嫁入り狐とお人形さん
朝、とても冷たい風が吹く。
もうすぐ春。だというのに、この刺す様につめたい風は何なの、と、誰かに苦情を言いたくなってしまう。
だけれど、晴れの日に降る雨はとても幻想的で、彼女たちの結婚式とするには、とてもお似合いにも見えた。
晴れの日に降る雨は、人間の間では『狐の嫁入り』と呼ばれる。
狐達の間では全く違う言葉なのだそうだけれど、ロマンチストな私の友人は、「その日を嫁入りの日にしたいの」と言って聞かなかったのだとか。
友人としては面白エピソードでしかないけれど、相手の彼はきっと苦労したのだろうなあ、と、同情もしてしまう。
そんな、私の素敵な友達――親友と言っても差し支えない子が今、白無垢を着て、彼女の旦那様と一緒に、多くの狐達に護られる様にして山道を歩いていた。
とっても幻想的な光景。人間の世界にいたのでは見られない、狐達の世界。
そこに私は、人形でありながら、新婦の友人として招待されていたのだ。
狐とは、このような生物らしい。
人の世界では野良犬とそんなにかわらない様な生き方をしているのだけれど、自分達だけの世界では、このように、人間のような、いや、それよりももっと厳かな何かのような暮らしをしているのだと、銀子から聞いた。
銀子自身、人間の世界でしか暮らしたことがなく、自分が人間と同じように二足で歩く事など想像すらしていなかったらしいのだけれど、今銀子の隣を歩いている和装の美男子(銀子曰く)と出会い、自分達の世界というものを知ったのだとか。
この、文字通りの狐の嫁入りは、決して妨害してはいけない、神聖なものなのだという。
なので、私は自分の前を通り過ぎていく銀子に手を振ったりはできず、できる限りの笑顔を向けることしかできなかった。
銀子も私に気付いたのか、ピクピクと耳を動かしそうになってそれを必死に堪えて、口元を緩ませる。
きっとピョコピョコ耳を動かして私の顔をなめたいに違いない。
銀子は、人の顔をなめるのが大好きなのだ。
私もまあ、狐の唾液まみれにされるのは最初こそ抵抗があったけれど、銀子の優しさからくる行動なので抵抗はしないし、今では普通に受け入れていた。
ただ、今はお化粧もしている。ご主人様が私の為にメイクしてくれたのだ。
これが舐め取られてしまうのはちょっと避けたかった。
銀子と出会ったばかりの頃、まだ初等部だった私のご主人様は、今では立派な女学生だ。
恋人もできたらしくて私ばかりを見てはくれないけれど、それでも友人の為にとおめかしをしたい私に、精一杯のお洒落をしてくれた。
手先も器用な方で、余所行きの為のドレスやグローブまで作ってくれたのだ。
私はきっと、世界一恵まれてる人形なんだと思う。
行列が私の前を過ぎて行き、少しして、雨が止む。
「そろそろ参りましょうか」
私の隣で行列を見送っていた狐面の女の子が、私を掌に載せて歩き出す。
この子は、まだ未熟ゆえに行列に加われなかった子なのだとか。
私のご主人様の小さな頃にそっくりな声でびっくりしたけれど、山道を歩く振動が掌に伝わらないように、ふんわりと包んでくれたのは嬉しかった。
狐達の結婚式は、山頂にあるお社で行われる。
私やご主人様、それから銀子が住んでいた人里からは大分離れているところにあって、人間はほとんど入り込んだりしないのだとか。
石で作られたお社はどこか冷たい印象も感じるのだけれど、白無垢姿の銀子は、お化粧もしていてとても綺麗。
私以外の参列者が皆狐なのを考えても、かなりの美人さんなんじゃ、と思ってしまう。
「我ら神に連なるキツネの子孫らよ、この日をめでたく思うか」
「思います」
「思います」
間に立つ巫女装束の狐が、銀子と旦那さんの間に立って問うと、二人は眼を閉じながらに互いの手を探りあい――やがて握り締めあう。
「我らキツネは人前ではイヌと変わらぬ。我らキツネは山ではヒトと変わらぬ。であるが故に、我らはイヌではなく、ヒトでもなく、キツネでなくてはならない」
「相違なく」
「相違なく」
「では、汝らが産み、育む子はなんぞや?」
「ヒトの世ではイヌと変わらず」
「山の世ではヒトと変わらず」
『けれども、我らはキツネ。我らの子もまた、キツネ』
「その通り。我らは神の子。我らは神に連なるキツネなり。なればこそ、キツネとして生き、キツネを産み、キツネを育てようぞ。さあ鳴け、我らの鳴き声を、山の世界に響かせろ」
「コーーーーン」
「コーーーーン」
狐版、新郎新婦の愛の宣誓、とでも言うのだろうか。
二人の狐が、蒼い空に向け高く大きく鳴くと、周りの狐達も「こーん」と鳴き始める。
「……」
「……」
そうして、周囲の視線が私に向けられる。
この場で唯一狐ではない私に、人形の私に何を求めているというのか。
「こ、こーん……」
――きっと狐である事を求めたのだろう。
だから、私は鳴いた。狐として鳴いて見せた。かなり恥ずかしい。ご主人様には見せられない!
