43.暗澹たる思いに沈むのです。
「……親愛なる我らが始祖の眷属、そしていと高きヴラドの系譜の方に言われると、嬉しいものですね」
大公閣下と侯爵夫人、おふたりの襲来が、私にとって悪いものでないとわかって、内心ではかなりほっと胸をなでおろしておりました。
恐縮しながらも、引きつったものでない微笑みを私が浮かべておりますと、ローラが鼻で笑います。
「ふん、甘っちょろい若造をそう甘やかしても、良いことはないぞ。これはつくづく隙が多く、抜けておる。やっと貴族らしくなっては来たが、まだまだじゃの」
……途中までごく静かにしてくれていたのですが、どうも血菓子が尽きてしまったようですね。
何だかんだで気の置けない彼女が一緒にいてくれたのは心強かったのですが、あまり公やプリムローズの前で、暴露話はしてほしくないのですが……。
私が内心ひやひやしておりますと、フランチェスカ公が助け舟を出すように、私をちらりと見てからローラに笑いかけました。
「ペンドラゴン卿はアマデウス卿と親しいのに、ずいぶん辛いのですね?」
「まったくだ。両親の責を今になってまで負う必要もないのに、ペンドラゴン領に固執する貴殿も甘いのではないか?」
プリムローズも加勢してくれたようですが、ローラは大吸血鬼二人を前に、負けておりません。
「何を言うか。ただ私の親が過ごした地から離れたくないという、幼く愛しい娘の思いが分からぬか」
「幼くはないだろう? まあ、見かけはともかく、ああも好色なのはいただけないが」
「何を言うか! 吸血鬼としてまっとうに生きているだけじゃ。こやつと比較するでない」
……何だか、ローラとプリムローズの間で姦しいお話になりつつあるようです。
フランチェスカ公もにこやかに見守っているだけですし、止まる気配が見えません。
ここでこのふたりに暴れられたら、せっかくの夜会が台無しになってしまいます。
「ま、まあ、おふたりとも落ち着いて。今夜はせっかくの催しなのですから、どうぞお二方も楽しんで行ってください。ローラもそのつもりなのでしょう?」
女性ばかり連れ立っていらしたように見えますが、近くに控えている者の気配があります。
公やプリムローズほどの方であれば、従者のひとりやふたりは連れているでしょう。
人の夜会であれば、ふつう女性は親しい男性のエスコートを受けるものですが、吸血鬼はそうもいきません。結婚や婚約、あるいは恋人として付き合う者もいるのですが、基本の考えが血族を中心にあるので、血族の中からその時の気分で選ぶものなのです。
私で言えば、ヘレナかルーナのどちらかと出席するようなものですね。ミラーカも頻繁に私を連れ出しておりましたし、時折気まぐれのように、気に入った血族の者と出席することもありました。
せっかくの夜会ですし、従者の方ともども、是非楽しんでもらいたいのです。
「まあ、せっかくの夜会を楽しみにしていたのは、そうなのじゃが……」
「ええ、そうですね。ですがアマデウス卿、こうして伺ったのは、弾丸の回収だけが目的ではないのですよ」
どこか不満げなローラを横目に、フランチェスカ公は微笑みながら、プリムローズにあらためて向き直りました。
「こうしてプリムローズ殿を連れて来たのは、アマデウス卿、あなたにお目通り願いたいと、彼女が懇願したからなのですよ」
「私に、ですか?」
「そうだ。あなたがその体に宿す真血……そのために私はここに来た」
プリムローズの血色の瞳がきらりと光り、獲物を品定めするような目つきになりました。
……これは、あれでしょうか。ローラやクリスと同じく、血を飲ませろということなのでしょうか。
いえ、まあ、それで死ぬ訳ではありませんし、ものすごくつらいとか耐えがたいほどの苦痛があるわけではありません。どうしてもと望まれるのであれば、私もやぶさかではないのですが、こうもあちこちから血を望まれると、つい引いてしまうのです。貧血も嫌ですしね。
そんな思いに思わず口を詰まらせていると、プリムローズが困ったように眉を下げます。
