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いつも月夜に血の宴  作者: 桂木 一砂
第二章:月夜の宴
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69.難しい話も苦手です。



「それで、ヴィクターは元気にしているか。ヒューゴはどうだ?」


 私がディートリンデに疑問をぶつけるより先に、まるで世間話のように、彼女から切り出したのです。

 先をくじかれた思いですが、この場を支配しているのはディートリンデですし、ヴィクターは彼女の恩人だと言っておりました。二度と会うことはなく、その知らせを聞くこともないだろうと覚悟していたのに、のうのうと私がまた現れたので、聞いておこうというのでしょう。

 なので私は、それを受けて答えます。


「……ええ、元気にしていますよ。ヒューゴと一緒に学園に通っています。ヴィクターは体育科学の講師をしていますね」

「――ほう?」


 ディートリンデが面白そうに眉を上げましたが、愕然とした声が反対側から聞こえました。


「が、学園? 講師?」

「ヴィクターって、あのヴィクターのじいさんだよな?」

「追放されたあいつだろ? 講師ってなんだ?」


 城の一室、かろうじて無事だった会議用の机には、私たちの他、ディートリンデの仲間の人狼たちも席についています。

 みんなでそろって話し合い、といった態でもありませんが、ディートリンデは何を考えているのでしょう。

 ディートリンデが人狼たちをひと睨みすると、ぴたりと口を閉ざしました。

 やはり見事です。


 ……彼らはどうやらヴィクターたちの仲間でもあったようですが、彼の追放の詳細は聞いていないのでしょう。

 本来でしたらフレッド共々、処刑されていてもおかしくなかったはずですから、軽々しく口外できなかったはずです。

 それも、ディートリンデはかなり無理を押して、ヴィクターの命を救ったはずです。彼女の立場も危ういと思っていたのですが、それがクリスの襲撃された城にいたのと何か関係があるのでしょうか。


 それを聞きたかったのですが、ディートリンデの雰囲気が許してくれません。

 なので大人しく、聞かれたことに答えるだけです。


「フレッドの奴はどうだ? 真面目に働いているか?」

「……それが聞いてください、ヘルシング。フレッドは給付金が出るからと、なかなか働いてくれないのです」


 結局、ディートリンデがこうもふつうに振る舞う理由はわかりませんし、腹を読むのは苦手です。開き直って、世間話に花を咲かせることにしましょう。

 もちろん、油断はいたしません。不穏になったらすぐに逃げ出してやります。

 気脈に溶ければ、吸血鬼以外追って来ることもできませんしね。それを防ぐ手立てもありますが、真血の特性で押し切ってやります。


 そんな私の心中を、察しているのかはたまたどうでもいいのか。

 ディートリンデは元から乗り気なのか、私の話に俄然乗って来てくれます。


「ほう? 給付金とは?」

「人が領地に新しく編入される時に支払われるお金です。正直それだけで一生働かずとも暮らせるのですが、それでも労働と納税は義務付けられているのですけれど。まあ、そう厳密に守られてはいませんが」


 私の言葉に、人狼たちは呆けた表情で、顔を見合わせたりしております。極夜の国には詳しくないのでしょうか。

 まあ、アマデウス領がもっとも福利厚生に優れているのはたしかですが。フィリップたちが頑張っておりますしね。


 ……それに、フレッドの生活も、そう珍しいものではありません。

 実際、働いている職場の登録だけはしておいて、実態は働いておらず、ほどほどのお金だけもらって暮らす者も多かったりするのです。

 まあ、それははっきり言って世間体は悪いです。そしてビアンカはそんな男にはやれません。


 ディートリンデは私の話を聞いて、おかしそうに笑いました。


「それは何とも羨ましいな。それでフレッドは遊び呆けているわけか」

「遊ぶというか、女性のお尻を追いかけているというか」

「相変わらずか」

「そうですね」


 ディートリンデはにこやかで、穏やかです。それがけっこう怖いのですが、私も吸血鬼の貴族の端くれ、おくびには出しません。

 ……以前の威圧感がさほどありませんが、はて、一体どういうことなのか、まだ全然見えません。

 混乱する私の横で、人狼たちは顔を見合わせて、何やら話し合っています。


「フレッド? フレッドもいるのか?」

「遊んでるのかよあいつ、吸血鬼の国で?」


 彼らもどうやら混乱しているようです。

 ……人狼仲間でも、フレッドのことは有名なのでしょうかね。それなりに彼を知る者もいるようで、何とも居心地の悪そうな雰囲気が漂います。

 みんな人狼形態なので、その表情は読めません。ビアンカならまだわかるのですが。


 ……それにしても。

 ディートリンデはいたって親しげに私に接しているのですが、初対面の人狼たちはそうもいきません。私を警戒して、うろたえたり混乱したりしつつも、すぐに一戦できるような緊張をしていることに、私は気づいておりました。


