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82. 黒猫の家出、再び(ファズside)完

 フィアお姉ちゃんが貴族の男に囚われてから一日が経過した。暴力を振るったりする様な事はないけれど、何度か来て、僕を酷い目に合わせると脅してきたりするだけだ。


「これが何か分かるかな?」


 男が一本の長い棒を見せつける様に握られている。先端には細かい印の様なものが刻まれている。


「知らない」

「奴隷紋だ。ああ、デセンドの貧民にはわからんか?」


 僕ら、獣人族にとって、奴隷紋は最も憎い魔導具として教えられている。当然、対処法も覚えた。簡単な話で、同意さえしなければいい。

 無理矢理に力ずくで刻まれた所で、命令に従うほどの強さは無い。虐待とかで言う事を聞かせても、奴隷紋の力は弱くなる。借金の額や殺人の重さにも奴隷紋の強さが変わってくるらしい。

 デセンドに持ち込むのは犯罪だ。この国には、奴隷商人が奴隷を運搬する事すら許されない。もし法を破れば死罪になる。

 奴隷紋の持ち込みが公になれば、極刑になるのは間違いない。でも、こいつは貴族だ。もしかしたら、握りつぶすほどの権力を持っているのか?


「君が心の底から奴隷になりたいと思えば、ファズくんを解放してやってもいい。私は、君を傷つける事は出来ないが、彼を拷問する事が出来る。爪を一枚ずつ剥がしたりな」


 痛々しい話を聞いたせいか、フィアお姉ちゃんが、シーツに隠れている僕の手をぎゅっと握る。その手は震えていた。

 僕の肉球で強さが紛らわせたらいいんだけど。


「好きにして」

「まぁいい、強がっている方がそそる。隣の牢にでも、ファズくんを放り入れて。拷問で苦しみながら、君に恨み言を吐く姿でも見れば考えも変わるだろう」


 貴族の男はパンを地面に放り投げ、水の入った容器を置いた。


「食え、それぐらいは恵んでやる。そんなのでも貧民には上等だろう」


 そう言い残すと、男は去って行った。


「怖かった……本当に大丈夫なんだよね?」

「にゃっ」


 貧相な食事は僕が頂いて、フィアお姉ちゃんにはスフィア商会で貰ってきた食事を食べてもらう。そっちの方が段違いに美味しい。

 

 僕は深く頷いた。一つ目の武器を手に入れられた。それでも、完全じゃない。もう一つ持っておきたい。だけど、それは今じゃない。猫の姿では自由に屋敷の中を探索できないので、完全獣化が解けてからだ。


 脱走を決行する予定の四日が過ぎた。その間、貴族の男が地下に降りてくる事はなかった。代わりに、死んだ魚の目をしたメイドが降りてきて食事を運びにきただけ。

 邪魔がなく、歌の練習をする事が出来たのが幸いだ。


 僕は獣化が解けそうになるのを、牢の外に出て、物陰に隠れて待っていた。


「ここから出たら、王都には居られないね」

「なー」


 追われる身になったら、そうなるかもしれない。騎士団の寮からスルゥウェルに行くのは難しい。

 

「そうなったら、二人で冒険に出ない?」

「にゃっ」



 それもいいかもしれない。だけど、デセンド以外の国は、獣人には生きづらい。


「やれやれ……私達の情報網を使って、探しても居ないと思ったら。ここに居たんですね」


 スーツの男の声が聞こえてきた。扉が開くと、靴の音が聞こえてきた。


「完全獣化した獣人は、巨大な動物になり、強大な力を使えると言いますが。君の獣化はただの猫……そうだ、捕獲して小さい檻にでも入れましょう。その状態で、完全獣化が解けたらどうなるのでしょう?」

