70.大変でしたが収穫もありました。
ディートリンデはあっさりと、顎を引いてうなずきました。
「……そうだな。処されるべき裏切り者たちを逃し、前線では吸血鬼を仕留め損ない、ここでは多くの仲間を失った。さて、私ひとりの首で済めば良いが」
人狼たちがまたも身じろぎします。
彼らは顔を見合わせて……狼の顔なので表情は読みとれませんが、さらに困ったような雰囲気を漂わせておりました。
……クリスたちヘビの者は、徹底的にこの拠点を破壊し、吸血鬼ハンターたちを襲撃してのけました。
彼らから僅かな血臭はいたしましたので、怪我を負った者はいたようですが、欠けた者もおりませんでした。吸血鬼側から見れば、完全殲滅は出来ずとも上々の戦果だったことでしょう。
……一方、吸血鬼ハンター側と言えば。
いったい何人のハンターが死んでしまったのかわかりませんが、漂う血臭からして相当な数です。大きな城ですし、ハンターだけでなく詰めていた者も多いのでしょう。
犠牲者の総数は、埋葬した遺体から推察できますが、元が人だったとわからないほど粉々になってしまった者も多いので、はっきりとはわかりません。
……それを、加害者側の私が問う訳にも参りません。
吸血鬼を狩ることに特化したハンターであっても、準備を整え、全力で殺す気で、しかも集団でやってきた吸血鬼の前には、歯が立たなかったのでしょう。
そしてそれは相手がなまなかな吸血鬼であっても同じでしょうね。たとえば私にはとてもクリスたちを迎え撃つことは無理ですし、双子やジュリエット、領地の血族を集めたって厳しいでしょう。戦いに不慣れな者ばかりです。
まあ、そんな私たちであっても、人が相手であれば、吸血鬼の力量で押し切ることが出来ます。犠牲に頓着しなければ、たとえハンターであっても、ある程度有利に戦えるのが吸血鬼です。
とにかく、吸血鬼を相手に取った戦いで、ディートリンデたちは多くの犠牲を出してしまいました。
それに私も一枚噛んでいるわけですが……それはこの際、置いておくしかありません。
彼女が今、どれほどの立場にいるのかわかりません。以前はヘルシング家の遊撃部隊隊長と名乗りましたが、ヴィクターたちを逃した責を問われたようですし、ここではどうなのかもわかりません。
……ただ、生き残った人狼たちは彼女に従っておりますし、彼女ほどの歴戦の戦士を、いちハンターとして放っておくことはあり得ないでしょう。
ディートリンデが生き残った以上、今回の犠牲の責任を負わねばなりません。
そしてそれに、私も関わっているのです。
……かなり躊躇いましたが、結局私は、その言葉を舌に乗せました。
「……ヘルシング。あなたも極夜の国に来ませんか」
人狼たちが色めき立ち、数人が椅子を蹴立てて立ち上がったようですが、私はディートリンデだけを見つめていました。
彼女の矜持を踏みにじる提案でしたが、私はそれを言わねばならない気がしてなりませんでした。
ディートリンデが、ハンターの仲間たちからどんな扱いを受けるかはわかりません。
勝敗は兵家の常と申しますし、吸血鬼が相手では常勝とはならないでしょう。それにヴィクターたちのように、吸血鬼の元に下るような真似だってしておりません。
ですが最悪、今回の責を取ることによって、ハンターとしてどころか人の国にもいられない、いえ、処刑されることだってあり得るのかもしれません。
……ならば、吸血鬼ハンター……仲間の手の届きにくい場所まで逃げることも出来るのだと、伝えておかねばならない気がしたのです。
まあ、十中八九どころかほぼ十の割合で、断れると思いますが。むしろ激怒されそうです。
そしてやはり、私の心配など杞憂だったようです。
激昂するかと思いましたが、彼女はいたって静かにただ首を横に振るだけでした。
「見くびってくれるな。これでもヘルシング家の端くれ。敗残者であるが、最後までハンターとしての矜持を守り抜く」
「……そうでしょうね。ですが、こんな提案をした私を怒らないのですか? あなたをだいぶ見下したことを言いましたが」
「たかが吸血鬼の戯言に、いちいち腹を立てるものか。下らない」
ふんと鼻で笑いますが、やはりまったく怒っていないようです。
ますます、彼女のことがわからなくなってきました。私に気を許しているなどとはあり得ないのはわかるのですが。
苦い思いを抱いたままで、それでも私は言葉を振り絞ります。
「……ただ、何かあればどうぞ私まで便りをください。私の手が届く範囲であれば、せいぜい助けて差し上げますよ」
