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死神にさよなら  作者: 入江游
7 死を知らぬ人々
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1

 意識を完全に手放していたジョウが目を開けたときに見たのは、自分の顔をのぞき込む黒と赤の目だった。

「ん……カステ……来てくれたのね」

ジョウは安堵の息を吐いた。彼女は手枷から自由になっており、床に寝かされていた。起き上がって背中に手をやると、ぼろぼろになった衣服の切れ端に触れこそしたが、そこにあるはずの棒打ちの傷は綺麗に消えていた。

「あなたたち、こんな女の子になんてことを!」

 カステの後ろでは、若い娘がジョウを拷問していた男たちを叱りつけている。

「口裏合わせろよ」

カステがジョウの耳元で囁いた。カステは黒衣でなく白の頭巾を被っている。どうにも似合っていない。

何がどうなっているのか。状況を理解する前に、娘がこちらへやって来た。男たちは娘に言われて部屋から去っていく。

「本当に申し訳ありません。知らぬこととはいえ天の御使いに失礼なことを……」

ジョウには状況がまったくわからなかった。天の御使いと呼ばれているのは自分なのだろうか。

(どういうことよ)

横目でカステを睨むと、彼はそれを無視して話し始めた。

「まあいい。よし、とにかくここを出よう」

「はい、カステ様」

娘は歯切れの良い返事をし、部屋の扉を開けた。

 扉を開けたそこには、不法な生者である教主が立っていた。

「お爺様」

娘が言った。

「レンニャ! なぜおまえがここにおる。地下には入るなと言っておるだろう! 司祭からおまえが地下に行ったと聞いて来てみれば……」

教主は目だけをジョウとカステにやった。

「おまえは何をしている」

「お爺様。この方たちは天の御使いです……ですから無礼は……」

レンニャは教主の怒りの混じった声に萎縮しつつも反論を試みた。

「馬鹿者っ!」

教主の一喝にレンニャはびくっと肩を震わせた。

「この者達は死神とその狗だ! 我らが神を侮辱する存在!」

レンニャは恐る恐る振り返り、カステを見た。

「死……神……?」

カステはレンニャを見ていなかった。彼は教主に厳しい視線をくれながら、手は何かを掴もうとしていたが、手の中には何も現れない。ジョウはカステの様子が妙なことに気付く。

「どうしましたの?」

教主がレンニャを押しのける。教主の手には小瓶。それに視線を走らせたカステは嫌そうな顔をした。

「ジョウ、俺に何があっても止まるなよ。出て左だ。いいな」

「エ?」

「逃げるぞ」

言うが早い、カステは老人の左側をすり抜ける。ジョウは老人の右側を駆け抜け、出口を目指す。広い部屋ではない。ジョウの歩幅でも大きく五歩進めば出口にたどり着く。

 先に動いたカステが出口に差し掛かったとき、教主に押しのけられたまま突っ立っていたレンニャが行動を起こした。

「カステ様ッ!」

彼女はカステに体当たりするように突進した。レンニャは両腕で必死にカステの腕を捕らえる。カステが止まってしまった間にジョウは部屋を出ることできた。

 ジョウは部屋の中をかえり見る。後に続いてくるはずのカステがレンニャの腕をほどく。それと同時に、背後から教主がカステに向けて小瓶の中のものをふりかけた。

 それはあの時と同じ、銀色に輝く飛沫。

 カステはそれに触れると床に崩れ落ちた。

(また!?)

 教主がジョウに目をやった。ジョウはカステの言葉を思い出た。

(出て左!)

ジョウは言われた通りの道をとった。二人とも捕まってしまっては意味がない。

 地下は一本道だった。ただひたすら走っていると階段が現れ、ジョウは迷わずに駆け上がった。螺旋階段をぐるぐると上がっていくと、次第に明るくなってきた。一度階段が途切れて、ほっと息をついた。だがそこはただの円形の部屋で、すぐにまた螺旋階段が始まっており、まだ上に続いていた。

 心臓がばくばくという音が、ジョウの焦りを助長した。

諦めずに脚を動かせば、ついに扉のある階にたどりついた。一度立ち止まり、下から追って来る足音がしないのを確認する。呼吸を整え、ゆっくりと向こう側をうかがいながら扉をあける。

(まぶしい……)

扉の向こうは外だった。光のろくにない世界から帰還したジョウにとっては、鬱蒼としげる木々の間からわずかに差す日光でさえまぶしく感じられた。

人気がないと見て取るとジョウは光の中に踏み出した。

「あー! いけないんだ。ここに入っちゃ駄目なのにぃー!」

外に出た途端にジョウに降りかかった声は幼いものだった。視界の隅の茂みから、ひょいと声の主が顔を出したが、ジョウは無視をした。

「おまえ見ない顔だな? 巡礼者か? 別に何でもいいけどさ、この塔には誰も近づいちゃあいけないんだぞ」

足早に去ろうとするジョウに声は追いすがる。塔と聞いて、ジョウは歩をゆるめずに後ろを振り返り、自分が出てきた建物を見上げた。カステと外観を偵察したとき、確か塔は城の後方に左右一つずつにあったことを思い出す。城の地下に落とされてから一度も外には出ていなかった。城の地下と塔がつながっていたわけだ。

