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いつも月夜に血の宴  作者: 桂木 一砂
第一章:吸血鬼の夜
42/168

41.大物のお出ましです。

 続けて三曲ほども踊ると、エリよりも私のほうが先に根を上げてしまいました。

 元々私はそうダンスが上手い訳でもなかったですし、すっかり健康になったエリは、いつのまにかだいぶ体力も付いていたようです。時間がないと焦っていた彼女ですが、運動神経も良いのか、ダンスのステップもかなりのものでした。私のほうがリードされるようですね。負けてはいられないと頑張ったのですが、慣れないダンスにすっかりくたびれてしまいました。


 彼女は乗馬の練習もしておりますし、もうすこし勉強が落ち着いたら、あちこちに引っ張り出されるかもしれません。楽しみなそうな恐ろしいような、そんな気がいたします。

 ダンスホールから抜け出して、近くのテーブルで飲み物を補充しようとしていると、軽く息を弾ませたエリが声をあげました。


「あ、先生がいる」


 見れば、そこには確かに見かけた顔があります。二十代半ばくらいの女性で、エリの家庭教師に付いてくれた人です。今はせいいっぱい着飾っているせいか、一瞬わかりませんでした。

 そしてその傍らにいる女性を目にして、私は驚きました。エリに引っ張られるようにして歩み寄りましたが、近くで見れば間違いありません。


「先生! 来てくれたんですね」

「ああ、エリーゼさん。今宵も良い月夜ですね」


 エリの声に振り向く先生と……ミランダが私に気づいたのか、驚きの表情を浮かべました。


「ああっ、領主様!」

「こんばんは、ミランダ。今夜は店じまいですか?」


 エリはきょとんとしておりますが、先生はミランダの言葉にぎょっとしたようでした。

 吸血鬼には慣れていても、いきなり領主と言われて驚いたのでしょう。慌ててドレスの裾を掴み、屈んで挨拶します。私も腰を軽く折って応えて、簡単に自己紹介しました。


「領主様がお城を広く開放するっておっしゃるから、商店街の会長に頼んだらあっさりと許してもらえてねえ。こうしてふたりしてめかし込んで、参加させていただいたんだ」

「ええ、ようこそいらっしゃいました。おふたりともお綺麗ですよ。それにしても驚きました、ラナ先生があなたの娘さんだとは」


 先生はエリーゼに教える為に、城によく来ていたはずですが、双子たちがきっちり手配してくれていたので、私はきちんと顔を合わせたことがありません。特に用事もない限り、あちらから領主へは声はかけられませんから、今の今まで挨拶もできなかったのでしょう。

 先生がドレスの裾を持ち上げて、恭しく挨拶してくれました。


「領主様、エドガーとミランダの娘のラナです。城下の学園の非常勤講師をしております。また、エリーゼ様の教師もしておりますが、ご挨拶もせずに失礼いたしました」

「アベル・アーサー・アマデウスです。いえ、こちらこそきちんと挨拶もせずに申し訳ないです。エリがお世話になっています」


 ラナは私の物言いに驚いたようでしたが、ふと微笑んで大きく頭を下げました。


「あなた様のおかげで、私たち家族は命を救われました。ありがとうございます」

「え、ええ。ですが、ミランダもあなたも、もはやアマデウス領の人間です。そうであるならば、私は責務を果たしただけですから、どうかお気になさらず」


 何だか支離滅裂ですが、胃が痛くなるのでこの話題は避けたいのです。

 エリは不思議そうな顔をしておりましたが、とても今は詳しく説明する気にはなりません。ラナが教師をしているのなら、そのうち聞くこともあるかもしれませんが、できればもう忘れてほしいです。持ち上げられるのには慣れておりません。