 かつて、満月の夜しか変身できなかった彼らですが、今ではある程度自在に姿を変えられるとはいえ、こうして昼間からその姿を保つのは、そこそこ大変だったはずです。フレッドが言っておりました。

 極夜の国では、半分は月のない夜ですが、ほぼ大きな月の昇らない日はありませんから、どうやら変身が楽なようです。

 フレッドがビアンカにつき合って変身して気づいたそうですが、そういえばビアンカ自身はどうなのでしょう。


 彼女は元々、人型に戻れない人狼です。人狼は人と狼の形を持つ種族ですが、そういう弊害があると、やはり体力を著しく消耗してしまうのでしょうか。人型はどうやらエネルギー効率が良く、狼型はその逆で、かなり消耗するそうですが、ビアンカが苦しそうにしているのは見たことがありません。

 ビアンカはしゃべれませんから、その辺がどうなのかはわかりません。けれどよく月光浴をしておりますし、きっと夜のほうが相性が良いのでしょうね、吸血鬼と同じく。


「フレッドは女を追いかけて、ヴィクターは講師、ヒューゴは学生か。やたらと暢気だな」


 ディートリンデが頬づえを付いて、くすりと笑います。

 女性らしい穏やかな表情ですが、それが以前出会った時のものとかけ離れ過ぎて、私は少々居心地が悪いです。


「……まあ、吸血鬼の国とはいえ、我がアマデウス領は平和ですから。争いもないですし、こちらのほうが騒がしいくらいですよ」

「ああ、そうだな。吸血鬼という不倶戴天の敵がいるというのに、相も変わらず人同士で殺し合いだ。良く飽きないものだよ」

「それはたぶん、向こうもそう思っているのでしょうね」

「違いない」


 くくっと笑うディートリンデですが、ますますおかしいです。

 すくなくとも私と、こんなに親しげに話をする間柄では当然ありません。

 吸血鬼ハンターの筆頭、ヘルシング家の者と、極夜の国の辺境伯爵。

 どうあがいても、水と油でしょう。まじわることなどあり得ない関係のはずです。


「それで、あなたは一体――」

「貴様は一体、何者だ? 何故私の血を飲んで、平然としていられる?」


 私が言いかけた時に、覆いかぶせるようにして、ディートリンデが鋭く詰問してきました。

 それに私は首をかしげて見せます。まあ、罠だとはわかっていたのですが、切羽詰まっておりましたのでふつうにいただきました。怪我を負うと、さすがに血を飲まねばきついのです。魔法もあるにはあるのですが、治癒魔法は吸血鬼には不得意ですし。


 なので、少々の罠くらいがあっても、血を諦めることはありません。私には特殊な血があるので、問題ありませんし。

 続くディートリンデの言葉で、彼女の血がどんなものだったかわかりました。


「私の血は特殊なものでな。聖水と銀を溶かし込み、あらゆる破邪と退魔の呪いが込められている。爵位持ちの吸血鬼とはいえ、ただではおれぬはずだ。貴様はふつうの吸血鬼ではあるまい?」


 そう言われましても、わたしには答えられません。

 真血のことは、言うまでもなく秘匿されるべきものです。吸血鬼にとってはあまりに自明のことで、ローラもクリスも特に何も言わないくらいですが、それを人間の、それも選りにもよって、ハンターには話せません。

