32,葉菜は洋館を目指して走り出す
見海は、ちらりと葉菜を見てから、新国に向かって言った。
「葉菜ちゃん、あっ、三丘さん、学校で、とても悪質な嫌がらせをされているんです。もしかしたら、このことも……」
榎戸が、不審げな顔をする。新国が言った。
「なるほど、わかりました。私たちは事実関係を検証したまでで、警察ではありませんので、これ以降のことは、みなさんで検討してください」
消防士たちは帰って行った。彼らを送り出した後、食堂に戻って来た榎戸が言った。
「ほかの部屋のみなさんには、談話室で待機してもらっています。とにかく、まずは部屋に行ってみましょう」
部屋には異臭が立ち込めていた。消火器で火を消した後、水をかけたという部屋の中は、葉菜のベッドを中心に、ひどい状態になっている。
貴重品は鍵付きのロッカーにしまうように言われていたのに、いつも枕元に置いたままにしていたスマートフォンは、液晶画面が焦げて黒くなり、使える状態でないのは明らかだ。
榎戸が言った。
「ベッド以外は、それほど被害はなさそうだけど、何しろ臭いがすごいわね。とりあえず、今夜あなたたちが寝る部屋を用意しないといけないわね。
それに、小火があった事実を、すぐに学校に報告しないと。悪いけど、少しここで待っていてね」
そう言って、榎戸は足早に部屋を出て行った。
葉菜はぎくりとする。そうなれば、当然、葉菜と見海は話を聞かれるだろう。
葉菜はともかく、見海は、さっきもそうだったように、今まで葉菜の身に起こったことを話すに違いない。その後の展開を考えるとぞっとする。
葉菜にかけられた疑惑が明らかになれば、とんでもないことになるに違いない。そして、いずれは姉の姑から、姉の耳にも入り……。
せめてその前に、姉に連絡しようにも、スマートフォンは壊れてしまった。見海に借してもらおうか。
だが見海は、さっそくスマートフォンを取り出して、何か一心に打ち込んでいる。そうしながら、葉菜に向かって言った。
「瑠衣ちゃんや淳奈にも知らせないと。後から知って驚かないように」
それを聞いて、葉菜は愕然とする。このことは、葉菜が泥棒に仕立てられたときのように、あっという間に学校中に広がるだろう。
それだけではない。こうしている間にも、談話室に集められた寮生たちは、小火があったことを友達や家族に知らせたり、SNSに投稿しているかもしれない。
姉に迷惑がかかってしまう。どうしよう……。
思わず後ずさると、見海が顔を上げた。
「葉菜ちゃん?」
「あっ、ちょっとトイレに行って来ます」
部屋を出ると、一気に階段を駆け下りる。談話室に公衆電話があるのだが、今はとても入る気になれないし、みんなに注目されながら電話をかけることなんて出来ない。
一階まで下りると、談話室の前を通り過ぎ、玄関へと急ぐ。すでに外は、すっかり暗くなっているが、葉菜は佑紀乃の洋館を目指して走り出す。
どうしていいかわからないけれど、とにかく一刻も早く姉に連絡しなくてはと思う。佑紀乃に電話を借りるのだ。
後から考えれば、公衆電話ならばコンビニにもあった。だが、そのときは、電話をかけるためだけでなく、佑紀乃に助けを求めたい気持ちが強かったのだ。
とっぷりと日が暮れた中、人気のない別荘地の間を森に向かって行くのは心細いし、少し怖い。だが、どうしても佑紀乃のところに行かなくては。
そう思い、葉菜は足を速める。息が上がり、汗が噴き出すが、葉菜は足を緩めない。
佑紀乃さん、佑紀乃さん……助けて!
森の中は闇に沈んでいる。果たして洋館までたどり着けるのか心もとなかったが、いつも通った道を、なかば勘に頼ってただひたすら進む。
途中で、木の根か何かに足を取られ、思い切り転んだが、土の道なのと気がせいているのとで、あまり痛さは感じない。いつしか電話を借りることも頭の中から消えていた。




