第5話
今後の方針が決まったことで、フロストの体作りを目的とした訓練は一段と厳しいものに変わった気がする。退屈しのぎに使われているだけのようにも思えるが、この世界について色々と親身になって教えてくれているのでそうではないと思いたい。
汗まみれになった体を水で綺麗にし、宿舎へと戻る。風呂はこの世界にもあるらしいが、上流階級の者や魔法が使える人間いる家庭しか使わないらしい。普通に沸かすとなると大変だからだろう。
ほんの数日前までは制服しかなく、毎日のように洗濯する日々が続いていたのだが、フロストから古着をもらったことでその生活からは解放された。
洗濯しても朝までに乾かないことも多かったからな……湿った状態のまま走ったりするのって不快で仕方がなかった。訓練で汗を掻くから余計にへばりついてくるし。だから上半身裸で訓練しているクラスメイトもいたな。
とはいえ、上半身裸のクラスメイトの数は日に日に減ってきている。他の連中も俺のように古着とかもらったようだ。必ずと言っていいほど汗を掻くため、担当の兵士達が与えたのだろう。それなりに交流関係が深まってきたのも理由かもしれない。
少しずつだが、笑ったり愚痴言い合うことが多くなってきてるよな。上の人間への不信感はフロストの話を聞く限り右肩上りだが、俺達を担当している兵士達は良い人達なのだろう。鬼教官に当たったクラスメイトは……置いておくとしよう。
「…………今日も疲れた」
自室となっている宿舎の個室に戻ると、一目散にベッドへ向かって倒れ込む。毎日走り込みに筋トレ、休憩中はこの世界の勉強をしているようなものだ。ちゃんと休んでいると言えるのは、自室にいるときの時間だけだろう。
魔法を習っているグループがどういう状況かは知らないが、武器保有グループは日に日に訓練メニューが濃くなって行っている。最近では木剣などを使って模擬戦も行われているようだ。俺は一向に剣術の訓練は行っていないが。
まあ近いうちに指南役が到着するとのことなので、今は話を戻すことにしよう。
模擬戦を行っている学生達だが、兵士達とは訓練してきた時間に雲泥の差があるため、結論から言って全く歯が立っていない。このように言えるのは訓練場の大外を走っているため、他の者の訓練を見る機会は毎日のようにあるからだ。
俺を含め兵士達に扱かれてるメンツは全身筋肉痛だろうな。模擬戦をしてる連中は、擦り傷や打撲の痛みを感じていそうだ。
痛いと言っても治るわけでもないので口にはしないが、痛みの強さはかなりのものだ。少し動くだけでも声が漏れそうになるほどの痛みを感じる。俺達の間では、寝返りした際に痛みで起きるというのもよくある話になりつつある。
「フロストの奴……いつも楽しやがって」
フロストに対する感謝は持ってはいるが、ここまで全身が痛いと指導する振りをして楽をしている彼には文句を言いたくなる。面と向かって言うわけにはいかないので、唯一独りで居られるここで発散しておいたほうがいいだろう。
ブツブツと悪口を呟いていると、不意に扉を叩く音が聞こえた。本音を言えば、体を動かすと痛みが生じるので今の姿勢のままでいたい。
しかし、何かの連絡だった場合は聞き逃せば大変なことになる。そう考えると、ゆっくり寝ているわけにもいかないのが俺の現状だ。
「夜分に失礼する」
扉越しに現れたのは長身の女性だった。乱雑に切り揃えている長い銀髪、その前髪部分は左目を隠すように伸びており、怪我でもしているのか眼帯でさらに隠している。露わになっている右目はルビーのような輝きを放っているが、吊り目のせいか鋭い印象も受けた。
紫色のトレンチコートに身を包んでおり、手には俺のものより長い太刀が握られている。もしかすると、フロストが言っていた俺の指導役かもしれない。
「フロストという男に頼まれてきたのだが……君がリオンか?」
「えぇ……そうですけど」
「ふむ……」
銀髪の女性は覗き込むように顔を近づけてくる。俺は170後半あるので決して低いほうではないだろう。それだけに人から見下ろされた経験はほとんどない。ましてや女性から見下ろされたのは初めてだ。
眼帯やら目を鋭さやら気になるところはたくさんあるが、何より気になるのは距離感だ。どうして彼女は拳ひとつ分ほどの距離まで近づいてくるのだろうか。普通に考えて見えづらいと思うのだが。
とはいえ、今の俺は丸腰で彼女は太刀を手にしている。フロストの知り合いのようなのでいきなり斬られたりすることはないだろうが……それでも初対面の相手だけに迂闊に動くことはできなかった。
「顔は悪くない……背丈は私よりも低いが、まあまだ伸びる可能性はあるか。体つきは……聞いていたとおり、まだまだ線が細いな。だがこれはこれで……」
顔や上半身を触れられているわけだが……俺はどうすればいいのだろうか。あちらの世界ならば、逆セクハラだということで簡単に口を開ける。だが彼女が俺の指導役であることを考えると、ある意味現状の確認をしているとも取れなくはない。
……けど、顔とかは関係ないよな。最後のほうに聞こえたのなんかは妙に寒気を覚えた。このままでいるのは危険かもしれない。
「えっと……」
