第6話
明くる日、俺が個室から出ると数人の男子からエルザのことについて聞かれた。嘘をついても仕方がないので、素直に剣術を教えてくれる人物だと説明する。すると
「な……んだと」
「あんな美人に教えてもらえるなんて……」
「お前だけずるいぞ!」
などの罵倒を受けてしまった。確かに見た目はワイルド系の美女であるため、気持ちは分からなくない。
しかし、昨日のほんのわずかな会話で変態性とでも言うべき部分が垣間見えてしまったのだ。俺には男子達が抱いている気持ちは微塵もありはしない。
また何やら俺の体に異常があると言わんばかりの言葉を口にしておきながら、全く話してくれなかっただけに、気になってしまってあまり眠ることができなかった。まあ筋肉痛のせいで2、3時間ほど眠れば起きてしまうのだが。
テンションの低いまま訓練場に向かうと、いつもよりも活気があるというか騒がしかった。誰かが実剣を使って模擬戦でもしているのか、金属音が響いてくる。観戦している兵士達も多く、隊長格の兵士も俺達にいつものようにランニングをしておけと告げると集団のほうへ向かってしまった。
俺達は状況が飲み込めなかったが、指示された行動以外をすれば怒鳴られるかもしれない。そのため、もやもやとした感情を抱きながらも走り始めた。
「うあぁぁぁッ!?」
耳に響いてきたのは野太い男の声。視線を向けてみると集団の一部が割れており、そこに仰向けに倒れている兵士が見えた。どうやら誰かに吹き飛ばされたらしい。
ずいぶん怪力の奴がいるんだ……待てよ。
不意に脳裏に浮かぶひとつの影。昨日の訓練ではいなかったが、今日の訓練からいる人物に俺は心当たりがある。スタイルの良い長身の女性で、眼帯と太刀を身に着けている……
「次、掛かってくるがいい!」
集団のほうから聞こえてきたアルトボイスには覚えがある。現在進行形で俺の脳内に浮かんでいるエルザ・ウルフズベインという女性の声に瓜二つだ。彼女の声を聞いたのは昨日が初めてだったのだが、印象が強かっただけに記憶だけでなく耳にまで残ってしまっている。
……何やってるんだあの人は。
確かエルザは、俺の指導役で来たのではなかったのだろうか。まあまだ個別の指導時間ではないので、それまでの時間を有効利用しているとも思えなくもないが……あの喜々とした笑顔を見ていると背筋が寒くなってくる。
――今の体じゃあんな手荒な指導にはついていけないぞ。ただでさえ、俺は他のメンツよりも武器の扱いに関しては遅れているんだから。
それはフロストから報告が行っているとは思うが……彼の性格を考えると行っていない可能性もある。
エルザのおかげで俺のここから出るという望みは叶いそうなのに、どうしてこうも俺の心は暗くなってしまいがちなのだろうか。
大きくため息を吐いた後、再びエルザに意識を向けてみると太刀を鞘に納めているところだった。周囲にいる兵士達のほとんどは座り込んでおり、肩で息をしている。
凄まじい剣戟は聞こえていたが、この短時間で数十人の兵士を倒すのは人間業ではないだろう。俺はとんでもない人物に弟子入りしようとしているのではないだろうか。
「ふぅ……しばらく会わない間に皆、力を付けたな。まだ戦っていない者もいるかと思うが、すまないが今日はここまでにさせてもらう。剣を教えると約束した相手がいるのでな」
エルザが何か言ったかと思うと、兵士達が次々と立ち上がって感謝の言葉を述べた。フロストから国から信頼されていると聞いていたが、どうやら本当のことらしい。
そんなことを思った直後、エルザの顔がこちらを向いた。偶然だと思いたいが笑顔を向けているあたり、こちらの視線に気が付いたとしか思えない。
……何だか兵士全員の視線が向いている気がする。エルザってもしかして兵士達にとってのアイドルというか憧れの存在だったりするのか。……大丈夫だよな。兵士の人達は良い大人だし、嫉妬めいた感情で何かされたりはしないよな。
「よし、では従者達の訓練に入る。それぞれ担当の訓練に入れ!」
隊長格の兵士の声が響き渡り、学生達は担当の兵士と共にバラけていく。俺の担当である無気力そうな男は、今日も変わらず覇気のない顔を浮かべながら俺の元へ来た。彼は隅のほうに移動するように促しながら話しかけてくる。
「ようリオン、昨日はゆっくり休めたか?」
「いや……」
「いやって、今日から厳し~い訓練が始まるんだぜ。お前、死にたいのかよ? それとも、楽しみで眠れなかったのか?」
意図的に眠らなかったり、楽しみで眠れなかったのならばどれだけよかっただろう。
