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80. 黒猫の家出、再び(ファズside)④

作詞を完成させ、後は演奏をしてくれる人を探すだけ。事情を話したら、みんながカンパを募ってくれたから、資金は十分にある。

 風属性の魔術を活用した魔導楽器のオルガン奏者を雇えるお金も用意できた。


「こんにちは」

「はい、こんにちは」

 

 流石は王都の商業ギルドだ。一般来客の窓口はとても混んでいた。ようやく自分の番が回ってきた。


「歌姫コンテストで楽器を弾いてくれるオルガン奏者を探してるんだ。報酬は十万カクルと楽曲の演奏権」

「そっか……ごめんね。今は演奏できる人の取り合いで報酬が吊り上がって、相場の桁が一つ違うの」

「そうなんだ……」


 百万カクルは流石に出せる程の余裕はない。貴族がお金に物を言わせて、人を集めているんだ。


「あ……そういえば、一人だけ依頼待ちの子が居るのよ。でも、聞いた事もない楽器を使う子だから、誰も指名依頼しないの。スピッタていう楽器……僕も知らないよね?」

「僕は楽器には詳しくないんだ。でも、その人にお願いして欲しいな。ちゃんと楽譜も用意してるよ」


 僕はマンマルが作ってくれた音楽の楽譜と十万カクルを、職員のお姉さんに渡した。


「あら、綺麗な紙ね。それではこちらは責任を持ってお預かりします。楽曲登録料もしておきますね。依頼待ちの子が同意した際は、報告員がお知らせに行きます。住所を教えてもらえるかな?」

「スフィア商会、猫の道草堂にお願い」


 商会長が付けた屋号らしいけど、猫が好きな人らしい。それだけで好感が持てる。実際に聖女の様に優しい人だと、従業員のほぼ全員から聞かされている。


「分かりました。その子は報酬はいくらでもいいって言ってたから。演奏できそうな曲なら、引き受けてくれると思うわ」




 足早に商業ギルドから出た僕は、そのまま貧民街の廃墟の区画へと急ぐ。


「お姉ちゃん、お待たせ。楽器を弾いてくれる人に依頼を出して来たよ。それとこれ……」


 僕は鞄から歌詞を書いた紙とアイシーレコーダーを出した。マンマルが遠くの仲間と、つうしんというのをして、作ってくれたピアノの伴奏を保存してある。


「こんにちはファズ、これが……私とファズの歌……」

「違うよ。これは幸せな時を思い出す為のみんなの歌だよ」


 僕には優しい両親がいるし、強くて家族思いの姉も、可愛い妹と弟だっている。


「僕は今、幸せなんだ。これは僕の歌じゃない。お姉ちゃんが歌うこの曲を、みんなの為に歌って欲しい!」

「わかった……私、この歌を誰かの前で歌いたい!」


 文字が読めないお姉ちゃんの為に、歌詞を読み上げてながら教えた。知らない単語もあったようで、その意味を丁寧に教える。

 歌詞を書くのに風景を思い浮かべるのと同じで、歌うにも必要なようだ。


「髪、触るね」

「う、うん」


 お姉ちゃんの耳を隠している髪をかき分け、イヤホンを耳に装着した。アイシーレコーダーと予備の電池を渡して、使い方を教える。

 彼女の耳には、僕が歌った歌が聞こえているはずだ。ちゃんと歌うのは、初めての経験なので、少しは恥ずかしい。


「僕の歌、下手でごめんね」


 マンマルにやり直しを何回もさせられて、ようやくできた物だ。僕には歌の才能は無いのは理解できた。


「代わりに私が上手く歌うからいいの。ファズくんが上手かったら。私が歌う意味が無くなっちゃう」


 途中、お姉ちゃんが歌詞を忘れたりする事もあった。コンテストまで五日、まだ時間はある。


「コンテストの推薦状を貰うのに、お姉ちゃんの名前を勝手に決めたんだ」

「どんな名前?」

「フィア、獣人語で白猫の女という意味なんだ」

「……それじゃ、今日から私の名前はフィアね」

「僕が勝手に、時間が無くて咄嗟に思いついた名前だよ。僕の名前に由来してる黒猫の男って意味と同じ様な由来だし。お姉ちゃんに合う仮名は他にも……」

「フィアって呼んで」

「フィアお姉ちゃん……」


 なんだか、凄く恥ずかしいぞ。でも、思いつきで付けた、仮の名前とは言え、気に入ってくれて良かった。


「名前で呼ばれるのって……こんなに嬉しい事なのね……」


 フィアお姉ちゃんが鼻声になっている。髪に隠れて見えないけど、もしかしたら泣いているのかな?

