第16話:夜話
悠花を部屋へ迎え入れたあと、堂也は心配そうに尋ねた。
「悠花、こんなところまで来て大丈夫なの?」
「見つかったら、もちろん大問題だよ」
悠花はコートを脱ぎながら、マスクと眼鏡をバッグにしまう。
今日の彼女は白いブラウスに黒いロングスカートを合わせ、髪は簡単にポニーテールにまとめていた。
その姿は、とても若々しく華やかだった。
「でも、今はそんなこと言ってられないから」
そう言って、悠花はスマートフォンを掲げ、堂也と浅倉が一緒に写った写真を見せる。
「堂也と、この美少女作家さんってどういう関係なの?」
悠花は浅倉の名前を聞いたことがあるだけではない。
家には、彼女のデビュー作まで置いてある。
「どういう関係って……強いて言えば、同業者? それかファンなのかな?」
堂也自身も、二人がどういう関係なのかよく分かっていなかった。
「作家の集まりで、急に向こうから声をかけてきたんだ」
堂也はついでに、二人の賭けについても話した。
「えっ!?」
悠花は大きな瞳を見開き、ぷくっと頬を膨らませながら腰に手を当てる。
「この人、なんでそんなことするの! ファンが作者の書くものに口出しするなんて、ありえないよ!」
悠花は、作者には干渉せず、好きなように作品を書いてほしいと思うタイプだった。
たとえ好みでない内容があったとしても、せいぜい読まないようにするだけだ。
ましてや、堂也が書いている恋愛小説は大好きだった。
感情移入もしやすく、作中のヒロインの仕草や言動には、どうしても自分自身を重ねてしまう。
練習が終わったあとも、時々取り出して読み返していた。
そんな自分の心の栄養を、今さら誰かに壊されようとしている。
それが、悠花には許せなかった。
「まあ、ファンにも色々いるってことじゃないかな。そうだ、悠花は何が飲みたい?」
堂也は冷蔵庫を開け、中を確認する。
「炭酸水、ジャスミン茶、麦茶、それとビールがあるけど」
悠花は少し考える。
「ジャスミン茶をください」
「はいよ」
「堂也、あんな悪い女に負けちゃダメだからね」
ソファに座った悠花は、小さな拳を振り上げて堂也を応援する。
「わ、悪い女?」
ジャスミン茶をグラスに注いでいた堂也の手が止まる。
「堂也の執筆に干渉しようとするだけじゃなくて、あんなに近づいてツーショットまで撮ってるんだよ。絶対に悪い女だよ」
悠花はまだ少し怒った様子だった。
(とりあえず……誤解は解けたのかな?)
堂也はジャスミン茶を悠花に渡す。
「ありがとう」
悠花はグラスを両手で包み、小さく一口ずつ飲んでいく。
「堂也、自分の最初の読者が誰なのか、ちゃんと覚えておいてね」
甘えるように言う悠花を見て、堂也は思わず笑みを浮かべた。
「もちろん。忘れないよ」
「それで、堂也はもう何を書くか決めたの?」
悠花が興味津々に尋ねる。
「まだ何も思いついてないよ」
堂也は苦笑して答えた。
「堂也の恋愛小説かぁ。楽しみだな」
悠花は頬杖をつき、期待に満ちた表情を浮かべる。
「そうだ。悠花はどんな内容が読みたい?」
堂也は悠花の答えから、何かインスピレーションを得られないかと思った。
「私?」
悠花は人差し指を唇に当て、顔を上げて思案した。
「私は純愛ものが好きよ」
悠花は細い指で、無意識に髪をくるくると弄んでいた。
「うんうん」
「できれば、ちょっと甘いいちゃいちゃがあるといいな」
「うーん……」
堂也は考え始める。
「そうだ。幼馴染っていう設定はどう思う?」
「すごく良いと思う!」
悠花は前のめりになり、目を輝かせた。
堂也は思いついたことを、そのまま口にする。
「二人は幼なじみってことにして……主人公の仕事は、何かを作る仕事にしよう。そうだな……ゲームとかどう?」
「じゃあ、主人公はゲームクリエイター?」