いきなり部屋に訪れたかと思えば、人の体をベタベタと触り、意味深なことを口にして去っていく。そんな自由すぎるエルザとのやりとりをフロストに伝えると、同情するような顔を向けられた。
「まあ……あいつ、がさつつうか自分勝手なところがあっからな。剣の腕だけは確かなんだけどよ」
「剣の腕だけって言い方が余計に不安になるな」
「あんま暗くなるなよ。あいつ、はたから見れば良い女じゃねぇか」
呑気に笑っているが、はたから見ればということは実際のところは良い女ではないということではないのだろうか。
などと考えている間に、訓練場の隅へと到着する。そこには先客がおり、太刀を片手に仁王立ちでこちらを静かに見つめていた。
「フロスト、お前私の悪口を吹き込んでいなかったか?」
「おいおい心外だな。俺とお前の仲じゃねぇか。良い女だって勧めてたんだよ」
「そ、そうか。だが彼は年下……いや、恋愛の前には年齢の差は関係ないというし」
ほんのり頬を染めながら独り言を漏らすエルザは可愛らしくもあるが、危ない人間にも見える。昨日俺の貞操に関わるやりとりがなければ違ったかもしれないが。
「そんじゃ、あとはふたりでごゆっくり。俺は別件があっから」
「本当にあるのか?」
「おいおい、俺はこれでもチビ共を食わせてる身だぞ。最低限の仕事はやるっつうの。けどまぁ、前ほど働く気力はねぇな。もう俺も若くねぇから」
いや、お前20代前半だったろ。兵士達の中でも比較的若い部類に入るんじゃないのか。精神的な若々しさで言えば、同年代に比べるとなさすぎるけど。
フロストは鈍重な足取りでこの場から離れていく。近くにいるエルザは未だに何か呟いているし、俺の胸の中にはほぼ不安しかない。期待のような感情は塵ほども存在しているかどうか……。
「あぁ……エルザさん」
「――わ、私はいつでも構わないぞ!?」
……それは剣術の話だよな。他の意味じゃないよな。
「じゃあ、さっそくお願いします」
「き、君は積極的だな……」
「俺は他よりも遅れてますからね。太刀を使うのも今日が初めてですし」
「太刀……?」
なぜここで疑問の声が出るのだろうか。真っ先に浮かぶ理由は、先ほどした嫌な予想が当たっていたということなのだが……。
――この人……欲求不満なのか。まあ昨日会ったばかりの相手だから、たとえそうでもどうこう言うつもりはないけれど。でも襲う相手は俺ではなく知り合いの兵士達にしてもらいたい。俺も男なので興味がないわけではないが、この人は少し怖く感じる。
「も、もちろん分かっているとも。3時間で君を一人前の剣士にしてやるさ!」
目の前にいる人物が剣の達人だということは認められるが、さすがにその人物が教えたからといって今まで一度も太刀を扱ったことが人間が、3時間という短い間に一人前になるはずがない。半人前になるのも難しいだろう。
もしなれる者が居たならば、そいつは天才どころかチートと呼ばざるを得ない。
「いや、それは無理でしょう」
「無理? 現実的なことを言うな。それくらいの気持ちでやらなくてどうするのだ!」
……理不尽じゃないか?
現実的なことを言うなってことは、無理だって分かってるってことだよな。精神論的な物言いのためにあえて言ったとも考えられるが……表情がどう見ても失態をなかったことにしようとしているようにしか見えない。
「その顔は何だ。私は君に本気で剣を教えるのだぞ」
「えっと……」
手解きの意味は、俺の記憶が正しければ学問や技術の初歩を教えることだったはずだ。
昨日、何かが混じっているから俺の身柄を預かると言っていた気がするが、いつの間に剣術まで本気で教えられるようになったのだろう。
「本気で教えてくれるんですか?」
「そう言っているだろう。君の中にある力はあまり使わせたくないからな」
「俺の……力?」
あまり人前で話したくないのかエルザは周囲を見渡して人気のないことを確認する。俺に近づいてくる、肩を組みながら顔を近づけてきた。
「昨日私が左目で君を見ただろう?」
「ええ」
「私の左目は……一般的に《魔眼》と呼ばれるものでな」
エルザは言うには、魔力や精霊といった一般人の目には見えないものが見えるらしい。他にも力はあるらしいが、表情を歪ませて説明しようとしなかったことからあまり人に好まれるものではないのだろう。
「昨日混じっていると言ったと思うが、分かりやすく言えば君の中には何かしらの力が宿っている。普通の人間にはないはずの強大な力がな」
さらりと話が進んでいるが、自分の中にあると言われる力に心当たりはない。俺は魔法なんてものが存在しない世界で育ってきたのだ。訳の分からない力を宿しているのならば騒ぎになって……。
――っ!?