「やめて……ファズに酷いことしないで!」

「王家のガキ共に与えられた、つまらない仕事で多忙で機嫌が悪い上に、私が君を見つけられなかった。私の主人に八つ当たりされた発散を君で解消させてもらいましょう」


 積み重なった木箱の向こうから、革靴を履いて歩く音が聞こえてくる。


「ただの猫の姿で、私に勝てるとでも思っているのですか?」


 後ろ足で思っ切り蹴り上げて、木箱を飛ばそうと試みるが、中身が重いせいで砕け散っただけだった。


「不意打ちを狙ったみたいですが、残念でしたね。この間、受けた怪我の仕返しもしなくてはいけませんね」


 男が僕を蹴ろうとするが、動きが丸わかりで簡単に避けられる。僕は飛び退いて、壁を蹴って加速し、そのまま猫パンチを顔面に喰らわす。


「ぐへぇらぁ!」


 奇妙な叫び声を上げながら、スーツの男は地面を転がった。中層で生活しているゴブリンより、比較にならないぐらい弱い。どうやら僕を猫だと思って、舐めていた様だ。


「ファズ、すごい強い!」

 

 肩が変な方向に曲がってるけど……殺してしまったか?

 そう思って、いた矢先に僕の体に変化が起きる。体の感覚が広がっていく。完全獣化スキルが解ける兆候だ。


「やっと戻った……お待たせ、フィアお姉ちゃん。さっさとこんな所、出て行こう」

「うん」


 僕はピッキングセットをフィアお姉ちゃんから受け取る。鍵の構造は簡単で、ダンジョンの宝箱よりも簡単に開けられる。トラップの心配もないから怖い事もない。

 ダンジョン村の生まれである僕にとって、鍵穴は小さい時からの玩具でしかない。


 シリンダーが回る音が聞こえてくると、牢が開いた。お姉ちゃんは目を塞いで微動だにしない。


「どうしたの?」

「服……ちゃんと着て……」


 そういえば、うっかりしていた。クーナお姉ちゃん達は全然気にしてなかったから、フィアお姉ちゃんも平気かと思っていた。

 隠して置いた服を着る。ポケットの小銭入れが軽い。残りのお金で馬車か船に乗れたらいいんだけど。


「さて……もう一つ……やっておかないとね」


 通路の奥に置かれた、豪華な装飾が施された箱の鍵穴をじっと見つめた。




「出口がない……」


 地上に続く階段を上がると、行き止まりになっており。その壁の横にあからさまなレバーが生えていた。


「もしかしたらここは、隠し通路なのかも」


 こういったものは秘密基地を作るのに設置したいものだ。気持ち悪いおじさんが、小さな女の子を閉じ込めるのに使って欲しくない。

 レバーを下に下げると、大きな歯車が動く音が聞こえてきた。レンガで塞がれている壁が一部ずれて、大きな出入り口が開いた。


「すごいっ!」

「そうなの……よくわからないけど……」

 フィアお姉ちゃんには隠し部屋に興味がない様だ。いやいや……僕も感動している場合じゃないか。

 出た先はベッドが置かれており、誰かの寝室のようだ。きっと、あの貴族の男が使っているものだろう。


「あいつ……人を硬いところで寝かせておいて、ふかふかそうなベッドで寝てたの!?」

「フィアお姉ちゃんの家にも、ボロボロだけど寝具ぐらいはあったもんね」

「ファズが居たから……あんな所でも、気持ちよく寝れたけど……」

「でしょ、毛並みには自信があるんだ」


 僕がそう言うと、何故か尻尾を優しくテシテシと叩かれた。急にどうしたんだろう?

