15.仮初めの婚約者からの脱却
最終話になります。
突然現れた翔真に、大きく目を見開いたマミは金魚のように口をパクパク開閉させた。
「翔真!? 大悟と武瑠は、どうしたの、よ!?」
ドサッ
マミの台詞の途中で、翔真は片手で持っていたモノを無造作に放り投げた。
「キャッ!?」
足元へ放り投げられたモノは、見知った二人の少年。
力無くぐったりとした彼等の様子に、マミは顔色を青くして悲鳴を上げた。
「ただ寝てるだけだ」
意識を無くした少年達とマミを見下ろし、翔真は冷たく言い放つ。
遊具のある一角へ足を踏み入れる前に空間を遮断する結界を張り、見張り役の少年達に気付かれないように気配を消して近付き、彼等の首に手刀の一撃を入れて昏倒させたのだ。
モノの様に放り投げたのは、少年の片方、茶髪の少年に見覚えがあったから。
まだ付き合っていた時のマミの浮気相手、ベッドの上でイチャイチャしている写真を送りつけてきた男とよく似ていた。
ドヤ顔で写っていた写真を思い出し、少年とマミに対する嫌悪感から向ける視線は鋭いものとなる。
「男に見張りをさせて何をするつもりだったんだ? マミ?」
殺気と怒気が入り交じる低い声色に気圧され、マミはカチカチ音を鳴らして震える歯と唇を必死で抑えようとする。
「何度も言ったはずだ。俺達はもう終わっているんだって、お前が浮気しまくって相手から嫌がらせメールが来た時点で終わりだ。……で、ベアトリクスに何をするつもりだったんだ?」
一歩、翔真が距離を縮めるとマミは震える足をもつれさせつつ後退する。
「あ、う、近寄らないでっ叫ぶわよ!」
怯えを隠して睨みつつ逃げ道を探す様子が滑稽で、翔真は笑いが込み上げてきた。
「叫んでも誰も来ねーよ」
この場に張った空間遮断の結界を破れるのはベアトリクスだけ。
切り離した空間では泣こうが喚こうが、この世界の人族の範囲内の力しか無い外部の者には届かない。
「……ベアトリクスはお前とは違う。お前が張り合っていい相手じゃない。もう二度と近付くな。次、ベアトリクスや俺に近づいたら、」
マミに言い放つ言葉だけで傷付けられるくらい、声色に殺気を込める。
もしも腰に剣を挿していたら、引き抜いて首に突き付けていたかもしれない。
「ひいっ!」
突き刺さる殺気に気圧されたマミは、涙を流してその場に座りこんだ。
小柄な体全身がガクガク激しく震える。
「待って」
意識を失う寸前のマミへ、手を伸ばそうと動いた翔真の腕に白い指が触れた。
「ショーマ、やり過ぎですわ。加減しないで殺気を向けるだなんて、彼女を殺す気ですか」
「ベアトリクス」
眉間に眉を寄せたベアトリクスに咎められ、翔真の動きは止まった。
苦笑いを浮かべたベアトリクスを見た瞬間、膨らんだ殺気は呆気なく霧散する。
殺気の圧力から解放されたマミは、地面に座り込んだまま涙と涎を垂れ流して意識を失った。
「俺とマミはもう何も無いからっ! 勇者召喚される前は付き合っていたけど今は何も無いっ」
「ふふっ分かってますわ」
一変して、両肩を掴み必死に弁解を始めた翔真が可笑しくて、ベアトリクスはクスクス笑ってしまった。
「例え、わたくしとの婚約が互いの利得の一致だとしても、今後、多少の火遊びは許しますが、特定の相手をつくるのは止めてください。もしも相手が身籠りでもしたら、色々と大変ですもの」
一気に言うと、ベアトリクスは肩を竦めた。
仮初めの婚約者でもベアトリクスが侯爵家後継ぎとしての地位を、翔真は騎士としての地位を固めるまでの期間を穏便に過ごすことを考えると、多少の女遊びは目を瞑っても彼が寵愛する相手をつくるのは看過出来ない。
たとえ愛を囁く相手が出来ても、婚約解消をするのはお互いの今後のために数年間は我慢してもらわなければ。
泥沼の男女問題は、色を好む父親のせいで何度も修羅場を見ていた。
複数の愛妾を囲い、数年毎に欲深い愛妾がロゼンゼッタ侯爵夫人の地位を手に入れようと「身籠った」「男子が生まれた」と騒ぐのだ。
ロゼンゼッタ侯爵夫人であった母親が、ベアトリクス出産時に亡くなった時でさえ愛妾宅に居た父親はキルビスの怒りを買い、子を作れないようにされていた。
そのため、どんなに女達が喚こうがロゼンゼッタの血を継ぐ者はベアトリクスだけ。
強い魔力を持っていなければ、キルビスに護られていなければ、愚かな女達によってベアトリクスは生を刈り取られていただろう。
「違う」
苦しそうに顔を歪めた翔真の口から出たのは、喉の奥から絞り出すような声だった。