「真血について、卿はどれくらい知っているか?」
「……ええと、吸血鬼の弱点に非常に強く……というか、無効化しますね。あとは先祖返りの血ですので、吸血鬼に力を与えるとか。それと、人の病の薬にもなりますよね。それから……いまいち良くわかりませんが、何故かやたらと吸血鬼たちに尊敬される気がします」
最後は特に、吸血鬼に相対すると感じることでした。今夜の挨拶回りの時もそうでしたし、今まで出会った吸血鬼たちは、ほとんど面識のない方でも、私に好意的でした。
もっとも、それ以外の者に対する態度が酷いので、私はどうもなかなか、吸血鬼に親しい者を作れなかった訳ですけれど。
たとえば、人や人狼と仲良くするだなどと、高圧的な支配者気質の多い吸血鬼には、とても受け入れ難い考えでしょう。
ですが、知識もない真面目に仕事もしない、そんな無能で不真面目な領主であっても、人の部下や吸血鬼たちによって、問題なく領の統治が為されていたのです。これはどれほど部下たちが有能であっても、かなり難しいことでしょう。支配者層の吸血鬼たちが、そういった領主の意向にそうとう好意的で協力的でないと不可能であったはずです。
「ふふ、そうですね。真血はそれだけで尊く、敬うべき対象なのですよ」
フランチェスカ公が微笑み、プリムローズもローラまでも、しきりとうなずいておりました。
……ローラに尊敬された覚えはあまりなかったりするのですが、まあ、我儘で好き嫌いの激しい彼女が何かと面倒を見てくれるのは、そのおかげもあると言えないこともないかもしれません。
「ご真祖の血……真血は、それだけで吸血鬼に安らぎをもたらす。力や生命力だけでなく、理性をも育て上げるのだとか。それは我ら不定形の血族にとって、とてつもなく重い意味を持つのだ」
理性をもたらすと言われても、ローラやクリスを見る限りそうとは思えません。
真祖を敬うあまり、効能のないことまで担ぎ出してしまったのではないでしょうか。思い込み効果とか、あると思います。
とはいえ、プリムローズの血族に必要とは、一体どういうことでしょう。
私がそれをたずねると、彼女はわずかに顔を歪めて、苦々しい口調になりました。
「我らの血族は、年々……ほんとうに徐々にだが、すこしずつ理性を失う者が増えている」
理性を失う。
……それは自失病とも呼ばれるもので、吸血鬼になりたての者が陥りやすい、精神疾患の一種です。
あるいは、吸血鬼のなり損ない。我を失い、ただ力のままに暴虐なふるまいをするもの。
そういった者たちが増えているとは、一体どういうことでしょう。
「……それは、吸血鬼となったばかりの者だけではなく?」
「そうだ。もっとも、公爵くらいの者であれば、さほどではない。だが、それ以下の者がひどい」
私の疑問に、プリムローズは苦しそうな表情を浮かべました。
公爵は始祖の直系ですから、その恩恵もあるのでしょうか? それ以下の爵位の者は、ふつう傍系です。傍系は明らかに直系の者より力が劣るので、それも関係しているのでしょう。
彼女の話によると、不定形の血族の、中流以下の貴族や一般の吸血鬼に、理性を失う者が増えているようです。
吸血鬼のなり損ないは理性がほとんど無く、知性すら危うい者ばかりですが、一度吸血鬼となればきちんとした理知を持ちます。もっとも、人から吸血鬼となった者には、それが耐えがたくてやがて発狂してしまう者もいるのですが……。
とにかく、一度吸血鬼となってひとり立ちできる程度になれば、人間よりも高い知性を持つのがふつうです。それが後退するなど、聞き覚えがございません。
「我らは比肩無き力を持つが、それが年々増大する傾向にあった。反比例するように、理性を侵食される者も増えたのだ」
不定形の血族は、類稀なる怪力と魔力を持ち、ひとたび暴れれば天災のような災いをもたらします。
ミランダやラナがいたウォステンホルム領もそうだったように、地理や気候にまで影響を及ぼすことが出来る者もいるくらいです。
