急に自分の名前が出て来て、葉菜は驚く。いったいどういうことだ。
あたふたと二人の顔を見比べていると、佑紀乃が話し始めた。
「葉菜ちゃんが、学校で理不尽な目に遭っていることを聞いて、ずっと胸を痛めていたのよ。未玖さんが関わっているらしいこともショックだった。
でも、私に口出しする権利なんてないし、告げ口するようなことをしてはいけないと思って、ずっと黙っていたのよ。
だけど、昨日のことは、いくらなんでも度を越えていると思ったし、このままどんどんエスカレートしたら、取り返しのつかないことになるんじゃないかと……」
つまり、小火騒ぎのことか。