「それは実にありがたいな」
……彼女のことはわからないままですが、ひとつだけわかったことがあります。
どうやらディートリンデは、何らかの思惑があって私を引き止め、話をしたのではなく、ただ私からヴィクターたちのことを聞いておきたかっただけのようです。何となく、そんな気がしました。
そして彼女はどうやら、クリスたちヘビの者への闘志も失っていないようでした。
この強さは一体どこから来るのでしょう。私にはわかりません。
そんな感情が顔に出ていたのか、ディートリンデは私に笑いかけます。
「貴様にヘビ共の駆除を手伝えとは言わん。そこは安心しろ」
彼女の笑みは実に獰猛で、私にはぎこちなくうなずいて返すしか出来ませんでした。
彼女の置かれた立場がどれだけ悪いのか、ハンターをよく知らない私にはわかりません。
ですが、ヘルシングの遊撃隊長たる彼女が、吸血鬼である私の助けを受けるわけにはいかないのです。
よって私には、何もすることができません。さすがに今回は、エリやフレッドたちの時と状況が違い過ぎますね。
わかり切ったことではありましたが、こうもすっぱりと切り分けられると、いっそ清々しいですね。
話は終わりだとばかりにディートリンデが席を立ち、数歩進んでから私を振り返りました。
こちらを見ながら顎をしゃくります。どうやらここままで、そしてなぜか私まで見逃してくれるようですね。
ヴィクターたちのことを私に任せたからか、さしたる害がないと見なされているのか、人狼たちだけでも助けられたためなのか、それはわかりませんが。
……ほんとうに彼女は、私からヴィクターたちの話を聞き、残りの無駄話をするためだけに、私を引き止めたのでしょうか。
とはいえ、血液以外の罠の気配もありませんし、今も人狼たちは動こうともしません。
襲われる気配がないので、多少落ち着いていられるのですが、やはり加害者が被害者たちと一緒にいるのは、どうにも肩身が狭くてきついものでした。
ですがディートリンデの前で醜態を晒すこともできず、続けて席を立ちながら、せいぜい軽口を叩きつけてやります。
「……ああ、そうです。お願いがひとつ」
「なんだ?」
「フレッドに手紙を書いてやってください。私が言っても聞きませんから。女にうつつを抜かすばかりではなく、働けって」
数拍の間。
人狼たちはぎょっとしたようですが、ディートリンデは天井を仰ぎつつ、朗らかに笑いました。
「――っはは! あいつは吸血鬼の辺境伯爵相手に、よくもまあ……。わかった、書かせてもらおう。せいぜい、最高級の羊皮紙に金の箔押しでしたためてやるよ」
「ありがとうございます。お礼は極夜の国の特産ワインでも送りましょうか」
「それはありがたいな」
ディートリンデのその言葉は、あながち建前とも思えず、本心からのものにも思えました。
ならば詳しくない私より、マリアかビアンカに選んでもらいましょうか。
そう思ったところで思い出しました。
……人狼たちのひとりから漂う、親しんだ者に近い血の臭い。
ディートリンデに失礼、と断って、私はテーブルに引き返します。
私の目的は、人狼たちのうちのやや小柄な、灰茶の人狼でした。
人狼形態では狼の顔ですので、その表情から性別までよくわからないのですが、多少小柄なのでたぶん女性だと思われます。
私が近付くと全員ががたりと音を立てて席を立ちましたが、今すぐ襲いかかって来るほどの敵意は感じられません。
それは、獣が警戒しているあの雰囲気で、ビアンカと出会った時に良く似ておりました。
突き刺さる敵意の視線が気にならないではありませんでしたが、努めて無視して、私は人狼に話しかけます。
「そこのあなたに、すこしお話があります。お時間を頂けませんか」
「――お、おいっ」
灰茶の人狼の隣に座っていた人狼が、慌てたようにその大きな爪のある手と腕を伸ばして来ました。
こちらは声の低さや体格から、たぶん男性でしょうか? 男女の性差が人と違うのであれば知りません。
とにかく、用があるのは小柄な灰茶の人狼です。大きな灰色狼ではありません。
「私はアベル・アーサー・アマデウスと申します」
無視して灰茶の人狼に挨拶し、頭を下げる私に、灰色狼が詰め寄ろうとしたようですが、仲間に引きとめられています。
灰茶の人狼は体を強張らせながらも、私の挨拶に返して来ました。
「……わ、わたしはフレイ。吸血鬼が何の用よ?」
「あなたには、姉か妹がいらっしゃいませんか」