 ラナはミランダと顔を見合わせて、そろって笑っておりました。


「ほんとに、ずいぶん腰の低い方なんだね、お母さん」

「でしょ? あたしもずいぶん驚いたんだけどねえ」

「あら先生。アベルったら、わたしとはじめて会った時からずーっとこうなんだから。でも先生とお母さんはアベルの知り合いだったの?」

「それがねえ……」


 何だか私には居心地の悪い空間です。エリはふたりに突っ込んだ話を聞きたいようですから、私は一時離脱すべきでしょうか。

 見れば、すこし離れたテーブルに、フレッドとヒューゴ、そしてヴィクターの姿も見えました。

 そちらに退避させてもらおうと思い、三人に断りを入れようとした時に、広間に誰かが入って来るのが見えました。


 うち一人はルーナです。その隣にローラの姿も見えましたから、私を探しに来たのかもしれません。

 そう思って、何の気なしにそちらに歩み寄ろうとして……その足が止まりました。

 ルーナが案内して来たのはローラだけでなく、他にふたりおりました。


 ひとりは、品のある中年の女性で、物静かな雰囲気を纏っておりました。いかにも高貴な生まれであると、ひと目でわかる貴婦人です。

 彼女は薄い金髪を結いあげており、まとめた髪を黒い花で飾っております。歳を召されてなお美しいその面に、血色の瞳が優しく輝いております。肌の色も薄いですし、黒一色のお召し物はビロードのように艶やかで、まるで生き物のようにその体を覆っておりました。ただその表情と物腰しは柔らかく、親しみやすそうな雰囲気も感じ取れました。


 もうひとりは、妙齢の女性です。こちらはいかにもきりりと引き締められた雰囲気でした。

 長くまっすぐな赤金の髪に、切れ長で鋭い目元に血色の瞳。冷たく整った顔に、青白い肌をしております。長身で、身につけたドレスは一見地味ですが、恐ろしく仕立ての良いものだとわかりました。全体的に冷たい雰囲気ですが、それは周囲をちくちくと突き刺すようなものではなく、まるで遠くの氷山であるかのような、圧倒的な存在感を纏っておりました。


 知った顔ではありますが、よく知っているとは到底言えませんし、もちろん友人でもございません。

 見た目のとおり、紛うことなき吸血鬼です。それも、特上の。


 私はエリたちの側を離れて、迷わずそのふたりの真正面に出ました。

 そしてその場に跪き、胸に手を当てて恭しく頭を下げます。


「フランチェスカ公。あなたと相まみえる幸運を、今宵の月に感謝いたします」

「ああ、アマデウス卿。お久しぶりですわ。今宵も良い月夜ですね」


 貴婦人……フランチェスカ公が、ふわりと微笑んで挨拶を返してくださいました。

 彼女は、元老院が六大公の一、カラスの血族が頂く大公、フランチェスカ公です。

 真祖、始祖と並び立つ大吸血鬼が、今ここにいらっしゃるのです。




 ……何故、これほどの吸血鬼が、たかが辺境伯の夜会に現れたのか、それはわかりません。

 いえ、いちおう夜会を開催する旨、招待状は送ってはいるのです。これは慣例のようなもので、どのような小さな催しであっても、大公へ連絡が行くようになっています。夜会を開催できるほどとなると、少なくとも伯爵以上ですから、それ以上の爵位を持つ者が夜会を開けば、そのぶんの全ての紹介状が贈られているはずです。


 もちろん、それらのすべてに出席できるほど、大公は暇ではありません。

 主催側は当然のように招待状を出し、大公もまた当然のように欠席するのが常なのです。時折代理を立てることもありますが、それもごくごく稀ですね。偉大な吸血鬼は、そうやすやすと目の前に現れないのです。

 私も今まで、たとえミラーカが主催した会でもお目にかかったことはございませんし、私がお姿を拝見したのは一度きり、それも自分の叙爵の時だけです。そういった、お会いするのにもかなり限りのあるお方が、今あっさりとその姿を現しているのです。


 何故大公というやんごとなき位の彼女が、わざわざこのような辺境の、しかも小さな催しにいらしたのか。

 あまりのことに、私の頭の中は大混乱です。


 私の動きに、周囲の人たちも驚いたようですが、無理もないでしょう。

 ここ極夜の国で、領主が頭を下げる……私は何度かやってしまっておりますが、とにかくふつう、頭を下げることなどあり得ません。それも跪くなどと、相手は非常に限られます。私は辺境伯ですから、上位の地位を持つ者はいくらでもいる訳ではありませんし、それも最上礼をするとなると、ほぼ大公か始祖、真祖だけです。


 ですので、今の会話が聞こえなかったであろう、少し離れた場所にいた人たちも、異常に気づいてこちらを注視しているようでした。夜会のざわめきが水を打ったように消えて行きます。