元々強力な血族であった彼らが、より強い力を持つようになり、それを御するための理性が失われつつあるとしたら、どんな恐ろしいことになるでしょう。
私はさっと血の気が引く思いがいたしましたし、フランチェスカ公に視線をやると、彼女も重々しくうなずきました。
血族以外の者、それ以外にも大変な影響を与える問題です。
ですが、同じ血族であるプリムローズにはもっと苦しい思いがあるのでしょう。
「それは……おつらいですね、プリムローズ殿」
「まったくだ。力ばかりが増大し、知性ある高貴な存在が失われつつある。それを防ぐことができるのが、卿の持つ真血、それが唯一なのだ」
彼女の面持ちは、すっかり沈痛なものとなっておりました。
吸血鬼の血族に対する思い入れは、人が家族や友人、愛する人に向けるものにも似ております。それが失われるのは身を切ることより辛いでしょう。
そんな事情があるのであれば、私も協力を惜しむつもりはありません。むしろローラやクリスのような、私を嗜好品代わりにするような者にこそ遠慮してもらいましょう。
そう思ったのを悟ったのか、ローラがぴくりと眉を動かしましたが、私は笑ってそれを一瞥しました。
生きていれば湧いてくる血ではあるのですが、それでも限りがあるのです。
吸血鬼の回復力は人の比ではありませんが、人の生き血を啜ってしばらく待たないとつらいのです。そう軽々しく、しょっちゅう与えられるものではありません。
プリムローズはなおも、不定形の血族に増える自失病の罹患者について説明してくれました。
「……まだそう表立ってはいないが、爵位を持つ者が凶暴化するなどと知れたら、各方面に対して拙いからな。上層部はそう簡単に動けないし、こうして私が来た訳だ」
「わたくしは以前からプリムローズ殿に相談されていましてね。不定形のエリザベート大公も心を痛めておりましたし、そちらからもわたくしに協力を乞われたのです。そして、こうしてふたりそろって参上した次第ですわ」
公にも暗に協力を要請されましたし、私も断る理由など見当たりません。
……ですが、何故理性を失うなどということが起きるのでしょう。私はプリムローズに疑問をぶつけました。
「原因は、わからないのですか?」
「ああ、不明だ。とはいえかつて、同じような傾向になったことがあったようだが」
彼女の言うところによると、不定形の血族に限らず、理性を失う吸血鬼が増えた時期があったようです。
確定ではありませんが、どうやら人が増えるに従い、吸血鬼の凶暴性が増すのだそうです。
「人口が増えるのが原因なのですか?」
「確かとは言えないが、統計的にはそのようだな。どうしても、我らは人を殺さずにはいられないようだ」
プリムローズがどこか冷やかに呟きます。それに応えるように、フランチェスカ公も口添えしました。
「人が減れば吸血鬼は苦しまねばなりませんが、人が増え過ぎてもならないのですよ。ご真祖のご意向なのかはわかりませんが、どうやらわたくしたちは、そういった生き物のようです」
人が増え過ぎれば、たとえそれまで上手くやっていた吸血鬼であっても、理性を失い凶暴化し、多くの人を殺すようになってしまいます。逆に人が極端に減れば、そういった吸血鬼はほぼいなくなり、人の保全に動くでしょう。
何故そのように作ったのか、作られたのかはわかりませんが、つまりは吸血鬼は、人間を強制的に管理するように作られているようです。人が減り過ぎても増え過ぎてもいけないという、本能なのでしょうか。
アマデウス領では、人の増加はさほどでもありません。他の領地では、人につらい統治がされている場所が多く、それでいて出生率が高いので、吸血鬼が人を殺すような振る舞いをしなければ、人はどんどん増加傾向にあります。
今のところ、プリムローズたち不定形の血族のみに現れる症状のようですが、他の血族にも発現することがままあるようです。私たちカラスの者も気をつけねばならないでしょう。
私が慄然としておりますと、フランチェスカ公がさらなる爆弾を落としました。