「おっと、すまない。私はエルザ・ウルフズベイン、フロストに頼まれて君に剣の手解きを行いに来た」
どうやら彼女が俺の指導役で間違いないらしい。フロストからも凄腕の剣士という話を聞いているので腕前を心配することはないだろう。
しかし、なぜ今訪ねてきたのだろうか。別に顔合わせは明日でも良かったと思うのだが……。
まあ顔合わせだけならまだ理解できる。が、なぜ顔や体の入念にチェックをしたのだろうか。きっと俺と同じ立場になった者は、今の俺のように不安に抱くに違いない。何となくだが彼女には常識が欠落している気がしてならないのだ。
「私のことは気軽にエルザと呼ぶといい……何とも言いがたい顔をしているようだがどうかしたか?」
「いや……」
いきなり肩を組まれて長年の付き合いがある友人のように話しかけられたら、誰だって俺のように困惑すると思う。というか、何でこの人は初対面の相手にこんなにフレンドリーなのだろうか。知り合いの紹介だからって限度があるだろう。
「その……」
「ん? ……あぁこれのことか」
エルザは自身の眼帯をそっと触れる。ここで断言しておくが、俺は眼帯について何か言おうとしたつもりは毛頭ない。ただ離れてほしいと言おうとしただけだ。
「見えないわけではないのだが私も少々訳ありでな。あまり人には見せないのだが……見たいか?」
「いや、別に」
「ははは、君は優しい奴だな。でも本当は見たいと思っているんじゃないか?」
「思ってないですけど」
「ははは、本当に君は優しい奴だな。しかし、本当の本当は見たいと思っているんじゃないのか?」
な、何なんだこのバグのような会話は。俺が見たいと言わなければ話が進まないとでも言うのか……。
「本当に見たいとは思ってないです」
「……そうか。ではお言葉に甘えさせてもらおう……と言いたいところだが、少々気になることがあるので外させてもらうよ」
だったら俺に聞かないで外せよ。ほんの数秒ではあるけど、時間の無駄だったあろうが。精神的にも肉体的にも疲労してるんだから余計な手間をかけさせないでくれ。
内心で文句を言っている間にエルザは眼帯の外した。現れたのは傷ひとつない綺麗な目。だがまぶたの奥にあったのは、右目のような赤い瞳ではなく金色に輝く瞳だった。眼光の鋭さは右目よりも格段に上に思える。
俺の視線に気が付いたエルザは、どことなく自虐的な笑みを浮かべながら左手で金色の目を隠す。
「見ていて気分の良いものでもないだろう」
「え……いや綺麗な目だと思いますけど」
俺がこのように言えたのはオッドアイというもの対して抵抗がないこと。何より無知だからだろう。
おそらくエルザの左目は、この世界の住人からはあまり好まれるものではないのだろう。そうでなければ、彼女の自虐的な笑みや言葉の説明がつかない。
人ひとり簡単に殺せる力を秘めている可能性は充分にある。だが彼女はフロストの知り合いだ。それにここは城内にある宿舎だ。騒ぎが起これば間違いなく兵士達が駆けつける。そのような力があったとしても、使うとは考えにくい。
「な、何を言っているんだ。これは褒められるような代物ではない!」
「え、あぁ……すみません」
「いや……こちらこそ大声を出してすまない。嬉しくなかったわけではないのだ……ただ本当に褒められるものではないからな。手短に済ませるから少しじっとしていてくれ」
エルザは小さく息を吐くと、ゆっくり顔を覆っていた左手を退ける。金色の瞳が一段と強い輝きを放ったかと思うと、彼女の表情に驚愕の色が現れたように見えた。だがそれは一瞬のことで、彼女は眼帯を付け直す。
「妙に左目が疼くと思って確認してみたが……やはり君は混じっているのだな」
混じる、とはいったい何のことだろうか。
今は全身筋肉痛ではあるが、これまでに健康上問題になったことはない。この世界に来てから魔力があるということが分かったが、それを扱う訓練は行っていない。彼女にはいったい何が見えたのだろう。
「エルザさん?」
「ん、あぁ……この話はまた今度にしよう」
「今度って……」
「本当ならば簡単な手解きをしてここを去るつもりだったが気が変わった。上の人間に頼んで君の身柄は私が引き受けることにする」
俺の望んだ形に話が進んではいるのだが、完全に置いて行かれてしまっている。理由を聞きたいところではあるが、エルザはそれを許してはくれない。
「明日からは剣術の訓練だ。ゆっくりと体を休めておくといい」
「エ、エルザさん……」
「ん、どうした? もしや一緒に寝たいのか?」
……この人は何を言っているのだろうか。
「まあ君も年頃の男だからな。それに私も最近ご無沙汰だ……一緒に寝るというのは悪くない、むしろ良い提案ではあるが、君が朝にはげっそりしてしまっている可能性がある。しかし……」
「明日からよろしくお願いします」
身の危険を感じた俺は淡々と言い返しながらエルザの背中を押して部屋の外に追いやった。廊下に居たクラスメイトの注目を集めた気がしたが、そんなことを気にしている場合ではない。
扉を閉めた俺は、扉に背中を預けながらゆっくりと腰を下ろす。彼女と話したのはわずかな時間ではあるが、フロストと1日話すよりも疲れた気がする。
「……あの人で本当に大丈夫なのか?」