 楽の調べすら戸惑ったように消えました。この静寂は耳に痛いですね。

 とにかく、この場で公たちに相対できるのは私だけです。正直逃げたいのですがそうもいきません。

 私は必死で記憶の中から、この場に相応しい挨拶を引っ張り出しました。


「公におかれましては、ご健勝にあられるようで何よりです。今宵の月の幸いに、血族を代表して感謝いたします」

「ふふ、そうかしこまらずとも良いのです。水を差してしまったようで、ごめんなさいね」


 公は穏やかに笑っておりますが、私は冷や汗が止まりません。

 妙齢の女性のほうは、名前まではわかりません。ですが、その大公が集まる席で拝見した覚えがありますので、やはりやんごとなき位の方でしょう。大公の血族か、あるいは公爵かもしれません。


 ふと公が動いた気配がいたしましたので、そっと顔を挙げますと、彼女がその手を差し出しておりました。許可がいただけたようですので、私はそれを恭しく押し頂いてから、そっと手の甲に口付けを落とし、立ち上がります。

 ……こういう、それらしい動作って自分がやるとむず痒いのですよね。エリには進んでやりたいと思えますが、他の人では非常に気恥かしいです。クリスあたりに全部押しつけてやりたいです。


 私が立ちあがったのを見て、長身の女性がずいと前に出て、辺りを一瞥……睥睨しました。

 いえ、怒っているようすはございませんが、ほんとうに迫力のある美女なので、ただ見ているだけなのかもしれないのに目力がすごいのです。


「皆の者、そう控えるな。我らを気にせず、宴を楽しむが良い」


 気づくとほとんどの者が、彼らに礼を取っているようです。

 まあ、私……仮にも自分たちの領主が最上礼をしているのに、ただ突っ立ってはいられないでしょう。

 とにかく、公を歓待せねばなりません。ここでは相応しくありませんから、別室を用意いたしましょう。

 素早くルーナに目をやると、彼女はわかっているから心配するなと言いたげに、こっくりとうなずきました。さすがの手配の素早さです。

 私は側でにやにや笑っているローラを一瞥してから、あらためて公に向き直りました。


「では、僭越ながらご案内いたします。どうぞこちらへ」

「騒がせましたね。皆様も気楽になさいませ」


 優雅な所作で広間を出ようとする公たちの向こうで、やや戸惑った表情を浮かべるエリと、どうしたものか固まっているようすのフレッドの姿が見えました。

 どうしたものかは私も同じですが、とにかくわざわざ大公がお越しなのです。同じ貴族とはいえ、権力と吸血鬼としての力量は雲泥の差、如何なる要求があるのかとひやひやし通しです。

 領地の中では比較的自由が効く領主ですが、もちろん階級が上の者、大公の権力には勝てません。

 私は足取りも軽いローラに釣られるようにして、おふたりを案内するために奥へ進んだのでした。




「ローラ。これは一体どういうことですか」

「どうしたもこうしたもあるか。ぬしの庭先でお会いしてな、貴様に会いたいなどとおっしゃるから、ルーナと共にご案内しただけじゃ」


 公たちを客室へ案内し、手の者が足りないという不手際をかぶってまで一度下がって、私は引っ張ってきたローラに詰め寄ります。

 ですがこの程度で態度を変える彼女ではありません。のらりくらりと躱されるだけです。


「そういうことを聞いているのではありません。何故大公ほどの方がいらっしゃるのですか!」

「だから私の知ったことか。なんじゃ、ぬしは公のご訪問も私の企てと申すのか」


 違うのですかと言いたげに眉を顰めると、ローラはやれやれと肩をすくめます。


「私ごときの企てで、大公閣下が動くものか。ぬしはどれだけ私を過大評価しておる」

「過大でも何でもないと思いますが。けれど……ほんとうにローラには心当たりがないのですか?」

「ない。私も驚いておる」


 ローラの表情には私の慌てようを面白がる色と、後は純粋な興奮が見て取れました。これだけの大吸血鬼が現れたことに、彼女も驚いているのでしょう。

 てっきり彼女の企てかと思いましたが、確かに公をお呼びしてローラがどうこうするとは思えません。別に対立している訳でもなければ、逆に結託し過ぎて不穏であるはずもございません。