振り返ったときに、塔と一緒に声の主の姿が目に入った。偉そうにジョウに説教するのは少年で、ジョウの見た目よりも幼く、鮮やかな髪の赤色が薄暗い森に映えた。

「迷っただけよ」

ジョウは説教する生意気な子供に冷笑をくれて立ち去る。さっさとここから離れ、落ち着けるところで今後どう動くか考えなければならない。

「なあ。その背中どうしたんだ?」

背を向けたジョウに少年が尊大な口調をやめて訊ねた。彼は拷問で破れた衣服の背中部分を見たのだ。

「別に」

振り返りもせずにジョウは言った。

「待てよ」

少年はジョウの隣に並んで歩く。

「そんな格好じゃあ人前に行けないだろう。俺のでよかったら服を貸してやるから来いよ」

少年はジョウの手を握ると、引っ張るようにして歩き始めた。塔に入ってはいけないという言いつけをこの少年が守っているなら、彼は塔の地下に拷問部屋があることを知らないのだろう。だから塔から出てきたジョウがその部屋から逃げてきたこと、つまり拷問を受けていたことなど知りようもない。よしんば塔の中身を知っていたとしても、さらした素肌に何の傷もないのだから、激しく棒打ちされたとは考えようもないに違いない。

世の中にはぱっと見、無傷で済む苦痛も存在するが、この平和そうな子供がそこまで頭を働かせたものか。

「ちょっと!」

余計なお節介だと言おうとしたが、はたと思いなおした。

(確かに人に見られた場合、この格好じゃ人目を引くわ……)

「名前は何ていうんだ? 俺はロッソ」

「……ジョウよ」

「ジョウ、変な名前」

「うるさいわね」

言い返すと少年は何が面白いのかケタケタと笑った。

 ジョウとロッソは城のわきにある入口から中に入った。それは厨房に直結する入口だった。厨房を抜けると長机を並べた大きな食堂で、そこから廊下に出た。城内は見た目と違わず無骨なつくりである。外から見てもどう均衡を保っているのか不思議な石積みだったが、内から見てもわからない。天井には巨石が渡されているのは理解できたが、そもそも天井の高さまでどうやってあれを持ち上げたのか。

「ここには沢山の部屋があるんだ」

階段を上がり、ロッソが案内する二階には沢山の扉が並んでいた。そのうちの一室にジョウを招いた。

「ここが俺と親父とおふくろが住んでるところ」

 城内で様々な人とすれ違った。白衣を着た司祭だけでなく身なりのいい者や平民の装いの者、子供もいた。その中にジョウの存在を知る者はいないようで、ここまですんなりとやってくることができた。

「ふうん。アンタはここにどうして住んでいるの?」

「親父が司祭なんだ。だから俺もここにいるってわけ」

ロッソは衣装箱を探り服を引っ張りだすとジョウに投げてよこした。薄茶の上衣は厚手で、寒い時期に着るものだろう。ジョウは今着ている物の上からそれを着た。

「着た?」

着ている間、律儀に後ろを向いていたロッソが訊いた。

「エエ、ありがとう」

「当然のことだよ。女の子にはどんなときにも優しく、これ鉄則」

「アラ、素敵な信条ね」

「親父の受け売りさ」

ロッソは気取って答えた。思わずジョウはくすりと笑う。

「お、笑ったな。さっきからずーっと難しい顔したけど、そういう顔のほうがいいよ。でも、うーん。丈がいまいちだったかあ」

借りた服は存外丈が長く、スカートを半ば覆ってしまっている。

「スカートはふわんとしているのがいいのにね」

ロッソが衣装箱に手を突っ込んだので、ジョウはこれでいいと彼を止めた。

「それより、迷惑ついでにお願いしてもいいかしら?」

「何? 言ってみろよ」

「アタシはここに今日来たばかりなの。案内してちょうだい」

にっこりと笑ってみせると、もちろん、とロッソは胸を叩いて快諾した。


「ここは教室。司祭様が俺らに色々教えてくれるんだ」

ロッソが教室と言った部屋は人が二十人ほど収容できる広さがあった。子供たち用の長椅子が並べられ、それに向かい合うように司祭用の椅子が一脚置かれている。

「ジョウ、ここの見晴らしがいいんだぜ」

ロッソが窓辺で手招きした。そこからは庭が見下ろすことができ、花をつける木や潅木で囲まれた庭では子供たちが遊んでいた。遊びに興じる子供らから離れて母親たちが様子を見ている。

「あの子たちはここで生まれたの?」

「そうだよ。俺もそう」

(ということは物心ついたときから不死神信仰の中にいたのね)

ぼんやりとそう考えて、ジョウは自分の過去を振り返る。

(アタシのときは色んな神がいた……でもロッソたちにはどうなのかしら。不死神しかいないのかしら)

恐ろしい森の中に隠れるようにして、不死神を信奉する彼らや、正教と称して天上神のみを崇める人々もジョウにとってはあまり変わりがなかった。神を間近に見、言葉を交わすようになって、彼女は神に祈ることをしなくなったからだ。神々は畏れるに値する存在だが、それに対して祈りは無駄なものだ。神はそこにあるだけで、祈りを聞き届ける存在ではない。

「熱心なことね」

「何か言った?」

「いいえ」

 かつては自分も祈り人だったが、なぜ自分はあの頃からこんなにも遠く離れたこのような場所にいるのだろうか。

(それは……)

ある人物の顔が思い浮かんだが、じきにそれがカステの顔のように思えてきた。それは完全な間違いではない。しかし両者の差は大きかったため、ジョウは両者を混同したことに戸惑いを感じた。

(……似ているだけだもの……)


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