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第11話 鬼上司は甘く抱きしめてくる

 どこかでタイマーが鳴っている。

 遠くで聴こえてる機械音と自分の鼓動が徐々に重なっていつしか消えていくと、気持ちも変に落ち着いてきた。


 普段の態度や言葉からは想像できないくらい優しくて包み込むようなキス。頬をなでる熱い手が耳に首筋に触れるたびに胸が震えた。


 だって、こんな風に男の人に抱きしめられてキスされるのは初めてだったから。


 なにか言いかけようとすると唇を重ねられてなにも言えない。息さえも飲み込まれてだんだん呼吸が乱れ始める。抱きしめられた腕が腰を強く引き寄せるから吸い付くように体が密着した。



(絶対慣れてる……)



 頭の中でそんなことを冷静に考える自分もいた。



(この状況なに?女性に一切不自由してなさそうな人が何のために?)



 久世さんが私をこんな風に抱きしめてキスするメリットがない。同じ職場でしかも上司と部下で派遣の私なんか面倒以外の何者でもないだろうに。



 なのに、どうしてこんな風に抱きしめてくれるだろう。

 どうしてこんな大切なものを扱うみたいに頬を包み込むの。



「……はぁ……」

 どれくらいの時間こうしていたのか、やっと解放された口から吐息を吐く。



(息ができないほどのキスって本当にあるんだ……)



 まっすぐ見つめてくる瞳を息を乱しながらも見つめ返してそんなことを思った。


 長いきれいな指がそっと目じりをなぞってくる。涙はもう長いキスと一緒に止まってしまった。


 見つめられると恥ずかしくて、自分が今どんな顔をしているのか全く想像できなくて俯いたのに、それを許さないようにすぐに顎が持ち上げられてまた唇を重ねられた。

 何度か角度を変えられて甘いくちづけが繰り返される。その甘さに脳内がぼんやりしだすのを必死の思いで振り切った。


「……も……やめて」やめて、という言葉に自分が傷ついた。

 自分が言ったのに勝手な話だ。


 でも、ここでも勘違いしたくない。もう傷つきたくないんだ。これ以上触れられたら望んでしまう。

 きっと、私から求めるほど、抱きしめて離れたくなくなってしまうから。



「優しくなんかしないで下さい……そんな風にキスなんか、しないでください」

 そういい彼の身体をグッと押しのけると、抱きしめられていた腕の力がフッと緩んだ。


「今のは忘れるので……久世さんも忘れてください」

「は?」


「だって……」

「だってなに?」


「なにってだって!」

「だからなに?」

 この人はいつも説明を求める。仕事じゃないんだから察してほしい。


「だって……久世さんは、上司で、ここは職場で。私は……ただの派遣社員で」

 それ以上言葉が続かなかった。言葉を飲み込んだのは久世さんが怒っているのがわかったからだ。


 何も言わなくても一瞬でピリッとした空気を出す。怒りのオーラ、そんなものが本当に出せる人。ビビるよりかは戸惑って、そこで言葉を飲み込んでしまったら、勢いをなくすともうなにも言えなくなった。


「はぁー」

 ため息をつかれて心臓が跳ね上がる。


「菱田さんって結婚してたっけ?」



(いきなりなんの質問?)



「してません……」

「彼氏は?」


「い、ません」

「じゃあ問題なくない?」



(問題ってなに?どういう意味?)



「遊ばれてるとか思ってるってこと?」

「遊び……というか」

「なに?」

 間髪言わずに、それもイラっとした感じで聞いてくるから言わないと逃がしてくれそうにない。


「慰めてくれただけじゃないんですか?」

「慰め?」

 繰り返されると切なくなる。自分で言ってて虚しさが込み上がってくるだけだ。



「その場の、流れみたいな。雰囲気?取り乱した私の熱を冷まさせようとって……まって!!さっきの……!」

「は?」

 ハッとして思わず彼の身体をすり抜けて乾燥機まで走りその扉を開けた。取り出したサンプルは乾きすぎていてヒビまで入っている。


 さっきのタイマー音、あれは誰でもない私がセットしたタイマーだ。誰だよ、止めたのは!そう思ったけれど、自分でまた突っ込む。誰が止めるじゃない、勝手に止まった、それを放置してただけだ。



(これはもう誰が見ても……)



「やり直しだな」

 頭上から冷静な言葉が降ってきて絶句した。


「二週間の努力が……」

 乾いたサンプルを手に肩を落とすとフッと笑われた。


「ねぇ、結構大事な話してたと思うけど」

 笑いを含んだ少し楽しそうな声、それだけで胸がキュッと締め付けられたが落ち込む気持ちも察してほしい。


「だって、今日やっとここまで……これやり直し三回目なんですよ?」

「知ってる」

「はぁ……またやり直し……」

 肩を落としていたらそのまま背後から抱きしめられて息が止まりそうになった。


「ほんと、仕事好きだな」



 好きだ……この仕事も、久世さんのことも。



 久世さんはいつでも仕事をする私を見てくれる。仕事をする私を受け入れてくれる。抱きしめられた腕にそっと触れたら、腕の力が強まった。



「あのさ、遊びや慰めであんなキスしないから」

 彼の唇が耳に触れて、「こっち向いて」と、身体を反転させられた。


「いちいち自分と派遣を結び付けて物事を決めつけるのはやめろ。そんなに派遣を切り離せないなら言うようにやめたらいい。それでもやめられないのはこの仕事が好きだからなんだろ?だから頑張ってきたんだろ?だったらそのまま受け入れて分析者としてもっと自信をもって仕事しろ。自分のしている仕事に今以上にプロ意識を持て。自分で派遣の線引きして勝手に諦めるな」


 向き合って真っ直ぐに見つめながらそう言われてまた目頭が熱くなる。


「自分のやりたい仕事だけをやりたいだけできるのなんか逆に派遣の特権だろ、もっと割り切って利用してやればいいんだよ。それくらい自分に強かになれ」


 逃げたくなるほど弱くなった心に強い言葉を投げつけてくる。

 その言葉は胸の中にどんどん落ちてきてやがて私の心をいっぱいに締め付け始める。



 もう止められない。

 胸から溢れるように気持ちが湧き上がって、止めることなんかできない。



 久世さんが好き。



 きっとずっと前からもう好きだった。その思いに素直になったら涙が勝手に零れ落ちた。



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