悠花が興味津々に尋ねる。
「そう。それで、主人公には何か困難を与える」
「なんで?」
「そのほうが前に進む動機になるから」
堂也は答えた。
それは、今の自分と同じだった。
困難を乗り越えるために、必死になって前へ進む。
「ゲームクリエイターが遭遇する困難なら、いくつか思いつく。ゲームを作っている途中で問題が起きるとか、完成したのに売れないとか」
「ん?」
悠花は不思議そうに首をかしげる。
「恋愛の話じゃなかったの?」
なんだか仕事ドラマのように聞こえてきた。
「あ、そうだった。えっと……」
確かに、このままでは恋愛との関連が薄すぎる。
堂也は眉をひそめ、天井を見上げながら考える。
そして、ぽんと手を叩いた。
「そうだ。進学をきっかけに、二人が一時的に疎遠になるのはどうかな?」
「なんで?」
悠花は不満そうに堂也を見つめた。
成長するにつれて疎遠になってしまうような話は、あまり好きではなかった。
何より、今の自分と堂也の関係は、こんなにも仲がいいのだから。
「一時的にだよ。主人公が問題を抱えて、困難に陥ったところで、ヒロインが登場する」
堂也は何とか続きを考えながら話す。
「おお! ヒロインが主人公を救うんだね」
悠花の目が輝く。
「……待って。普通は逆じゃない?」
「そうだね」
「まあいい、ヒロインが主人公の困難を乗り越える手助けをして、それをきっかけに二人がまた仲良くなる」
「なんだか面白そうだね」
「でも、これだと今回のコンテストには向いてないかもしれないな」
堂也はため息をつく。
「どうして?」
悠花は納得できないように尋ねる。
聞いている限り、面白そうなのに。
「テーマの軸が少しぶれているし、尺も足りないかもしれない」
堂也には、この内容を二万字で書き切る自信がなかった。
「そっか……」
悠花は少し残念そうに俯く。
「大丈夫、いつか機会があったら、ちゃんとこれを書き上げるから」
堂也は慌てて慰めた。
「うん、約束だよ」
悠花は小さく頷いた。
「そうだ、悠花は最近どう?」
堂也は話題を変える。
「結構順調だよ。新しいドラマにも出演することになったし、事務所でも全国ツアーをいつ始めるか話し合ってるみたい」
「全国ツアー! おめでとう!」
堂也は嬉しそうに悠花を見る。
「……ありがとう」
武道館でのライブが好評だったからこそ、会社もここまで早く決断したのだろう。
新しいドラマの詳しい内容について、悠花は何も話さなかった。
堂也を信用していないわけではない。
ただ、まだ秘密にしておくよう言われているからだ。
二人は肩を寄せ合い、とりとめのない話をしながら時間を過ごした。
――ピロン。
悠花のスマホから通知音が鳴る。
画面を一目見た瞬間、悠花の体が固まった。
「どうしたの?」
異変に気づいた堂也が、心配そうに尋ねる。
悠花は引きつった笑みを浮かべながら、スマホを掲げた。
「……お姉ちゃんから、泊りは許しませんって」
「逸見さんから? もしかして何か勘づかれたのかな?」
「それ、十分ありえるかも。だってお姉ちゃんだもん」
悠花は彩里に絶対の信頼を寄せていた。
姉は昔から勘が鋭い。
何かに気づいていたとしても、まったく不思議ではなかった。
「お姉ちゃんに急かされちゃったし、私、そろそろ帰るね」
悠花はコートを着て、帽子とマスクを再び身につける。
「送るよ」
堂也も立ち上がる。
「ううん、一人で帰れるから」
悠花は堂也に向かって、ぱちりとウインクした。
「勝ってね」
堂也は一瞬だけ迷った。
自分が勝てる保証なんて、どこにもない。
それでも、悠花の期待に応えるように答えた。
「勝つさ」
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