 一日では、すべての歌詞を覚え切ることは出来なかった。レコーダーがあるので、ファズお姉ちゃんは僕がいなくても、歌詞を覚えることが出来る。





 お店に戻ると、ハイラお姉ちゃんが、お店に居た。いつもなら、実家の食堂で働いている時間なのに。


「はい、お願いされてた服をクーナ……商会長から貰ってきたよ」

「ありがとう……?」


 今、クーナって言ってた。確か、クーナお姉ちゃんは商人だって言ってたけど。こんなにすごい商会を営業しているとは思えないし……。


「商会長さんって、今どこにいるの?」

「リンドル領のスルゥウェルで人探しだって。知り合いの獣人の子が行方不明になって、探しても見つからないんだって」


 スルゥウェルは中々大きな街だ。獣人の子供なら何処にでも居る。偶然だと思う。


「ハイラお姉ちゃんが取りに行ってくれたの?」

「うん。そう……だよ……って事もなく、冒険者の人にお願いしたよ。スルゥウェルまでここから四日はかかるもんね!」


 やっぱりだ。クーナお姉ちゃんが僕を探している。コンテストまでの五日は、スルゥウェルに帰らされる訳にはいかない。

 心配している人が沢山いるのに家に帰らないのは、とても悪いことだと思っている。だけど、フィアお姉ちゃんを放っていく訳にもいかない。

 ラジオ放送の出演権利を得られたら、フィアお姉ちゃんでも仕事が出来るようになる。名前で呼ばない父親から、離れて生きる方法を作るまでは帰る気はない。




 翌日も、仕事を終わらせた後、お姉ちゃんの歌を聴きに行く。昨日の夜、イヤホンでずっと聴いていたようで、全ての歌詞を覚えてくれたようだ。

 

「あの……このレコーダー、まだ借りててもいい?」

「でも、全部覚えたんだよね?」

「もしかしたら、忘れた時に聞き返すかもしれないから!」


 確かにそうなったら大変だ。エレルさんには悪いが、完全に覚えるまでフィアお姉ちゃんに貸しておこう。


「湖に反射する夕日って……どんな風景なんだろう……」


 確か王都の港は西側にあるはずだ。夕方になれば見える。


「それじゃ、見に行こう」

「この格好で貧民街から出たら、衛兵に怒られるよ」


 お風呂に入って、ボロ切れの服ではなく、清潔感のあるちゃんとした服を着ればいいけど。海まで行くには二、三キロある平民街を抜けないといけない。

 試した事はないけど、手脚を獣化すれば屋根を伝って行けるだろう。それに丁度、夕方だ。


「ちゃんと捕まっててね」

「うん……」


 フィアお姉ちゃんを獣化した腕で、お姫様を抱えるように抱える。栄養を満足に取れていない彼女の体重はとても軽い。これなら、飛び回れる。

 塀や平家を使って、二階建ての高さまで飛んで上がる。獣化すれば、簡単だった。顔も獣化させれば、聴力が上がり。屋根の軋む音を頼りに、踏み抜いてはいけない所を察知できる。


「凄く速い!」

「代わりに僕の完全獣化は半端だけどね」


 本来、完全獣化は虎よりも大きな猫になる。跳躍力も、一部獣化とは比較にならない。


「あ、見えてきたよ」

「どこ?」

 

 風に潮の香りが混じってくる。

 キラキラと光る地平線が、前方に建つ建物の隙間に見えてきた。港に近づいてくると、商業区画に入る。すると、建物も大きく、高くなるので。その上から眺めたら、とても綺麗かも。

 

「飛ぶから、舌を噛まないでね」

「え……ちょ……?」


 五階建ての建物が隣り合わせで建っているので、その壁を蹴って飛び、更に反対の壁を蹴って飛ぶのを繰り返して上まで上がる。

 僕らの体重が軽いから出来る芸当だ。成人の高レベルな人がやったら、壁が壊れてしまう。


「とうちゃーく!」

「こ、怖かった……」

「ほら、あそこ見て」

「すごい……綺麗!」


 オレンジ色の夕焼けが、海に反射してキラキラと光っている。僕も海は初めて見た。ダンジョンには海を模した階層があるけれど、まだ見た事はない。

 あの海の向こう側にも、大陸や沢山の島があるらしい。いつか、大きくなったその時に、僕はどうするのだろう?

 今は分からない。ダンジョンの村にいる家族と離れるのはまだ早い。外の世界で生きるには、僕はまだ幼すぎる。

 

「家に帰りたくない……」

「じゃあ……僕のお世話になっている所に逃げちゃう?」


 コンテストが開催されるまでの間、エレルさんのお家で保護して貰えば、僕も安心できる。クーナお姉ちゃんに迷惑をかけておいて、虫のいい話だけど。フィアお姉ちゃんをそのままにしておく訳にもいかない。


