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死神にさよなら  作者: 入江游
7 死を知らぬ人々
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3

 祈りの広間は城の正面入口を入ってまっすぐに行った所にある。広間から正面入口までにある部屋は巡礼者が滞在するために使われているという。そして広間から後方は巡礼者は立ち入り禁止で、城に生活する者が使っているとロッソが言っていた。城の者なら誰でも自由にどこでも使えるというわけでもなく、ジョウがいた塔のように立ち入り禁止の場所も所々にあるという。

『祈りの広間の裏手が教主様や聖女様、それに司祭様の部屋があっておふくろや俺なんかは近づいちゃいけないんだ』

ジョウがあたりを付けたのはその立ち入り禁止の場所だった。

(ここらへんが祈りの間の裏手になってくると思うんだけど……)

曲がり角があり、廊下が二つに分かれた。ジョウは柱の影に隠れながら観察するのは、一方の廊下の手前に立つ体格のいい男。司祭のように白い服を着ていたが、司祭のそれよりも動きやすそうな格好をしている。腰に剣が佩かれているところから見ると、見張り役だろう。

わざわざ見張りまで立てるとは、この廊下は教主の部屋に通じているに違いない。問題はどう見張りを突破するかだ。仕方なしに祈りの広間のほうに戻りながら、どうすべきかを考える。

(もう礼拝が終わってしまうかしら? なら次の礼拝の時間を狙うしかないわ)

次の機会が来るまで隠れることのできる場所を探してそこに潜伏するしかない。

 祈りの広間には正面と左右に入口がある。ジョウは脇の入口から入ろうとそこにさしかかった。入口の扉は開け放たれており、中の音がジョウのいる廊下にも聞こえてきた。

(話し声……もう礼拝は終わったのかしら)

ざわざわとした人の声は急に静まった。

「おまえたち! 手向かいすると無事ではすまんぞ!」

祈りの間に響いたその声は、威圧するようなものだった。ジョウは何が起こっているのかよく見ようと、足音を消して入り口に近づきそっと中をうかがう。

そこには剣呑な空気が漂っていた。白衣の司祭たちの手には剣の柄がしっかりと握られている。剣を向ける相手は、巡礼者たちではなく、正面入口を占拠している一団だった。男ばかりの三十人ほどの集団で、全員武装している。前列を占める者は鎧を着込み、剣を抜いた騎士の格好だった。その後ろに控えるのは従者らしき青少年と比較的軽装の男たち。この集団の中に一人だけ、正教の僧侶の姿があった。

(まさか護教騎士団!?)

護教官が弁舌で異端を屈服させるのなら、剣で説得するのは護教騎士団の仕事だ。ジョウたちがここを突き止めたように、彼らも異教の根城を発見したと見える。

 彼らの足もとは泥で汚れ、枝にひっかけたか外套は綻んでいる。中には包帯を巻いているものも少なくない。道中、獣に遭遇したに違いない。帰らずの森に足を踏み入れてまでも、彼らは異端を根絶やしにしたいらしい。恐ろしい森を隠れ家にする不死神信仰者たちの執念は並々ならぬものがあるが、護教騎士団のそれも相当なものだ。

「剣をおさめて下さい」

睨み合う男たちに向かって、凛とした娘の声が放たれた。武装した司祭たちの列を割って、レンニャが現れる。

「貴方がたも剣を引いてはいただけないでしょうか」

レンニャは護教騎士団に向かって言ったが、彼らは剣を構えたまま動かない。

「おまえたちが大人しく我らに身をゆだねるというのなら剣をおさめてもよい」

その提案にレンニャが不服なのは彼女の顔を見ればわかった。

(次の礼拝を待つ必要はなさそうね。どちらかが譲らない限り、剣はふるわれる。そしてどちらも譲る気はないみたい)

ジョウはそっと広間に背を向けた。先ほどの分かれ道まで静かに急ぐ。背後で言い争う声が聞こえてきた。そして信者たちの悲鳴。

(広間の混乱が城内に広がる前にカステを探さないと)

 見張りはいなくなっていた。異変を察知して祈りの広間に向かったのだろうか。見張りが守っていた廊下に入る。廊下には絨毯がしかれ壁には織物がかけられている。その飾り具合から見てもここが特別な場所なのがうかがえる。ジョウは手当たり次第に扉を開けようとしたが、どこも鍵がかかっている。試しに思いっきり蹴ってみたが開かない。

(ぼろっちい城のくせに頑丈な扉だこと!)

鍵のかかった部屋のどこかにカステがいるのだろうか。

「カステ! どこにいるの!? 声が聞こえたら返事をして!!」

部屋の前で怒鳴ったが、返答はない。

「カステ!」

叫んでも声は壁に反響し、消えた。

(?)

 ジョウはおかしなことに気付いた。先ほど、祈りの広間から出てまっすぐ走っていると人々の騒がしい声が聞こえたのだが、曲がり角に曲がるとそれが聞こえない。距離が離れたせいもあるだろうが、今ジョウがいる廊下は祈りの広間の裏にあたるはずだ。石壁が厚くとはいえ、石を乱雑に積み上げたふうな造りの城だ。隙間も多い。音が漏れ聞こえてもおかしくない。

ジョウは先ほど自分が実際に走った距離と広間の大きさを思い出す。ジョウの計算が確かなら、壁は小さな部屋一つぶんほどの広さがある。

(壁が異常に厚いのでなければ、ここに部屋が? だとしたら入口は?)