不躾な私の質問に、灰茶の人狼……フレイは一瞬、何を言われたのかわからなかったようすでした。
ぱちくりとその瞳を瞬かせ、聞いた言葉を咀嚼して、ゆっくりとそれを理解したようです。
僅かに三角形の大きな耳を伏せさせたように見えたのは、そこに何かの葛藤があって欲しいという、私の思いのせいでしょうか。
「……いた、けど」
「その血」
私は手のひらで彼女自身を示し、軽く包帯が巻かれた自分の腕をフレイが見やったのを見てから続けます。
「その臭いと似た血を持つ人狼が、私の領地で暮らしています」
「……え」
フレイが再び私に顔を向けました。
私の想像通りでしたら、その狼の顔からも、彼女と似た雰囲気を感じ取れる可能性はあったのですが、どうも狼の面からは読みとりづらいのです。
灰茶の人狼が、人形態だったらどんな表情なのかも、わかりませんでした。
ただ何らかの変貌があったのか、灰色狼が私に一歩詰め寄りました。
「お、おい、何を根拠にそんなことを言うんだ」
「血のことに関して吸血鬼を疑うのであれば、ご自由に」
そんなハンターなどいないだろうと言外に申せば、灰色人狼はぐっと言葉に詰まりました。
灰茶の人狼は、その鳶色の瞳を私に向けるばかりです。
私は彼女の目をひたと見据えて、告げました。
「……彼女は今、極夜の国で平穏に暮らしています。元気です。働かない男につきまとわれていますけれど、まあ問題ないでしょう」
「おい、それって……」
「ですので」
なおも食い下がる灰色狼は無視してやって、私はフレイに告げました。
「……もし、その人狼に知らせを出したいというのであれば、アマデウス城宛てに送ってください。裏界隈を探せば、極夜の国に手紙を出すのは容易いです。ご存じだとは思いますが」
かつてフレッドも、私宛に手紙を出せましたしね。
極夜の国からの人の流出には非常に厳しい場所ですが、それ以外は案外ゆるかったりするのです。それを知り、商売をするものもいるくらいですから。
蛇の道は蛇と申しますが、詳しい者もいるはずです。吸血鬼ハンターなどという大蛇であれば、なおさらでしょう。
「……これは私からの、勝手な願いなのですが。どうか一度でも、便りを出してください」
お願いします、と深く頭を下げると、周囲がぎょっとしたように息を呑んだのがわかりました。
どうにも私も彼らも落ち着かないようですし、強制出来るお願いでもありません。
ただ、できればフレイが自ら、アマデウス領の口のきけない人狼あてに、手紙を出してくれると嬉しいのですが。
私は顔を上げると、一度フレイの目を正面から覗き込んで、さっと部屋を出ました。
見れば扉の近くにディートリンデが佇んで、こちらを見てにやりと笑います。
私が側まで行くとさっと歩き出したので、それに従いました。
「……案外、世間って狭いのかもしれませんね」
破壊痕が隠し切れない廊下を歩きながら、私がこぼしたひと言に、ディートリンデは律儀に答えてくれました。
「そうだな。人狼で吸血鬼ハンターなんてものは珍しくもないが。難儀な商売だ。好き好んで頭を突っ込む変わり者もいるが、まあ限られた者たちの遊び場だな」
「栄えある勇士たちの誉ある職なのではないですか?」
「さてな。そうでもあるし、そうでもないと言える」
「便利な言葉ですよね、それって」
吸血鬼と吸血鬼ハンターがぽんぽんと軽口を叩き合っておりますが、何とも不思議な感覚です。
果たして、ディートリンデに一体何が起こったのでしょう。ヴィクターを追放して以降、いろいろとふっ切ってしまったのでしょうか。
廊下を歩きながら、ディートリンデの世間話は続きます。
「誉ある勇士といえど、金がなくては何もできんのだ。世の中は所詮金で動く。我らがする仕事ではないと思うだろう? だが、金勘定も出来ねば一線を張ることはできないなんてのは、どこの業界でも一緒だ。私はハンター業界でそれを知った」
「……そういえば、吸血鬼もそうですね」
「ほう? そうなのか」
「ええ、今は公共事業が詰まっておりまして。まあ、資金源にはさほど困ってはいないのですが、勘定は必須ですね。きちんと開示しませんと、贈収賄がどうとか面倒くさくて」
「……吸血鬼どもも金にはうるさいのか」
「うちの領地では、人も多く領政に関わっていますから。吸血鬼には血と力を振るう場を与えておけば十分なのですが、人だとどうも」
ある意味、吸血鬼は単純です。面倒臭いこともありますが、それは人も同じでしょう。