 もっとも、ヒューゴの病を治した実績も知られておりますし、何らかの特殊な血を持った吸血鬼である、ということはばれてしまっているでしょう。

 なので私は空とぼけるだけです。


「……吸血鬼にも、いろいろな者がいるとしか言えません」

「ハッ、どうだか。それにどうやら、貴様の立場もややこしいことになっているようではないか? あの無貌のヘビとは尋常な仲ではなかったようだが、仲違いか?」


 無貌、というのはよくわかりませんが、あの場にいたヘビの筆頭はクリスでしょう。

 悪友ではありますし、先ほどは人から見れば確かに尋常ではない場面でしたが、吸血鬼なので実は大したやりとりでもないのです。私にはついて行けませんが。

 なので、私はこう答えるよりほかありません。


「ふつうの友人です。……私に少々おいたが過ぎるとかで、忠告を受けただけです」

「胸に穴を開けられてか?」

「吸血鬼にとっては、日常茶飯事……とまでは言いませんが、まあ、ままあることです」

「物騒だな」

「お互い様です」


 吸血鬼ハンターも、吸血鬼を相手にするためか、やたらと血生臭いことに手を染めているのは知っております。

 以前ディートリンデに捕らわれた時の罠には、吸血鬼を呪うというとんでもないまじないに、吸血鬼の血を使っておりました。そのために吸血鬼を生きたまま捕え、血を抜いて殺したのです。

 吸血鬼は人を見下して憚らず、人を何とも思わない冷酷さを持つものですが、吸血鬼ハンターもまた、似た所業を行っています。そうでなければ戦えないのでしょう。


「まあ、貴様はたしかに尋常ではないようだが……まあ、今はいい。それよりも貴様は何故、私を庇った?」


 私が物想いに沈んでいると、ディートリンデがやっと、確信的なところを突いてきました。

 とはいっても、私は彼女に救われた経験があり、そしてヴィクターとヒューゴ、フレッドの命も見逃してくれたのです。

 それに報いるのに、何の抵抗もありません。それだけです。


「以前、助けていただきましたから。恩知らずと思われたくありませんしね」

「助けた……? ……ああ、ヴィクターの時のことか」


 ディートリンデが困ったような顔をしましたが、確かに彼女にとってはヴィクターたちを助けるのが最優先で、ついでに助かった吸血鬼のことなど頭になかったのでしょう。

 そう思ったのですが、どうやらすこしばかりそれは違うようです。


 人狼たちもぴんと耳を立ててこちらを注視しています。微妙な話題なのでしょう。


「あれを恩と思うとは、ほんとうにおかしな吸血鬼だ。私は貴様に厄介者を押し付けただけだが」

「いえ、厄介とは思いません。それにあれは、あなたもそうとう拙い立場に立たされたのでは? 昨夜ここにいたのも、それが原因ですか」

「鋭いな。まあ、当たらずとも遠からずだ」


 ディートリンデは軽く首を振り、話を断ち切ります。

 どうやら聞いて欲しくないことのようですが、確かにハンターたちの動向に関わることですから、たとえ口が裂けても吸血鬼には言えませんね。


「だが、貴様であればヴィクターの時も、あの城の地下から脱出するのは容易かったろう?」

「どうでしょうね。私はあそこに詳しくないので、どんな恐ろしい罠があったか」


 私が捕らわれたあそこは、全部を見て回った訳ではありませんが、ここよりもさらに広い大規模な施設だったはずです。案内された場所しか通っていませんし、どんな恐ろしい光景や罠がそこにあったかも知れません。

 ですがディートリンデは、心底呆れた顔で私を見るのです。


「……あの封印を破れて、しれっとしている吸血鬼に、私が何もできないのはわかるだろう?」


 封印。良くわかりませんが、牢に閉じ込められていた時のことでしょうか。

 あの時は変な感覚と共に、何かが破れた感触はありました。けれどそれだけで、それがハンターにとってどういう意味を持つのかもわかりません。


 ……ほんとうに、わからないことだらけですね。

 まあ、ハンターの生業に関わることですから、そう言った情報は全て秘匿されています。フレッドたちだって、決してハンターたちの技や秘密について、口を開こうとはしません。

