けっこうやりたい放題でした
長安に着いてからは、俺はもうやっぱりじっとしてなかった。それぞれ優れていると言われる師を訪れ、迷わず師事した。インドの僧で般若三蔵、それと生涯の師となった恵果和尚。この人にはもうどうにも頭が上がらなかったぜ。
「おまえさん、なんつったっけ?」
「空海にございます」
「ああそうそう、その空海さんが、おいらになに用だい?」
遣唐使の一員としてこの大陸の、この首都まで来てなに用はないもんだが、空海はさらにとぼけて答えた。
「いえちょっとそこまで来ましたので、ついでに仏法の真髄を持ち帰ろうかな、などと思いついちゃいまして」
これには恵果も笑っているしかなく、そうかついでか、とずっと腹を抱えていたそうだ。だが空海がすでに常人を超える修行を積んできたと見て取り、即座に弟子にしたという。以後半年にわたり密教の奥義を伝授され、ついに遍照金剛という特別の称号を受ける。
「ちょ、おまえさ、なんかとんでもないことになってんだけど!」
最澄もあわてて飛んできて、こりゃあたまげたとしきりにそう言って帰って行ったけど、結局何しに来たのかはいまも謎だ。
そういうわけで俺もやりたい放題やっているから、ちえも心配しないでそっちでおとなしくして、どこか実入りのいいやつのところにでも嫁に行け。
じゃあな。元気で。 空海、じゃなかった真魚より――
最後にそう書いて手紙を送ってやった。ちえが嫁だなんて、まあ似合わないが、存外いい嫁さんになるのかもしれないなあ。まあ嫁にもらったやつには気の毒するが。
それから三カ月、俺はちょっと悩んでいた。
さあてこれからどうするかだ。じつは滞在費がもうないのだ。いやーまいったなあ。あと先考えないで経典とか仏具とか買いまくっちゃったし、だから二十年の留学にと朝廷からもらった金はみんな二年で使っちゃった。けれど帰れないからってこの国で一生送るのもなんか嫌だからね。遣唐使のまとめ役の判官っていう役職の人に頼めばいいのかな?でも帰れんのかな?やっぱ朝廷から怒られちゃうかなあ。
長安の都のはずれにあった西明寺の一室で空海は頭を抱えていた。とは言ってももともとがそういう性格だから、もう帰国するって思ったらいてもたってもいられなくなった。しょうがない、唐の朝廷をだまくらかして帰りの切符を手に入れようっと。そう悪事を企んでいたら、空海の部屋の戸が勢いよくガラリと開けられた。
「まおっっ!」
何とそこには旅装束のちえが立っていた。
「げ、ちえ?な、なんでこんなところにいる?」
いやウソだろ?ここは長安だぞ。おいそれと来れるところじゃないんだぞ!しかも女の子がひとりでかよ。マジありえないんだけど!
「そりゃあんたに会いに来たんじゃない。あったりまえでしょ?そんなこともわかんないの?バカなの?ひとの親切わかんないの?」
いや絶対嫌がらせだ。手紙に嫁に行けって書いたからだ。絶対根に持ったぞこいつ。どうしよう。こいつの性格じゃまたずっとついてくるな。こりゃ修行どころの騒ぎじゃないぞ。女づれで修行なんてありえないし追放されるに決まってる。ここでそんなことが通るわけない。だったらどうする?これは逃げるしかない。いやちえからは逃げられない。そうなら話はひとつだ。
もう国外脱出しかない。唐から逃げよう!
大同元年(806年)10月、俺は日の本に帰って来た。え?ちえはどうしたかって?
俺は嫌がるちえの頭を剃り、袈裟を着せて変装させた。丸一日泣いていたが、次の日には面白がって買い物までしていた。そうして判官をだまくらかして帰国する船にもぐりこんでやった。もちろんちえは俺の弟子ってことにした。以後、ちえは俺の弟子を通し、生涯俺につきまとって…いや俺の弟子としてずっと俺にくっついていた。まあついに俺の十大弟子とまで言われちゃったが、女の子だっていうのはずっと秘密だ。
そうそう、俺が62歳でその生涯を終えたとき、ずっとそばに付き添っていたのが付法弟子といわれる実恵だった。まあ最後まで俺につきまとってくれちゃって、ありがとうな、ちえさん。
のちに空海は醍醐天皇から『弘法大師』の称号を贈られたが、それを奏上したのが東寺長者の観賢という高僧で、般若寺という寺も建立した。
般若寺と聞いて何か思い出さないだろうか?そう、空海が長安で最初に師事したインドの高僧の般若三蔵だ。梵語を学び密教を学ぶ基礎をそこで築いた。その恩は、その息子が返すのだ。
そう、観賢は真魚と実恵の子供だ。これは秘密だ。誰にも知られてはならない、歴史にも残してはいけない、絶対の秘密、なのだ。