「アマデウス卿の真血はご真祖由来ですが、真銀も実はそうなのですよ。他にも、吸血鬼に致命的である物質を生み出したのもご真祖とされています。そしておそらくは、自失病のように吸血鬼を破滅に仕向ける仕組みさえも」
彼女の言葉に、私はその穏やかな顔を凝視いたしましたが、公はただ穏やかに微笑むばかりでした。
「……ご真祖に、如何なるお考えがあったのか、それを知る者はいません。それを窺い知ることが出来る者も限られています。ただ、わたくしたちはそのような定めにあるのだと、それだけは知っていてくださいませ」
……公たちは、今夜はアマデウス城にご滞在するようです。
プリムローズの相談事の真血についてもありますし、今夜は夜会を楽しんで、詳しくはまた後でということになりました。
確かにエリたちの歓迎会も兼ねたこの会で、彼女を放っておいてばかりではいけません。愛想を尽かされてしまいます。
公たちは従者と好きに楽しむとおっしゃってくださいましたが、さすがにこれだけ高位の方を、そこらにぽんと置いておく訳にも参りません。
彼女たち専用の部屋……大広間の二階席を用意して、そちらで歓待するということになりました。
双子の素早い手配には、頭が下がるばかりです。
いつの間にか湧いて出た、彼女たちの従者であろう吸血鬼たちにも挨拶をしてから、私はいそいそとエリの元へ戻りました。
何だか心に隙間風が入る心持ちでおりましたので、エリの笑顔を見た時には、心底ほっといたしました。
「アベル、何だか疲れてない?」
「偉いお方と話したので、すっかりくたびれてしまいました。エリに癒されに来たのですから、すこし甘えさせてください」
「……もう、しょうがないわね」
赤くなるエリの横顔を楽しみながら、休憩スペースでゆっくりと飲み物を口にします。
エリは取り皿にたくさんの小さなケーキやお菓子を盛って、じっくりとそれを味わっておりました。横からひょいと味見したり、恋人がやるようなアレ……あーんとしてもらえないのが残念でなりません。
「こんなに美味しいのにアベルは食べられないなんて、ものすごく可哀そうだわ」
「まったくです。人であったころは貧乏で食べられず、吸血鬼になってお金に不自由しなくなってからは、体質的に食べられず……」
「私にはどうしようもできないし、何もしてあげられないから、せめてアベルのぶんまで食べてあげるわね」
にこにこしながらも、時折哀れむような視線を向けるエリが忙しそうです。手も口も忙しなく働いておりますし、見ていて面白いですね。
ぱくぱくと口が動く度に、けっこうな勢いでケーキが消費されて行きます。
「いちおう味覚はあるのですけれど、それでも血のほうが嗜好に合うのですよね。でも、ケーキも食べてみたくはあるのですが」
「あ、じゃあ食べる? ちょっとだけならお裾分けしたげる」
エリが難しそうな顔をして、チーズケーキの欠片をフォークに差して持ち上げます。横のテーブルにあれだけたくさんのお菓子類が積まれているのに、お裾分けを渋る理由は何なのでしょうね。
ともあれ、彼女の気持ちはありがたいのですが、食べたら食べたで後が大変なのです。
「食べたいですし、エリのお裾分けも有難いのですけれど……吸血鬼ですから消化できないのですよね」
「あ、そうなんだ……そうよねえ。お腹壊しちゃうのか。何だか小さい子どもみたいね、吸血鬼って」
お腹を壊すというか、胃の中での消化ができないので吐き戻すしかないのですけれど、この場で言うような事ではございませんので黙っておきます。ローラが先ほどもりもりと食べていた血菓子もありますが、人には不気味でしょうからエリの前では食べません。
ローラはどうやらプリムローズと話があるようで、二階の貴賓席に上がって行きました。吸血鬼たちも次々にそちらに向かうので、ホールの人々の注目も集めているようです。
エリはあれほど積んでいたケーキの山を瞬く間に攻略してしまい、最後のひとかけらをじっと眺めておりました。
そして意を決したように、その欠片にフォークを突き刺しますと、ゆっくりと口に運びます。それを舌の上でじっくり味わって、何とも言えない幸せそうな笑顔を浮かべました。