左右を見て入口を探すが、ただ刺繍が見事な壁掛けがかかっているだけだ。ロッソは城は左右対称の作りをしていると言った。念のために反対側の廊下に回ってみたが、入り口らしきものはなかった。

(この壁掛け……)

ジョウは壁掛けの中でも一番大きく立派なものをめくりあげながら、壁を観察する。

 互い違いに積み上げられた石の中に、不自然なほど石と石の間を走る真っ直ぐなくぼみ。くぼみは壁に長方形を描いている。

(隠し扉!)

取っ手のように見える石があり、それに手をかけて引くと開いた。


 その部屋は壁も床も白かった。壁にぐるりと据え付けられた燭台のおかげで部屋は明るい。部屋の中央には石の台座があり、その上には半球形をした硝子の器が乗せられている。器は傾けられ、器の水がちろちろと垂れている。その落下先には台座に縛られた者が深くうなだれている。彼は壁の向こうの混乱が聞こえていないようだった。

「カステ!」

カステは反応しない。とにかく縄を解こうとジョウは結び目に手をかける。きつく結んであったが、ジョウは結び目の隙間に爪を差し込み、緩めようとする。爪が割れそうになってもジョウは止めない。

(どんなに痛くても、どうせ治るのよ)

そう言い聞かせて苦痛を無視しようとした。解けたころには親指の爪が割れていたが、すぐに元に戻った。

 縄を解くと、台座に固定されていたカステの体はぐらりと傾いだ。カステの頭は床に激突し、ゴンと音を立てた。倒れた彼がもといた場所に、水滴が落ちて涼やかな音を立てた。

 その時ジョウは器から水が落ち続けていたことに気付いた。器の傾斜は変わらない。ならばある程度こぼれてしまえば、水が落ちることはなくなるはずだ。しかし器から水は一定量落ち続けている。器は何の変哲もない硝子製で、水道管のようなもので水が供給されているわけではないのに。

(水が……ひとりでに増えて……!?)

「っつ、いてぇ」

舌打ちとともに痛みを訴えながらカステは目を開けた。

「おはようございます、カステ」

「おはよう。さわやかな朝だな。人の悲鳴が聞こえる」

壁の向こうから広間の悲鳴が聞こえる。

カステは上体を起こして、ぼんやりと周囲の様子を確かめる。次に彼は手の平をじっと見つめたり、指で空を斬る動作をしたりした。

「何をやっていますの?」

「いや、確認を。やっぱり無理か」

カステは身を引きずるように壁に寄った。身体を壁に預け、まるで病人のように辛そうだ。

(病気? 死神が?)

「少し見ない間に、随分と人間臭くなりましたわね」

「人間の体なんてクソ食らえだ」

 悪態をつく元気はあるらしい。彼はジョウと別れてから今に至るまでを説明した。

「じゃあ、あの銀色の滴は不死の水なので?」

「祈りで増えるんだそうさ」

「なるほどそれで水がずっと落ち続けていたわけですのね。そしてそれがアナタの能力を奪ったと」

「そうだ。それだけじゃない気もする。不死の水なんだが、どうも気配が禍々しいというか……それよりここからさっさ出なくていいのか?」

ジョウは祈りの間とこの部屋を隔てる壁を見た。

「今ね、護教騎士団の討伐隊が暴れていますの。悲鳴はそのせいかと。アイツらが撤退するまででないほうがよろしいでしょう。実はこの部屋は隠し部屋ですから、騎士団にすぐに見つかることもないでしょうし、静かになるまで待ちましょう」

ジョウは台座を背にして座り、カステと離れている間に自分の身に起こったことを話した。

「教主はやけにアタシがどう不死になったか聞きたがりましたわ。不死を保つ方法を教えろとも。アイツはアタシと同じく神の領域に入ったそうですわ」

「レンニャという女が言っていた。ここでは聖女と呼ばれているらしい。教主は森の中で道に迷い、気づけば大きな湖の前にいた。光景があまりに美しく見とれていると、湖から後光を背負った女が出てきたそうだ。神々しい女と湖、それで不死神だとわかったらしい。それで水を持っていた水筒に入れて持ち帰った、と。それで不死になったというが……奴は不死人ではない。死臭がする」

ジョウは祈りの広間で見た白装束の女を思い出した。カステが死神と知ったとき、ひどく裏切られたような顔をしていた。

「そう、一体どうしてなのかしら。解せませんわ。神の世界に入った上に不死の水まであるのにアイツは不死人じゃないなんて」

カステは祈りの広間のあるほうをじっと見ている。

「ちょっと、どうしまして?」

カステは答えない。ジョウは彼の手が強く握られ、小刻みに震えているのを見た。

「この壁の向こうには狩るべき魂がある……」

やはり剣はふるわれたのだ。そして人が死んでいっている。祈りの広間にいる者の魂は別の死神が狩っているはずだ。カステは近くにいるのに狩ることができない。彼は大鎌が出せない状態だ。牙を失った獣であり、翼のない鳥のようなものだった。何もできない自分が歯がゆいのだろう。

 ここに来てから彼の誇りは傷付けられてばかりだ。

(もしこのままだったら……)

それは恐ろしい考えだった。その心中を察し、ジョウはそっとカステの手をとった。

「大丈夫よ。アナタは神でしょう。人間ごときにどうにかされるわけありませんわよ」

「だといいが……」


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