 もっとも、無理に聞きだそうともしていませんし、思いもしませんが。

 ……クリスに聞けば、あらゆる方法で聞きだした彼らの秘密を知ることが出来るでしょうし。


 とにかく、よくわからないので自分が凄いのか、それともたまたまかもわかりません。


「さて。私はヘビの者のように、戦い慣れていないので何とも」

「ハッ、どの口が言うか、吸血鬼」


 物言いはきつくなって来ましたが、ディートリンデの態度は柔らかいままでした。

 ……結局のところ、彼女は何故私と話すのでしょう。何かを聞き出そうとしている風にも見えませんし、確認しているようでもありません。


 そろそろ、私から本題について迫った方が良いでしょうか。

 ディートリンデは何故、私と話そうとしているのか。それを知らねばなりません。


「……何故、平然と私と話していられるのですか。私はあなた方の敵であり、あなた方の仲間の仇ですが」


 静かだった人狼たちが、ぴんと耳を立てたままこちらを窺います。

 ですがその私の言葉にもまた、ディートリンデはそっけなく返すのです。


「貴様が殺した者はないし、前線にいたわけでもない。お手伝いでついて来た者にまで噛みつくほど、私たちは見境ないわけでもなければ、余裕も暇もないのでね」

「それでも同義だと思いますが。あなた方の仲間の死に無関係とも言えません」


 結局のところ、これに尽きるでしょう。もともと敵同士であり、昨夜の戦いの場にいた者同士、そして彼らの仲間を直接殺した者の仲間でもあります。

 ……どうあがいても、こうしてのほほんとテーブルを囲む間柄にはなり得ないと思うのですが。

 しかしディートリンデには、これに微笑みながら、首を傾けてみるばかりです。


「何だ、仇敵認定されたいのか?」

「元からでしょう。私たちの間に、敵以外の感覚はないはずです」

「貴様はそう思っていないようだが?」

「平和主義者ですので。……卑怯にも、自分の手を汚さない限りにおいて、ですが」


 私は思わず目を伏せました。いたたまれないですね。


「……私は吸血鬼ですが、元人間ですので、人殺しが怖いだけです。ただ、命の危険が迫ったら、自分の命を最優先します。その程度ですが」


 絞り出すような私の言葉を、ディートリンデは鼻で笑います。


「なんだ。そんなの当たり前だろう。人間はみなそうだ」

「他人の命を優先する、素晴らしい方もいらっしゃるでしょう?」

「そんなのは偶像だ。人は所詮、結局は自分のためになることでしか、他人に施しなぞできない。そうでないなら聖人だ。そして、それは人の範疇にない。人でないモノに、人の道なんてものを示されたところで、只人にどうしろというのだろうな」


 またも、難しい話となって来ました。

 ヘルシングの居城の地下では、私が偉そうに説教しましたが、どうも彼女と話していると、そういった趣になるようです。

 ディートリンデが何を考え、何を感じ取っているかはわかりませんが、とにかく彼女が現状の苦しみに、それを何とかすべく考え、行動に移そうとしているのだけはわかります。


 ヴィクターたちを断罪し、命を救い、追放する時。

 彼女は自分の思考を私にも示しました。

 ディートリンデの言い分はわかりましたし、理解も納得も出来ました。

 ただ、そのすべてを受け入れることはできませんし、全部の納得は得られません。


 ……ただ、彼女に徹底的に足りない部分を、私に補えと言っているのだけは伝わりました。

 だからこそ、フレッドやヴィクター、ヒューゴたちは、アマデウス領にいるのです。

 その不足を彼女がもどかしく思っているのはわかります。

 私はせいぜい、応えられる範疇でそれに報いるくらいしかできません。

 ……そしてたぶん、それでディートリンデは満足したのでしょう。


「……それは、吸血鬼の私には答えられない問題ですね」

「それはないだろう? 元人間の辺境伯。貴様はどうも、人間だった頃の感覚を忘れられないようだが」

「……そうですね。けれど今さらじたばたしたところで、私が吸血鬼なのは変わりませんし」

「だがだからこそ、胸に穴を開けていたんだろうに。まあ、それが貴様なのだろうな」


 ディートリンデは呟くようにこぼして、テーブルに視線を落としました。

 またも何やら考え込んでいるようですが、私は少しずつ焦って来ました。

 今の自分の身の置き場もきついわけですが、それよりも彼女のことが気になります。


「ヘルシング。あなたは今、相当不味い立場にあるのではありませんか」


 たまらず問いかけたその言葉に、ディートリンデはもちろん人狼たちも、僅かに身じろいだのでした。



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