「ああ、美味しい……幸せだわ。これを食べられなくなるなんて、考えにくいなあ」
言ってから、エリははっとしたような表情を浮かべました。
失言だと思ったのでしょう、その表情がやや固くなりましたが、私は努めて気にならないよう、軽く答えたのでした。
「ええ、まったくですよね。ですがその分、太りませんからおあいこです。エリはちょっと気をつけた方が良いんじゃないですか?」
「ちょ、それは言わない約束でしょう!? そ、そりゃあ最近ちょーっとだけ、食べ過ぎだとは思ってるんだけど……」
「嘘ですよ。エリはまだまだ細いですから、たくさん食べた方が良いです。もっとも、大喰らいのフレッドや育ち盛りのヒューゴくらい食べると、大変なことになってしまいそうですけれど」
「あそこまでは無理かなあ……あいつら、朝から胸焼けしそうなくらい食べるんだもの」
エリがややげっそりとしたような表情になりました。
確かにフレッドたち元ハンター組は、朝から重いものをよく食べます。エリたちのぶんと別に作るくらいですから、厨房で働く者は大忙しでしょう。ふつうの七人家族の、軽く三倍くらいは用意しないといけませんからね。
マリアはもちろん、イザベラもヨハンもそれほどは食べませんから、みんな感心して見ているくらいです。たくさん食べる人は見ているだけで楽しいですが、あれで太らないのですから詐欺のようなものです。特にイザベラが憤慨しておりました。
と、そこで私は彼女たちの姿をまだ見ていないことに気づきました。
大広間からダンスホール、休憩スペースなどなど、会場は面倒なほど広いですから、探してもすぐ見つかるとは限りません。思わずきょろきょろと見まわしましたが、見える範囲にはおりませんでした。
「そういえば、イザベラたちは来てましたか?」
「ええ、さっき会ったわよ。とはいえお仕着せのまんまだったから、すぐに仕事戻るんでしょうけど。でも裏の賄いも美味しいから、好きな場所で食べるって言ってたわ」
「エリたちみんなの歓迎の会なのですから、すこしくらいさぼっても構いませんのに」
「アベルみたいにサボり癖はないからね。みんな真面目で働き者だもの」
今のはぐっさりと胸に突き刺さりました。見ればエリはしてやったりと笑っております。
……やはり、彼女には敵いませんね。
私は苦笑しながら、エリの頬についたクリームを指先で拭ってやりました。
……このくらいなら食べても大丈夫でしょうか。
見せつけるように指についたクリームを舐め取ってみせますと、エリは真っ赤になりながら顔をしかめました。照れる彼女はやはり可愛いです。
そして味は、やはりどこかそっけない甘さに感じました。
エリがあれほど美味しそうに食べていたのに、同じように感じられないのだと知って、すこし悲しく思いました。
……私の胸には、さきほどのエリの言葉が引っ掛かっておりました。
美味しいケーキを食べられなくなるなど考えられない、というのはごくふつうの考えでしょう。エリは甘いものに目がないようですし、彼女が幸せそうにケーキを食べるのを見ると、私も釣られるように幸せな気分になります。
けれど彼女のその言葉には、吸血鬼にはなれないという考えが根底にあるのがわかるのです。
エリと一緒にいられるだけで今は幸せですが、やがて彼女は老い、私は取り残されるでしょう。
それが、たまらなく恐ろしいのです。
まだまだ先のこと、そもそもエリと出会ってまだ半年程度なのですから、そんな未来のことを考えるのもおかしいでしょう。
けれど彼女のことを考えると、胸が詰まるような苦しい思いが湧きあがって来るのです。
……怖くてまだ試しておりませんでしたが、せめて、エリが吸血鬼になれるかどうかだけ、調べておくべきでしょうか。
エリが吸血鬼になれるとしたら、私はやがて、彼女にそれを強要せずにいられるでしょうか。
エリが新たに取り皿へケーキを誘惑しようか悩んでいるのを見守りながら、私はどこか心が冷えるのを感じていたのでした。