「何が違うのですの?」
翔真が苦渋の表情になっている理由が分からず、ベアトリクスは首を傾げる。
「婚約をしたのは、俺が、……き、だから……」
「は?」
「ベアトリクスが好きだからだよっ!」
「は? ふぇっ?」
勢い良く言い放った翔真の顔は真っ赤に染まり、理解するのに数秒かかったベアトリクスは間の抜けた声を出してしまった。
「好き、だから、浮気なんか、しない」
ゆっくり言葉にして、翔真は改めて自分の気持ちを確認する。
認めてしまえば“好き”という感情はすんなり胸に落ちた。
「ベアトリクス以外の女なんか、いらないから」
言い切られてしまい、ポカンと口を開けたベアトリクスは言われた台詞を理解すると、瞬時に全身を真っ赤に染めた。
***
遊具の周囲に張っていた結界を解いた後、意識を失ったマミと二人の少年の姿に気付いた人々で辺りは騒然となる中、気配を薄くしてその場から離れた。
気絶した三人の傍らに、アルコールの缶や酒瓶が転がっていた気もしたが、きっと気のせいだろう。
互いの指を絡ませた所謂恋人繋ぎをして、翔真とベアトリクスは大道芸人が披露するジャグリングを少し離れたベンチに座って見ていた。
歩きだした時に手が触れて、どちらと無く繋いだ手。
なかなか離すタイミングが見付からず、ずっと指を絡ませている。
片手は繋いだままだから、たこ焼きとじゃがバターをベアトリクスの口へ運んでやるという、バカップル丸出しな行動を翔真はしていた。
嫌がられると思って冗談半分で「あーん、して」とやってみたのは自分だが、まさかベアトリクスが恥ずかしそうにしながらもおずおずと口を開けるとは。
頬を赤く染め瞳を潤ました蕩けた表情をされての「あーん」は、恥ずかしいし甘ったる過ぎる上にベアトリクスが可愛くて何度も食べさせてしまった。
(ヤバイ、可愛い、抱き締めたい、キスしたい)
しかし、人目が多い祭り会場でこれ以上のイチャイチャは憚れた。
それに、意外と純なベアトリクスにドン引きされるだろうしキルビスに殺される。
「ショーマは、その、本当にわたくしの事を……す、好いてくださって、いるの?」
台詞の半ばから、赤い頬をさらに染めて小声になるベアトリクスが可愛くて、翔真は絡ませている指に一瞬だけ力を込めた。
「好きだよ。ベアトリクスは?」
きっぱり言い切ればハッと目を見開いた後、ベアトリクスは目蓋を伏せた。
「わたくしは……わたくし、分からないの。少女漫画なら、元恋人の登場でヒロインは悲しみと嫉妬で胸を焦がし涙するのでしょうが、先程はショーマに抱かれたという娘に嫉妬ではなく、嫌悪感を抱いたわ。……ただ、最近は変なの。屋敷に居てもショーマに会いたくなってしまって。でも、貴方に会うと、わたくし以外に目を向けてほしくない。ずっと傍に居たい、わたくしが会いに行くのではなく貴方に早く魔国に来てほしい、そんな独占欲を抱いてしまっていて」
半分伏せられた長い睫毛が揺れ、陶磁器のように白い肌に睫毛の影が落ちる。
「この感情が愛ならば、わたくしはショーマの事が、好き、なのでしょうか」
半分伏せられていた目蓋が開き、紫色の瞳が真っ直ぐ翔真を見詰める。
綺麗な瞳に見詰められて、翔真は胸が苦しくなった。
心臓の鼓動が速くなる。
指を絡ませて繋いだままのベアトリクスの手を、自分の方へゆっくり引き寄せる。
「ずっと一緒に居たいのは、俺も一緒だから。愛とかはまだよく分からないけど、俺、こんなに好きになったのは、ベアトリクスが初めてなんだ」
引き寄せたベアトリクスの手を離し片手の上へ乗せる。
壊れ物を扱うように優しく、手の甲へ口付けを落とした。
「改めて、俺と付き合ってくれますか?」
数回、口付けされた手の甲と翔真を見たベアトリクスは、添えられた手を握った。
「はい」
蕩ける様な笑みになるベアトリクスが可愛すぎて、翔真は片手で顔を覆って「ヤバイッ」と悶えてた。
若い勇者と金髪縦ロール令嬢は、仮初めの婚約者から恋人となりました。
このあと、ベアトリクスが可愛すぎて悶えた翔真は、鼻血を出して周囲をドン引きさせましたとさ。
因みに、当て馬役のマミは意識を失ったため救急搬送され、未成年者の飲酒喫煙がバレてしまい学校から処分されてしまった...らしい。
俺と金髪縦ロール令嬢の結託、本編はこれにて完結となります。
後日談話を更新するかもしれませんが、若い二人はこれからもジレジレしながら愛を育んでいくと思います。
ここまでお付き合いしてくださり、ありがとうございました。