3 狐の札③
「これが頼まれていた東条澄香についての資料です」
「ありがとう。助かるよ」
与人の礼に、「大半は吉田さんの仕事ですから」と忍は淡々とそう答えた。
澄香との勝負を目前に控えた頃、ようやく切子に依頼していた調査結果が出たらしい。忍が部屋まで資料を持ってきたのだった。
ただ、当人はその内容について懐疑的な様子である。
「しかし、相手の趣味や交通手段なんか知ってどうするんですか?」
「何が役に立つかなんて分からないもんさ」
「……もしかして、能力について推理する材料ってことですか?」
「そうなるのが一番いいんだけどな」
資料に目を通しながら、与人は飄然と言った。
憑き物使い同士の勝負になるということには、澄香も気づいているようだ。でなければ、わざわざ連れ合いを――憑き物を茶の湯の席に連れてくるように言ってこないだろう。
そして、その席では、澄香のそばに女が控えていた。状況から考えて、彼女が澄香の憑き物と見て間違いないはずである。
たれ目がちの瞳に、丸みを帯びた輪郭。ただ、もう幼さを感じる顔つきではなかった。
また体型も大人びた、スタイルのいい長身だった。人間の年齢で言えば、二十代くらいだろうか。
人間の自分には彼女が何者か分からなかったが、憑き物同士ならどうだろうか。そう考えて、与人はコンに話を振る。
「コンは会ってみて何か感じなかったか?」
「…………」
「コン?」
「えっ、いやー、ちょっと分からないですね」
早くも緊張でいっぱいいっぱいなのか、二度目の呼び掛けでコンはようやくそう答えた。
それから、逆にこちらに対して質問してくる。
「あの、菊池寛? がヒントだったりしませんかね?」
「さぁ、どうだったかな……」
澄香が引用した文章からも窺えるが、菊池寛は将棋や麻雀、競馬といった賭け事、勝負事の熱心な愛好家だったという。しかし、憑き物の正体を知る上でヒントになるようなエピソードがあっただろうか。
このやりとりを見て、タマが口を開いた。
「忍は何か知ってる?」
「そういえば、彼は確か『狐を斬る』という小説を書いていたはずですが」
忍の一言で、場の雰囲気が静まり返る。
「……偶然ですよね?」
「……偶然だろう」
こわばった顔で質問してくるコンに、与人も似たような表情で答えた。
と、そこで、切子が部屋に入ってくる。
そして、彼女は開口一番に言った。
「勝負の種目が決まった」
澄香の提案もあって、二人の勝負内容はくじ引きで決めることになっていた。「不平等のないように」とのことである。
もっとも、種目次第、憑き物次第では、逆に大きく不平等が生まれる可能性もあるが――
部屋にいる全員が固唾を呑む中、切子はそのくじ引きの結果を伝えた。
「ドロー・ポーカーだ」
それを聞いた瞬間、与人は一息つく。忍やタマも安堵したようだったし、切子も満足げだった。
そんな中、コンは一人だけ疑問符を浮かべていた。
「どろー? って何ですか?」
「前にクローズド・ポーカーのルールについてざっと教えたよな? あれの別名がドロー・ポーカーだよ」
ドロー・ポーカー(≒クローズド・ポーカー)とは、まず五枚の手札が配られ、それを任意の枚数だけ交換して役を作るポーカーのことである。これを特にファイブ・カード・ドローと言う。日本では主流のルールの為、単に「ポーカー」と言えばこのルールのものを指すことがほとんどである。
与人の説明に、コンは周りから遅れて目を輝かせる。
「ということは……」
「ああ、コンの力が活かせるな」
「おおっ」
コンは嬉しそうにそう声を上げた。
変化の術を使えば、カードの柄は自由自在。そうなれば、当然役を作るのが簡単になる。相手がよほどポーカーに適した能力でもない限り、これはひっくり返しがたいアドバンテージだろう。
狐の札を使えば、この勝負も勝てる。与人はそう確信していた。
◇◇◇
「ドロー・ポーカーですか……」
付き人から報告を受けた澄香は、彼の言葉をそう繰り返していた。
与人たちがくじ引きの結果を喜んだのとほぼ同時刻、客間でもその話題が俎上に上がっていたのである。
はっきりと表情に出したわけではないが、それでも澄香が何を考えているかは明らかだった。
だから、女は――澄香の憑き物は言った。
「残念だったね」
そのあとで、女は確認の意味で尋ねる。
「もっと苦戦しそうなギャンブルの方が良かったんだろう?」
「そうですね」
あっさりと澄香はそう頷く。勝って当然という口ぶりである。
しかも、その上、こんなことまで口にしていた。
「ですが、ハンデとして、いくつかヒントを差し上げましたから」
今日もきっと何千万という勝負になるだろう。いくら名家の娘でもまだ高校生である。負けて一切懐が痛まないわけというわけではない。にもかかわらず、澄香は「精神的緊張を味はうとする」為に、負けの可能性を求めているのだ。
「……前々から思ってたけど、アンタってやっぱりマゾの気があるのかい?」
「そんなはしたない言葉を使わないでください」
令嬢らしく、澄香は上品に女の発言をたしなめる。
「興奮しますよ?」
「完全にマゾじゃないかい」
裏賭博に熱中していることといい、容姿や物腰とギャップがあり過ぎるだろう。女は呆れてしまう。
「しかし、いくらヒントをあげたっていっても、向こうが気付くかねぇ」
女はまたそんな疑問を持つ。お茶の席での二人の様子を見る限り、澄香の考え通りにいくとは思えなかった。
「あの坊やの方はともかく、狐ってアホだからねぇ」
これを聞いて、澄香が言った。
「そういえば、あなたの地元には狐がいないんでしたね」
「そうそう。私たちが散々やり込めたからね」
女の一族は、先祖代々狐を退けて縄張りを維持し続けてきた。女の代でもそれは変わらず、むしろ縄張りを拡大しようかという勢いだったくらいである。
そして、そこに現れたのが澄香だった。
澄香も当時のことを思い出したようだ。いいことを思いついたように、「そうだ」と声を上げる。
「どうせなら、私たちも賭けをしましょうか。内容は『いつになったら彼らがあなたの正体に気づくか』でいかがです?」
「そうだね……」
そう相槌を打って、女はいつ頃に賭けるべきか考え始める。勝負の開始前に気づくか、それとも終了しても気づかないか。勝負の最中に気づくとしたら、何ゲーム目になるだろうか……
しかし、思案の末に、女は結局首を振っていた。
「いや、やっぱりやめとくよ」
女は賞賛と諦念を込めて言う。
「どうせ、アンタには敵いっこないからね」