 では何故、月下に並ぶ者がたった六人しかいない、大公がここにいらっしゃったのでしょう。

 頭を捻っていると、ローラがそんな私を見上げておりました。何やら珍しく真剣な表情です。


「……まあ、カラスの血族から出た希少な真血、その持ち主がようやく領主らしいことをしたと、ぬしの顔を見に来てくださったのじゃろ。今までのぬしはほんとうに最低限しかこの国に関わらぬ……いや、違うな。ほとんど極夜の国をんでおった。そのような吸血鬼らしからぬ吸血鬼じゃったから、さぞご心配だったのじゃろうて。大公閣下は月下を見そなわす偉大な目をお持ちじゃ。ぬしのような半端な吸血鬼のことを、わざわざ気にかけてくださったのじゃろ」

「それだけででしょうか? 私なんてただの若輩者ですよ」

「だからこそであろう。それに、ぬしは真血を軽く見ているようじゃがな、それは我ら吸血鬼にとって重要な意味を持つのじゃぞ」


 ローラの顔にも声にも嘘の気配は見えませんが、私にはいまいちわかりません。

 確かに領主らしい振る舞いなどしなかったしできなかった私が、ちゃんとこの地に腰を据えるようになったのは、ごく最近です。吸血鬼の貴族は結構好き勝手にやっている印象でしたが、それでもこの国の外に飛び出すような者は滅多におりません。だからでしょうか。

 エリやフレッドたちを領内に招いて編入手続きをし、こうして夜会を開催するなど、

 とはいえ、私が最近しでかしたところで、掟に触れるようなことはないはずです。


 ……まあ、心当たりはあるのですが。

 血族に不利益をもたらさないという点でグレーゾーンなのは、フレッドたちの件でしょう。元とはいえ吸血鬼ハンターを領内に招いたのは、そこに暮らす吸血鬼に害を及ぼす可能性があります。もしフレッドたちが思い直して、吸血鬼に危害を加えるようなことがあったら、元ハンターという点を鑑みても、私にまで処罰の手が及ぶでしょう。


 とはいえ今のところ、フレッドたちはいたって大人しく、アマデウス領の領民として暮らしております。

 あれほど心配だった、吸血鬼が人間を支配しているという点も、案外すんなりと受け入れてくれたようですし、ヒューゴなどはすっかり慣れているようにも見えました。まあ、表立って人を迫害するようなことなどありませんし、そもそも圧倒的多数が人間の国ですし、人のための政策が多く取られています。少々のことに目を瞑れば、ずいぶんと人にとって暮らしやすい地ですので、柔軟な子どもは受け入れるのも早かったのでしょう。


 そしてそれはヴィクターも同じでした。彼はアマデウス領での教育や福祉、医療について知り、すっかり感心したようでした。元ハンターとはいえ、吸血鬼によるそれらの人への福利は目に入れない訳にはいかなかったのでしょう。人への苦痛を最小限に留める努力を認めてくれて以降、彼もだいぶこの国への見方を改めたようでした。

 ……まあそれも、アマデウス領に限っては、という但し書きは外せません。他の領地については領主の私ですら何も言えませんし、そのことは彼らも重々承知しているようです。ともあれ、この地に流刑になったハンターたちは、思うところはあってもここでの暮らしを受け入れてくれているのです。


 ……フレッドですか? 彼は心配ありませんよ、ええ。案外柔軟な思考を持っているようですし、ビアンカもおりますし。

 ぶっちゃけ九割方ビアンカのおかげで、彼はここに馴染んでおりますとも、ええ。


 なので、元ハンターたちのことは、私もさほど心配しておりません。場内の者とも打ち解けておりますし、ハンターがどうのこうのと思うことも減りました。

 ですので大公のお目に止まるようなことは、今のところないと高をくくっていたのですが……。


「……やはり、こちらから直接伺ってご挨拶して、お知らせするべきだったでしょうか」

「ん? 元ハンターという連中のことか? さて、大公閣下はそのような些事など気にせぬと思うが」


 私はローラの言葉は耳に入りませんでした。フレッドたちについて追及されたらどうしましょうと、そればかりです。


「……とにかく、公たちを放っておく訳にもいきませんね」

「そうじゃ。まったく……ぬしが部下を使いこなせず不調法を晒すのは構わぬが、ヘレナとルーナが不手際をしたなどと思われてはたまらん。とっとと戻るぞ」


 ローラの言葉に、私は恐るべき吸血鬼たちが待つその部屋へ、重い足を運んだのでした。



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