33,見知らぬ男性と泥だらけのスカート
とにかく佑紀乃に会いたい。あの美しい笑顔を見て、優しい声が聞きたい。佑紀乃さん、私のもう一人のお姉さん!
必死に走り続けた甲斐があって、やがて木立の隙間に洋館の灯りが見えて来た。
よかった。激しい呼吸を繰り返しながら、葉菜はさらに足を速める。
ようやく洋館にたどり着くと、玄関ポーチの脇に、いつもはない乗用車が停まっている。不審に思いながらも、ドアの前まで行ってチャイムを鳴らす。
だが、いくら待っても、佑紀乃は出て来ない。灯りは点いているし、さっきまで一緒にいたのだから、いないはずはないのだが。
葉菜は、さらにチャイムを鳴らしながら声をかける。
「佑紀乃さん、葉菜です。佑紀乃さん、開けてください!」
何か手が離せない用事の途中なのだろうか。もしかして、入浴中とか。
それならば、少し待ってみようか。そんなことを考えていると、ドアの向こうに人の気配がした。
よかった。やっぱりいたのだ。
だが、おもむろにドアが開いて、ほっとした葉菜の前に現れたのは、佑紀乃ではなく、バスローブを着た見知らぬ中年男性だった。
驚いて見上げる葉菜に、彼は冷たい声で言った。
「なんだ君は。こんな時間にしつこくチャイムを鳴らして」
「あっ、ええと、佑紀乃さんは……」
「なんだって?」
彼は怪訝そうな顔で葉菜を見下ろす。
「あの、ここに住んでいる佑紀乃さんです」
「佑紀乃? そんな人は知らないなあ。ここは私の家だ」
そんな馬鹿な。呆然とする葉菜に、彼は言い放った。
「君は、そんな格好で、こんな時間にこんなところで、一人で何をしているんだ。子供は早く家に帰りなさい」
そんな格好と言われて、思わず自分の体を見下ろすと、さっき転んだときに汚れたのか、ワンピースのスカートが泥だらけだ。
あわてて泥を払っていると、バタンとドアが閉まった。中で鍵をかける音がする。そんな……。
「ちょっと待って! すいません、開けてください!」
ドアをバンバンと叩きながら叫んだが、それきり、ドアは二度と開かなかった。
そんな、ひどい……。絶望とショックで涙がこみ上げる。
今の自分には、頼れる人は佑紀乃しかいないのに、何度もここに来て、お茶とお菓子を食べながら話をしたのに、佑紀乃がいないだなんて。なんであの人は、そんな嘘を。
どういうことなのか、さっぱりわからない。頭が混乱していて、何も考えられない。
「佑紀乃さん……」
葉菜はしばらくの間、ドアの前に立ち尽くしたまま泣き続けた。
やがて激情は去り、涙も止まった。汗が冷え、森の夜気は、コットンのワンピース一枚では寒いくらいだ。
葉菜は考える。これからどうしよう。
寮を出てから、どのくらい時間が経ったのだろう。榎戸や見海は、葉菜がいないことに気づいて探しているだろうか。
その場の感情だけで飛び出して来てしまったけれど、もしや自分は、とんでもない間違いを犯してしまったのではないか。これでは、余計に騒ぎが大きくなってしまう。
そこで葉菜は、はっとする。
みんな、葉菜がいなくなったのは、葉菜が火をつけた犯人だからだと思うのでは? やましいところがあるから逃げ出したのだと。
今さら寮に戻っても、きっと誰も葉菜の無実を信じてくれないに違いない。吉尾先生が、葉菜の話をまともに聞いてくれなかったように。
どうしよう。再び涙が溢れ出す。
佑紀乃に会えば、きっと助けてくれると信じてやって来たのに、佑紀乃には会えず、姉に電話することも出来ず、ほかに行くところもない。
どうしよう……。もうどこにも行くところがない。
葉菜は泣きながら、洋館の周りを歩き始める。どこかの部屋に佑紀乃がいるのではないかと思うが、さっきの男性が怖くて、声をかけることも出来ない。
建物の反対側に回ると、花壇のそばに小さなあずま屋があったので、その中に入り込んだ。そこはガーデニングの道具を置く場所になっているらしく、土の匂いがしている。




