15,朽木先生のお願い事と河合の言葉
「葉菜さん」
その声は。振り向くと、思った通り、朽木先生が立っていた。
「この後、葉菜さんのクラスの授業なのですが、ちょっとお願い事をしてもいいですか?」
「はあ……」
郁美たちとは、その場で別れ、葉菜は、朽木先生の後について職員室に向かう。先生が、デスクの上のプリントの束を指して言った。
「漢字とことわざの問題集です。葉菜さん、これを教室に持って行って、みなさんに配っておいていただけませんか?」
このくらいなら、先生が授業のときに持って来ればいいのに。そう思いながらも、葉菜は答える。
「わかりました」
プリントを持って教室に入って行く。みんな、まだ席に着いてはおらず、思い思いに固まって談笑している。
「あの……」
葉菜が言っても、みんな話に夢中になっていて、誰も見向きもしない。しかたがないので、意を決して声を張り上げた。
「あの、すいません!」
とたんに教室中の視線が集中し、葉菜はどぎまぎしながら言う。
「あの、これ、次の国語の授業で使うプリントなので、配ります」
すると、いつものように自分の席に座って、取り巻きに囲まれた河合が言った。
「どうしてあなたが配るの? そういうことは、普通はクラス委員がするものじゃないかしら」
河合とは離れた場所から、結城がじっとこちらを見ている。
「それは、ええと、たまたま廊下で朽木先生に会って」
河合が言った。
「ふうん、そうなの。たまたま、ね」
「……はい」
気まずい。こういう事態を恐れていたのに、どうして朽木先生は、葉菜にばかり話しかけたり用事を言いつけたりするのだろう。
プリントを数えて前列の机に置く手が、かすかに震える。
やがて授業開始のチャイムが鳴り、朽木先生が入って来た。満足そうにみんなの机の上を見回してから、また余計な一言を言った。
「葉菜さんが配ってくださったようですね。今日みなさんにやっていただく問題集ですよ」
ああ、もう……。葉菜はうつむく。
放課後、帰り支度をしていると、結城がそっと近づいて来て言った。
「個人的に用事を言いつけられるなんて、三丘さん、本当に朽木先生に気に入られているのね」
「そんな。本当に、たまたま廊下で会っただけです」
「でも、あれは相当まずわね。河合さんは、なんでも自分が一番じゃなくちゃ気が済まない人なのよ。
あなたに直接疑問をぶつけるなんて、よっぽどプライドが傷ついたんじゃないかしら」
「そんな……」
「本当に気をつけたほうがいいわよ。あっ、私がこんなこと言ったなんて、誰にも言っちゃ駄目よ。
私はあなたのためを思って言っているんだから」
結城は、そう言って、ちょっと考えるような顔をしてから付け加える。
「それと、クラスの平穏のためにね。じゃあ」
そして、言うだけ言うと、足早に教室を出て行った。
ため息をつき、とぼとぼと廊下に出ると、待っていた郁美が、笑顔で手を振りながら言った。
「葉菜ちゃん、帰ろう」
玄関に向かいながら、郁美が言った。
「さっきの朽木先生のお願い事ってなんだったの?」
「授業で使うプリントを配っておいてほしいって」
郁美は無邪気に言う。
「へえ、うちのクラスでも、明日の授業で配られるかなあ。なんのプリント?」
「漢字とことわざの問題集」
「そうなんだ」
葉菜は、思い切って聞いてみた。
「うちのクラスの河合さんって知ってる?」
「ああ、あの冷たい感じの美人。知ってるよ。なんか、地元のいいうちのお嬢さんなんでしょう?」
「有名なの?」
「有名かどうかはわからないけど、クラスに、同じ中学だった子がいるから」
「ふうん」
「あの人が、どうかした?」
「あの人、朽木先生がお気に入りなんだって」
郁美が笑う。
「まあ、ここには若い男性は朽木先生くらいしかいなから、人気はあるよね。みんな色気づくお年頃だから」
まるで自分は違うみたいな言い方だ。
「郁美ちゃんは?」
「えっ、朽木先生を異性として好きかってこと?」




