11 勝者と敗者③
「…………」
それまでずっと黙っていた与人がようやく口を利いた。
「強いな。完敗だったよ」
第29ゲームは、与人のフォーカードをストレートフラッシュで破った澄香の勝利。また、この勝負に与人は全てのチップを賭けていた為、ドロー・ポーカー対決そのものも澄香の勝利で決着したのだった。
差し出された与人の手に、澄香も握手で応じる。
「いえ、沢村さんもなかなかの腕前で。最後まで気が抜けませんでした」
褒めているようにも聞こえるが、切子には社交辞令か皮肉としか思えなかった。上品な表情や口調に反して、澄香が与人に向ける目つきは遊び飽きたおもちゃを見るように冷ややかだったのだ。
「お嬢様」
そう澄香に声を掛けた付き人の手には、それぞれジュラルミンケースが携えられていた。
一つは、澄香が用意した5000万の入ったもの。そして、もう一つは、与人の用意した3800万の入ったものである。
「では、私はこれで」
帰り支度が整ったのを見て、澄香は何の未練もないように部屋を出て行く。
「ごきげんよう」
そうして、部屋には負けた与人たちだけが残されることになったのだった。
「…………」
再び、与人は黙り込んでしまう。
ただポーカーで負けただけではない。たった一度の敗北で、ようやく貯めた800万を失った上に、忍に対して3000万の借金まで背負うことになったのである。意気消沈するのも無理はないだろう。
与人が何も言わないから、切子も彼に掛ける言葉が見つからなかった。
だから、切子は話しかける代わりに、思い切り蹴りを入れていた。
「痛って」
ヤクザキックを喰らって、ようやく声を上げる与人。それから、訝しげに尋ねてきた。
「何だよ? 負けたこと怒ってるのか?」
そういう理由がないとは言わないが、それだけではなかった。勿論、ただの嗜虐癖というわけでもない。
「私はてっきり、忍が沢村君に化けているんだと思ったんだが……」
「そういうことか」
与人はどこか気もそぞろにそう答えた。
澄香の手札が分からなかったこと。切子が蹴っても変化が解けなかったこと。この二点から考えて、本当に与人自身が戦ったようだ。
そして、与人自身が戦った結果――
「……負けたのか?」
「ああ」
切子の質問に、与人ははっきりとそう認める。
それから、こうも付け加えた。
「ポーカーではな」
何を言いたいのか、切子にはよく分からなかった。
ポーカーでは負けた?
澄香とのゲームに負けて、与人は一体何に勝ったというのか?
その真意を問いただそうと、切子が口を開きかけた、その時だった。
唐突に、部屋の戸が開いた。
「お待たせしました!」
「おう、お疲れ」
笑顔で部屋に入ってきたコンに、与人も笑顔でそう声を掛ける。
また、闖入者は更に続いた。
「全く、心臓に悪い」と忍。
「本当に……」とタマ。
文句を垂れる二人に、与人は「悪い悪い」と苦笑しながら謝る。
何故与人はコンの憑依を解いていたのか。何故忍たちは今まで部屋に戻ってこなかったのか。切子には分からないことだらけだったが、それよりももっと不可解なことが一つあった。
コンがジュラルミンケースを二つ持って部屋に入ってきたことである。
似たようなものが多いとはいえ、細部のデザインから見ても、これは一つは与人が用意した分、もう一つは澄香が用意した分で間違いないだろう。何故澄香が持ち帰ったはずのこの二つを、コンが持っているのだろうか。
「……これは一体?」
状況に頭が追いつかない切子がそう尋ねる。
これに、与人は何の気なしに答えた。
「今回も、ヒントをくれたのはお嬢なんだけどな」
「?」
何か助言になるようなことを言っただろうか。「今回も」ということは、前回があったということになるはずだが……
「『狸の札』」
不思議がる切子に、与人は言った。
「古典落語の『狸』の一部として演じられることもある噺だ」
その言葉で、切子は思い出す。
あれはそう、与人とチョボイチで勝負した際に交わした会話だった。
〝助けた狸が恩返しに来るという筋の噺は色々あって、それらはまとめて『狸』などという題で演じられることがある。
たとえば、狸に茶釜に化けてもらってそれを売ったら、坊主に火に掛けられてしまった噺。鯉に化けてもらって差し入れにしたら、危うく食べられそうになってしまった噺。五円札に化けてもらって支払いに使ったら、逃げてくる時ついでに本物の五円札を盗んできた噺……〟
「あっ」