 フィアお姉ちゃんといい、マニルといい。女の子は僕には理解しきれない行動をする。妹の事ならよくわかるのに。


「誰もいないね……」


 部屋を抜け、廊下を歩くけど誰もいない。しかし、とても広い屋敷で、入口までの道がわからない。


「……」


 廊下の曲がり角で、ぼーっとした、死んだ魚の目をしたようなメイドと鉢合わせてしまった。僕は咄嗟に手に持っていた棒を、相手に突きつけた。


「静かにして、抵抗すれば痛い目に遭うよ」


 僕が地下から、証拠になると思って奪った奴隷紋を見て、メイドは顔を歪ませ、口を大きく開けて叫んだ。大量の魔物にでも囲まれたかのような悲鳴が、屋敷の中を響かせる。


「何事だ!」

「お、お待ちください殿下、私が見て参りますので……」

「暴漢でしたら私が!」


 三人の男女が僕らのいる所に走ってきた。女の人は大きな剣を持っている。


「どうしてこんな所に貧民の子供が……」

「エラレリンテ伯爵の家に忍び込んだ賊……どうして、ここに……」


 肉串を買いに来てくれていたお兄さんとお姉さんだ。豪華な礼装を着ている姿は、まるで王子様のようだ。

 お姉さんはドレスを着こなし、僕に警戒するように剣を構えている。


「ななななな、なんでお前がそれを持っている!」

「この棒の事?」

「そ、そうか! お前、その奴隷紋を私のメイドに使ったな!」

「ふむ……ミェル、そこのメイドを確認してもらえるか。この少年は俺が見張っておく」

「こちらへ来てください」


 お姉さんは、メイドを個室に連れて行くとお兄さんが剣を抜いて、僕と対峙する形になる。敵となるなら、恩があるお兄さん相手でも戦う覚悟だ。腕を獣化させ、爪を出して構える。


「お兄さんには借りがあるけど、僕はフィアお姉ちゃんを守る為なら抵抗するよ」

「……どうしてここにいる?」

「父が借金を返済する為に、私がこの人に売られました。ファズは私を助けにきてくれたんです」

「馬鹿なことを言うな! 殿下、こいつらは私の屋敷に盗みに来て、嘘をついているだけです!」

「人身売買は固く禁じられている。本当なら伯爵でもよくてお家取り潰し。だが、それを証明できる証拠がない。社会的な信用もエラレリンテ伯爵の方がある」


 僕はポケットに手を入れる。すると、お兄さんは今すぐにでも切り掛かりそうなので、一声かける。


「今から証拠を出す。武器じゃないよ。音を保存する魔導具だ」

「ゆっくりと動いてくれ。違和感があったら直ぐにでも切る」


 僕は言われた通りに、穏やかな動きで、アイシーレコーダーを取り出した。音声ファイルを選択して、再生ボタンを押す。小さな箱からエラレリンテとフィアお姉ちゃんの声が聞こえてくる。


『これが何か分かるかな?』

『知らない』

「これは……エラレリンテ伯爵の声か? 叔父上が自慢していた魔導具と同じ仕組みか?」

「殿下、耳を貸してはいけません。それはまやかしです!」


 エラレリンテはだいぶ焦っている様子だ。僕もまさか翌日に、ボロを出してくるとは思わなかった。


『奴隷紋だ。ああ、デセンドの貧民にはわからんか?』

『君が心の底から奴隷になりたいと思えば、ファズくんを解放してやってもいい。私は、君を傷つける事は出来ないが、彼を拷問する事が出来る。爪を一枚ずつ剥がしたりな』


 本人の口から奴隷紋という言葉が出たのだ。

これが何よりの証拠だ。


「しかし、俺がその魔導具を信用したわけではない。偽物の可能性も否定できない。貴族の罪を証明するのは簡単ではない」

「お兄様、メイドさんの胸元に奴隷紋が刻まれていました。強制力が強いのか、彼女から事象が聞けませんでした」

「君はメイドに奴隷紋を突きつけていたな。俺たちがくる直前に刻んだ物ではない事を証明できるか?」

「そうだ! よくも私のメイドを!」

「お兄様、待ってください。こんな小さな子が奴隷紋を人に刻む訳がありません。いくらなんでも肩入れしすぎです」


 お姉さんは僕の味方をしてくれているようだ。


「先入観で話をするな。お前も個人的な感情で、その子を庇っているのではないか?」

「分かりました……ではこうしましょう。私がこの子を聖剣で切ります。悪意の無いのであれば、何も起こらない筈です!」


 いやいやいや、そんな立派な剣で斬られたら死んじゃうよ!