一瞬脳裏に、小さな俺に大丈夫だと言いながら優しく抱き締める母さんの姿が過ぎる。
昔のことなのでこのときのことはよく覚えてはいない。転んで怪我をしたのか、誰かとケンカでもして泣いてしまったのだと考えるのが妥当だが……なぜ今思い出すのだろうか。
「その顔からして気が付いていなかったようだが、まあ無理もない。力が暴走しないようにかなり厳重に封印されているようだからな」
「はあ……もしかして、封印ってのが外れかかってたりするんですか?」
「いや、封印のせいで魔力に制限が掛かっていることを除けば問題はないだろう。だが私の左目が喜ぶように疼くあたり、君の中にある力は光か闇かでいえば闇に分類されるものだ」
続く説明によると、俺に宿っているような力の多くは感情に左右されることが多いらしい。
これから先、死への恐怖からの生への渇望。誰かを殺してやりたいと思うほどのどす黒い怒りを感じることがあるかもしれない。そのときに力を暴走させれば、自分や敵だけでなく周囲にも被害を及ぼすのではないか、とエルザは不安なのだろう。
「今後片時も離れず一緒に居てやることは現実的に考えて不可能だ。だから私が君を鍛える。その身に宿した力に頼らずとも自分や大切な者を守れるように。その力をより良い方向で上手く扱えるようにな」
向けられている優しい瞳の奥には、決意のようなものを感じられた。
きっとこの人は、今に至るまでに闇の力を宿した左目のせいで苦労してきたのだろう。故に似たような力を宿した俺に同じ道を歩ませないように良くしてくれるのだ。
考え方によっては彼女の自己満足とも思えるが、現状の俺からすればデメリットは何もない。謎の力を存在を教えてもらえ、戦うための力や制御の方法を教えてもらえるというのだから。
「……よろしくお願いします」
「ああ、こちらこそよろしく頼むよ。……いやぁ、よかったよかった。断られたら無理やり連れていかなければならなかったし」
お願いしますと言ってすぐになんだが、やはり考え直すべきではないだろうか。
今この人……断られたらどうしようって感じじゃなくて、強引に連れ去るといったニュアンスの言葉を使ったよな。真面目かと思えば常識がない発言をするし、どのような人間なのかが見えてこない。話せば話すほど不安が強まっている気が……。
「それと今後の予定だが、太刀の基本的扱いを教え終わったらこの国を出るぞ」
きっぱりと言い切ったエルザに模擬戦の類はしないのかと問いかけると、そんなものはあとで嫌なほどやるから問題がないと言われてしまった。この国を出たいとは思っていたが、ずいぶんと急なものだ。
「急かと思っているかもしれないが、元々君に初歩を教えれば出て行くつもりだったのだ。それに……君の中には封印されるほどの力があった。人里から離れたいと思うのは当然だろう?」
そうですね、と返したいところだが自分では、自分の中に宿っているという力がどのようなものなのか分からない。どれほど危険なのか判断ができないだけに返事に迷う。
「何より君に教える剣術……《七星一刀流》の修練をこのような場所でやると周囲に被害が出るかもしれないからな」
「……そんなに凄い流派なんですか?」
「そうだな。このへんではあまり知られていないが、東方では最高峰の流派とされているし、武に関わる者なら知っている人間も多いだろう。使い手は私を含めてもほとんどいないのだがな」
最高峰の剣術に闇の力、これさえあれば俺は最強になれる!
と思えれば楽なのだが強い力を会得したり、制御するためにはそれ相応の努力が必要のはずだ。下手をすれば命に関わるかもしれない。これから待ち受けているであろう厳しい特訓を考えると気が滅入ってくる。
「何を肩を落としているのだ。剣の頂を目指して共に励もうではないか!」
「お、おぉ……」
「ははは、今日から君は私の弟子だ。師匠とでもお姉ちゃんでも好きに呼ぶといい!」
「そこはエルザさんで」