「うん……ファズも一緒なんだよね?」

「そうだよ。それじゃ、帰ろう」


 再び、フィアお姉ちゃんを抱えて、屋根の上を走って、貧民街区画まで移動する。帰りは走り方に慣れてきたので、行きよりも早く着いた。

 再開発区画は建物が途切れているので、廃墟街で一度降りて、徒歩で移動することにした。


「楽しかった……こんなに嬉しい日は、初めて!」

「うん、屋根の上を走ったのは初めてだけど、想像以上に面白かったよ」


 誰かに追いかけられて逃げる時に完全獣化した姿で屋根の上を使えば、どんな相手からでも逃げられる自信がある。


「帰りが遅いと思ったら、こんな所に居たのか。さぁ家に帰ろう」


 髭と、髪の毛を無造作に生やした男が、こちらに向かって歩いてくる。すると、フィアお姉ちゃんが、僕の背中に隠れようとする。


「いや……私帰らない……」

「どうしてなんだ。俺は心配してたんだ」


 僕が家をしばらく空けて、帰った時に母ちゃんの第一声は僕の名前だった。


「もういい。私はあなたと一緒に住まない!」

「お母さんの付けた名前を知りたく無いのか。俺から離れたら、お前の全部がなくなるぞ?」


 そうか……コイツは自分の娘を縛り付けるために、母親との唯一の繋がりである名前を黙っていたんだ。


「君、これは親子の話だ。関係のない人は退いてくれ」

「ふざけんな。お前は……最低な奴だ。お前に親子がどうとか言う資格はない!」

「ちっ、野蛮な獣人のガキが……人様に説教してんじゃねぇよ!」


 男が僕に殴りかかる。体格に差はあるけど、五体満足で、娘に乞食をやらせて、貧民街で腐って生きる男に負ける僕じゃない。

 攻撃をかわして、相手の鳩尾に猫パンチを捻り込む。


「クソガキがぁぁぁっ!」


 綺麗に入った猫パンチに、男は腹を押さえてのたうち回っている。


「全く……見ていたら。私は忙しいんです。時間を取らせないでくれますかね」


 今度はスーツを着た男が、建物の影から出てきた。


「そこの男がした借金の回収に、その子が必要なんですよ。契約書もこちら」


 一枚の羊皮紙を取り出して、僕に見せつけるが、何の意味があるのか分からない。とにかく

、フィアお姉ちゃんを守らないと。


「知らないよ。フィアお姉ちゃんを攫うつもりなら、僕が止める!」

「そうですか、私は正当な理由と権利を持って、その子を連れて行きます」


 スーツの男が僕の方へ近寄ってくる。殴ろうとする様子は無いけど、フィアお姉ちゃんの手を掴もうとした瞬間、僕は男の顔面を殴った。


「いだいぃぃぃぃ、だれかぁぁぉころされるぅぅぅ、えいへいさぁぁん!」


 こいつ何のつもりだ。人攫いが衛兵を呼ぶなんて。捕まるのはそっちの方だろうに。現に向こうから灯りを持った衛兵が走って、こちらに向かってくる。


「どうした!?」

「そこの獣人が、そこの女の子を攫おうと父親を殴って、止めに入った私を殴ってきたのです!」

「……スラム街の獣人か。悪い事は言わない。大人しく詰所まで来てもらおう」

「違う、攫おうとしているのはそっちの男だよ!」

「本当よ! 私はそこの二人から助けて貰ってるの!」

「そうなのか……まぁいい、話は詰所で詳しく聞く」

「ほら、こちらをちゃんと読んでください。身元引受人の契約書です。こちらの不幸な少女を私が世話をするという文面があるでしょう?」


 衛兵がスーツの男から、さっき見せてきた羊皮紙を受け取った。


「なるほど……そっちの獣人の子供のわがままか。分かった、あなたはその子を連れて帰ってください。後でそちらの家に衛兵を派遣します。……私はその子から話を聞きます」

「なんで、そいつの話を聞くの!?」


 衛兵は僕に近寄ってくる。仕方なく、押し飛ばして逃げようと、衛兵は難無くかわして、僕の首根っこを掴んだ。

 逃げようともがくけど、力で全然敵わない。このままじゃだめだ……。


「フィアお姉ちゃん、逃げて!」


 スフィア商会までの行き方は教えてある。あそこに逃げればどうにかしてくれるはずだ。情けないけど、頼るしか無い。


「でも……!」

「僕は大丈夫だから!」




 逃げるのは得意だ。フィアお姉ちゃんが逃げたのを見た後、獣化スキルの初期アビリティである完全獣化を発動させる。全身の感覚が全て、密集するように変わっていく。

 サイズが合わなくなった服から出て、衛兵の手から抜け出した。


「猫!?」

「にゃにゃ!」


 フィアお姉ちゃんに追いついて話しかけるが、言葉が伝わらない。


「その子を捕まえてくれ!」


 追いかけてくる衛兵が、反対側にいた衛兵に声をかけ、僕らの前に立ち塞がった。


「きゃっ、離して!」

「ふしゃー!」

「ファズ、お願い逃げて!」

「そこの猫も捕まえてくれ。完全獣化した獣人の子供だ!」

「にゃ!」


 絶対にフィアお姉ちゃんをあいつらから助け出す。

 屋根に飛び乗って、衛兵から逃げる。流石に屋根の上を追っては来れない筈だ。衛兵から追われ、捕まったらフィアお姉ちゃんを助け出せなくなる。

 一人では助けられないだろう。それなら……法に縛られないアウトローを味方にするしかない。

 フィアお姉ちゃんを救出する協力者を得る為に、僕は王都を知り尽くす、夜の支配者が集まる所へ向かった。

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