「分かった、君もそれでいいな?」

「いいわけないでしょ。そんなので斬られた死ぬよ!」

「大丈夫、安心してください。私のこの剣は、悪意を持たない方には痛みを全く与えず。体を傷つけずに切ることができるのです」

「お願いします。ファズを切るなら私を切ってください!」


 フィアお姉ちゃんが僕を庇おうと、前に立つ。だけど、僕はそれを止めさせた。


「いいよ。だけど、僕の無罪が証明できたら……そこのおじさんをその剣で斬ってよ」

「な、何を馬鹿な事を!」

「当然です。ちゃんと公平にやります」

「公平だと!? 私は伯爵だぞ! そんな薄汚い獣人と並べるなど、王女といえど許されない発言ですぞ!」

「では、この子には身体を切られてもらいます。全身に激痛を浴びれば、死を願うほどの痛みが全身を襲います。あなたは指先で結構です」


 お姉さんは、重そうな剣を軽々と振り回して僕の体に向けて、切りかかる。風切り音と共に、ちくりと刺すような痛みが胸に走った。


「っつ」

「痛がったな! 見てください痛がりましたよ!?」

「少し黙ってて頂けますか……。この子は無罪です。この子は夕飯のつまみ食い程度の悪意しか持っていません」

「中々の悪党だな。次はエラレリンテ伯爵だが……」

「拒否します。そ、そうだ。そういえば最近資金繰りに苦労されているとか。私でよければ全面的に協力させていただきます!」

「いや、お前はいらんリスクが大きすぎる。それに今はミェルが居る。余計な疑いを持たれると困る」

「指先をちょっと切るだけですから大丈夫です。よっぽど悪い事をしてない限り、そんなに痛くはありません。それとも何か心当たりでも?」

「い、痛がるわけありません。耐えて見せましょう!」


 結果は明白だった。ほんの指先に聖剣の刃がかすっただけで、エラレリンテは大声で泣きじゃくり、ジタバタと暴れた。


「指先でこんなに痛がるなんて……何をしたらそうなるのですか……?」

「俺たちがやっておくよ。今日は大事な予定があるはすだ。それとも慰謝料でも請求するか?」

「いらないよ。お兄さん達、ありがとう!」

「それじゃ、私はこの子達を会場に連れて行きますね……」

「ミェル、ふざけないでくれ。俺はヒゼアを連れてくる。その後、衛兵を呼んでくるから、伯爵を見張ってくれ」

「せっかくのクーナさんの晴れ舞台なのに。遅れたら、お兄様に責任が取れるのですか!?」

「知らないよ。君の友達が、何をしようと俺には関係ない約束だよ。だけど、そこのフィアという子は、俺が推薦した子だ。参加して貰わないと困る」


 王子様から出口の場所を教えてもらい。急いで外に出る。すると、猫を大量に囲まれながら歩くクーナお姉ちゃんが、黒髪のお兄ちゃんを引きずりながら、屋敷に向かってきていた。


「待ってくれって……正式な手続きをとった所だから……待て、つってんだろ。ここは強権派の有力者の一人なんだって!」

「待たないわ。何かあれば全面戦争よ」

「無理言わないでくれ、ミェルが探してくれるはずだ!」

「四日も経ってるのよ。冷静でいられるわけないわ!」

「クーナお姉ちゃん!」

「ファズ、やっぱりここに居たのね」

「ごめんなさい……どうしてもやりたい事があって……」

「ファズは私を助ける為に無理をしたの!」

「スフィア商会に居ることは、マルから教えてもらったの。お母様にはちゃんと伝えて、あるから安心して。猫達から話も聞いているし、無事ならいいのよ」

『マンマルから送られてきた、ファズの歌詞と女の子の歌声を元に、作曲したのは私ですよ』

「早く、コンテストに行かないと……。私達の時間をずらしてもらっているの。会場に着いたらすぐに準備を……えっと……そこの女の子も出るのよね?」


 体を綺麗にして、髪を整える。時間が足りるとは思えない。お姉ちゃんには悪いけど、このままではコンテストに参加できない。クーナお姉ちゃんもコンテストに出場するのかな?


「どうしよう……もう時間が無いよね」

「いいの。ファズが私の事を助けてくれただけでも嬉しかったから」

「時間ならいくらでもあるから安心して。ひとまず疲れたでしょう。ゆっくりと休みましょう」

「俺もクーナに引きずり回されたせいで、汚れた礼服を綺麗にしたいんだが」

「ごめんなさいアスティル、あそこには美味しいものが沢山あるから許して」


 クーナお姉ちゃんは屋敷の敷地を塀に向かって指を指すと、扉が急に現れた。ペニャお姉さんが使っていた魔術と同じものかもしれない。招くように、手で誘う仕草を見せたお姉ちゃんに案内され、僕達は扉をくぐった。

 僕に出来る事は全てやった。後はクーナお姉ちゃんがなんとかしてくれる。そんな気がした。帰ったら、母ちゃんと父ちゃんに叱られるとしよう。

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