人を治めるには人が一番なのですが、油断するとそういう犯罪行為にも手を出されてしまいますからね。
もっとも、フィリップ長官が目を光らせておりますし、監査もあります。健全でクリーンな職場を守るために頑張ってもらっておりますので、アマデウス城は今日もきっと平穏でしょう。
……ああ、それを思ったら一刻も早く帰りたくなりました。
血生臭いのはこりごりです。
「ははっ、そういう場所なのか。すこし貴様の住処に興味が出て来たな」
「その際はどぞ、私にご指名を。せいぜい歓待させていただきます」
「ああ、是非に」
ディートリンデは相変わらずにこやかです。その何とも言えない不気味さに慣れてさえ来ました。
何故ヘルシング家の者と吸血鬼が、和気藹々としゃべっているのでしょうね。はっきり言って異常です。
……ですが、私もディートリンデも、置かれた立場は微妙なものです。だからでしょうか。
私はまたもやんちゃして、すこし忠告を受けた程度……胸に穴を開けられた程度ですが、まあ吸血鬼ですのでこんなものでしょう。
けれど、ディートリンデはどうでしょうか。何らかの罰則が与えられるのは確実ですが、それが軽い刑罰なのか、はたまた命のやりとりとなるか、それがわかりません。
やはりそれが気になる私でしたが、ディートリンデはもうその質問を許してくれないだろうと思いました。私からは恐ろしくて、もう口に出すこともできません。
なので彼女の話に相槌を打ちながら、その後に続いて歩くだけです。
ディートリンデは玄関ホールまで私を案内すると、足を止めました。
「さて、吸血鬼殿。お帰りはあちらだ。私が言うのも何だが、せいぜい気をつけて帰れ」
入口は大きく破壊されており、落下式の格子扉も、今は取り払われてしまっています。
日は傾き、夜の気配が忍び寄っておりました。そこまで長く話し込んだつもりはありませんでしたが、かなりの時間が経っていたようです。
「貴様のことだから、わざわざ出口などに案内せずとも良かったろうが」
ディートリンデは最後まで軽口を叩くつもりのようです。
私もそれに付き合いましょうか。
「そうですね。ですが、形式というのも大事ですので。吸血鬼でもいろいろ面倒なのです」
「ハッ、そうか。貴様らがわざわざ古めかしい、遅れた文明や技術を捨てないのは、そういう趣味があるからか?」
「懐古主義というやつですね。まあ、悪くはないと思っていますよ」
……腹に何を抱えているかはわかりませんが、彼女と付き合って話すのは、戸惑うものの、まあ楽しいのですが……。
とにかく、疲れました。
今回のことでは、慣れない戦いの場に引きずり出され、昨夜から働きっぱなしです。さらに慣れない腹芸にお話合いと、精神もごっそり削れました。それに怪我もありますし、結構きついのです。
ディートリンデから血を貰ったおかげで、クリスに開けられた胸の傷は大部分は塞がっておりますが、完全には治っておりません。
大きな支障はありませんが、ひどくだるいので早く休みたいものです。服も穴が開いておりますし、着替えたいです。今更ながらなんて格好でしょうね。
「……どこにおっかないハンターが潜んでいるかわかりませんし、とっととお暇いたします」
ぐったりと私が告げると、対象的に元気で明るい表情で、ディートリンデがうなずきます。
「ああ。……貴様はどうも抜けているようで油断ならない。だがまあ、ヴィクターを任せた男だから、そのくらいはな」
ディートリンデがここではじめて、苦笑交じりになりました。
そこに混じった僅かな憂いに、やはり彼女のこれからが心配になってしまいます。
とはいえ、吸血鬼たる私にこれ以上何の手出しもできませんし、させてくれないでしょう。
ディートリンデもそう思っているはずですし、事実、決して踏み込ませようとしません。
「……ではな。二度あることは三度あると言うが、また会うことがないことを祈るよ」
「三度目の正直、という言葉もあるそうですが、果たしてどちらが正解なのでしょうね。ですがまあ、ひとまずはこれで」
「ああ、とっとと失せろ吸血鬼」
「ヘルシングこそ、月夜と闇夜にお気をつけて」
……ただ、万が一。
青天の霹靂ですとか鬼の撹乱ですとか、とにかく何でも、起こらないであろうことが起こったとしたら。
せめて、私の抱え込める範囲で、手助けするのにやぶさかではありません。
……それがせめてもの、罪滅ぼしでしょう。
そう思うことくらいは、きっと許してもらえるはずです。