「素晴らしい。やはりこの世はキツネで満ちている。皆の衆、ここに新たな夫婦が誕生した。祝うのだ。油揚げを食べよ。沢山の幸せを分かち合おう」
巫女装束の狐がチリリン、と鈴を鳴らしながら高らかに宣言する。
こうして、厳かな雰囲気の結婚式は終わった。
「シルヴィ、きてくれてありがとう!」
そうして、空気が緩くなった途端私の方に駆け寄ってくる銀子。
さっきまでの幻想的な雰囲気はどこへやら。お淑やかさなんてとっくに吹き飛び、ニコニコ顔で小さな私に頬ずりする。
「友達の結婚式だもの。当然、くるわ」
ちょっと恥ずかしい。この子は昔からストレートすぎるのだ。
あんまりにはっきりと言ってはっきりと示してくるから、気取ってる自分が恥ずかしくなってくるのだ。
でも、テレ以上に銀子が幸せそうなのが嬉しくて、その鼻先をそっと撫でてあげる。
「んんぅ……シルヴィ、ありがとう」
こそばゆいのだろうけれど、銀子はお鼻をさすられるのが好き。
イヌは鼻を触られるのを嫌がるらしいけれど、狐はそうでもないのか、こうしてやると妙に喜ぶのだ。
「最後に貴方の素敵な姿を見られて良かったわ。お幸せに、ね」
だけれど、私はまだどこか気取ってしまっていた。
狐達の世界は、人間達の世界とは違う時間の中にある。
今日一日くらい居る分にはなんてことはないけれど、一年、二年と過ごしている内に、人間達の世界では数百年が過ぎている事もあるらしい。
そして、銀子の旦那さんは山の狐だ。狐達の世界で暮らす狐だ。
たまたまふらっと人里に降りてきただけで、本来はここで暮らすのが彼らの生活なのだという。
銀子もそれは承知の上で、私を今日呼んだのも、本来はダメなはずなのを最後のお願いだからと無理を言って仲間たちに聞かせたらしい。
それというのも、最後のお別れをさせてもらうためだったのだ。
「うぅ……シルヴィ……」
「泣かないで。せっかくの美人さんが台無しだわ」
泣いているのはどっちなのか。綺麗な白化粧をしている銀子は、白粉を落としながらグシグシと泣いてしまっている。
そんな銀子の顔がブレてしまって、私も涙がぽろぽろこぼれて止まらないのに気づく。
折角のお化粧が、折角のおしゃれが、全部台無しになる。台無しになるくらい、二人、泣いてしまっていた。
「また、いつか会えるわ」
「いつか、会えるの……? だって、私、これからずっとここに――」
「大丈夫よ銀子。貴方が子供を産んで、いつかその子供が人里にきて――そしてきっと、貴方みたいに人里で、人間達と触れ合うはずだわ。貴方はとっても人間が大好きだったから」
「……うん。人間さんは大好きだから、子供たちにも沢山、たくさん聞かせるよ!」
「だから、大丈夫よ。いつかきっと、会える」
ちょっと不安そうにしていたこの子を前に、泣きながらでも、笑っていなければいけなかった。
この子はとっても優しい。この子はとっても人懐っこくて、人に好かれる子だ。
こんな子を悲しませたくない。寂しがらせたくない。だから、私は笑っていた。泣きながら。涙を流しながら、笑っていた。
「笑って、銀子。笑顔でお別れよ。あの時と同じ。ご主人様が迎えにきてくれた時と同じで、ニコニコ笑って『またね』っていうの」
「う……うん。シルヴィ、また、ね……また。また、会おうね?」
「――うん。また」
だから、私は最後まで笑っていた。笑っていられたと思う。
自分が人形でよかったと思えたのは、この時くらい。
冬が終わって、春になって。
暖かな陽が当たるようになる頃には、綺麗な蝶々が空を舞う。
小さな狐達が我先にとその後を追ってぴょんぴょん跳ね、可愛らしく鼻先をスンスン鳴らして草むらを駆け抜けていく。
「狐さん、いっぱいいるね」
小さな女の子が、私を肩に乗せながらニコニコ笑顔で子狐達を見守っていた。
この子が、今の私のご主人様。最初のご主人様から数えて、五人目。
お散歩と動物が好きな子で、よく私をこうやって肩に乗せて歩き回り、のんびりとその辺の動物とかを見て幸せに浸っている。
この辺りも随分と拓けてきてしまって、昔ほど田舎という感じはしなくなっていた。
その証拠に、今、道を歩いていった学生さん達は、随分と垢抜けた格好をして、お化粧なんかして歩いている。
手にはスマートフォンとかいう、よく解らない道具。
昔野道だった道はもう舗装されてしまっていて、今では車というものが走るようになっていた。
家に帰ればパソコンだのエアコンだの、私が生まれたばかりの頃には存在すらしていなかった謎の機械がおうちのスペースを占めている。
「狐さん、かわいいね」
ぴょこぴょこと駆け回る子狐が、私のご主人様の足回りに寄ってきて、くるくると周りを駆けたりスンスンと匂いを嗅いだりしている。
「ええ、とても。それに――」
だけれど、私はそんな小さな子達よりも、その先に居た――大人の狐に目が釘付けになっていた。
見間違えるはずも無い、私の親友だ。
「――それに、とても綺麗な空だわ」
空の色なんて解らないけれど。
ぽかぽかと暖かい陽差しの中、芽吹きの雨は、私達の再会を祝してくれているかのよう。
二人を逢わせてくれた恵みの雨。
私にとって晴れの日の雨は、親友との出会いの雨だった。