2 勝負の前に②
「お嬢、今度暇な時はないか?」
夜、自室を突然訪れた与人に驚いた様子の切子だったが、この質問にはもっと驚いたようだった。
「何だい、藪から棒に」
そう言って、彼女は怪訝な顔をする。
しかし、次の瞬間には挑発するような笑みを浮かべていた。
「デートの申し込みかな?」
「まぁ、そんなとこだ」
ふざけていると思われたのか、何か裏があると思われたのか。この返答に、切子は怒るとも呆れるとも訝しむともつかない、複雑微妙な表情を浮かべる。
だから、与人は言った。
「ほら、前に一緒に寄席に行こうって話をしただろ?」
以前、チョボイチで勝負した時に、落語の『狸賽』が話題に上がった。その流れで、切子がそう誘ってきたのである。
与人の説明でようやく思い出したらしい。切子は「ああ」と声を上げていた。
「君、あの時は断ったじゃないか」
「俺は考えとくって言っただけだ」
「それは普通断る時の言い方だろう」
切子は呆れ顔をする。
実際、あの時は断るつもりだった。ただ、あれから色々あって、与人も思い直したのである。
「それで、結局どうなんだ?」
「まぁ、君がどうしてもと言うのならいいだろう」
渋々という風にそう答えると、切子は手帳を開く。
「一体、いつがいい?」
「できたら、なるべく早い方がいいな。明日とか」
「それはまた随分急だね」
与人の返答に、切子は眉根を寄せる。都合が合わないのだろうか。それとも、チケットは予約制だったりするのだろうか。
「ダメか?」
「いや、構わないよ。それじゃあ、明日学校が終わったあとでいいね?」
「ああ」
そう与人は頷く。寄席に行ったことはないから、細かいことは切子に任せておいた方がいいだろう。
しかし、それで打ち合わせは終わりではなかった。
「終わるのは九時頃になると思うから、ついでにどこかで食べていこうか。何がいい?」
「そうだなぁ……」
少し考えてから、与人はこう答えた。
「落語繋がりで和食はどうだ? 天ぷらとか」
「そうか。それじゃあ、夕食は中華にしよう」
「嫌がらせの為に質問するな」
与人は渋い顔をする。どうしてこう性格が悪いのだろうか。
だが、切子の性格の悪さはそれだけに留まらなかった。彼女は皮肉げに続ける。
「しかし、君、勝負を控えているというのに随分余裕だね」
「いや、だからだよ」
「?」
不思議がる切子に、与人は言った。
「どうもコンの奴が緊張してるみたいだからな。そろそろ息抜きが必要かと思って」
相手が憑き物使いだということは分かっているが、その能力までは分からない。そのせいで、相手がどんなイカサマをしてくるのか、コンは気が気でないようだった。だから、何か気晴らしをと考えて、それでちょうど落語が思い当たったのである。
「……ああ、なるほど。そういうことか」
与人の説明を聞いて、切子は歯切れ悪くそう答える。言葉のわりに、あまり納得しているようには見えなかった。
「別にコンが一緒でもいいだろ?」
「私は構わないんだが……」
相変わらず、切子は歯切れ悪く続ける。
「ただ、落語には化け狐が痛い目に遭う噺もあるからね」
「あー……」
◇◇◇
「落語、楽しみですね」
「そうだな」
コンの言葉に、与人はそう頷いた。
翌日、学校から一度屋敷に戻ってきた与人は、コンと一緒に外出の準備を整えていたのである。
「与人様は、落語を観たことがありますか?」
「いや、本格的な寄席はこれが始めてだな。『寿限無』とか『目黒のさんま』とか、有名なネタなら速記本でいくつか読んだけど」
「与人様、よく読書されてますもんね」
「よくってほどでもないけどな」
そんな話をしながら、二人は玄関を出る。
屋敷の前には、既に黒塗りの高級車が待機していた。そのそばには、もう切子もいる。更に――
「斎藤も連れていくのか?」
「勝手についてきたんだよ」
与人の質問にそう答えながら、切子は横目に忍を睨む。
「あれだけ何度も来るなと言ったのに」
「お嬢の命令でも、こればかりは聞けません」
忍ははっきりとそう宣言する。
その様子が、与人には意外だった。
「へー、斎藤でもお嬢の言うことを無視したりするんだな」
「自分も心苦しいですが、お嬢の身の安全を守る為には致し方ないことです」
「ああ、なるほど。ボディガードってことか」
「はい」
そう頷いたかと思うと、忍は次の瞬間こちらに腕を伸ばしてくる。その手には、例の服の袖に仕込んだ拳銃が握られていた。
「妙な真似はしないでくださいよ」
「何で真っ先に俺を警戒するんだよ」
両手を挙げながら、与人は恐怖で青い顔をする。
反対に、忍は怒りで赤い顔をしていた。
「だって、今日はデートなんでしょう?」
「いや、あれはただの冗談というか……」
「冗談でお嬢をデートに誘ったんですか!」
「そういう意味じゃなくてだな」
ますます赤くなる忍の様子を見て、与人はますます青くなる。忍の忠誠心なら、本当に発砲しかねないから恐ろしい。
一方、コンはコンで顔を赤くしていた。それも怒りではなく興奮で。
「も、もしかして、私お邪魔ですか?」
「そんなことないから」
「いっ、一度にこの人数を相手に!?」
「何でそうなるんだよ」
拳銃を突きつけられている人間を前に、一体何を想像しているのだろう。真っ赤な顔をするコンに、与人は呆れてしまう。照れくささもあって、コンの気晴らしが目的だということは本人には伏せていたが、それは間違いだったかもしれない。
結局、場を収めたのは切子だった。もっとも、彼女はこの状況を愉しんでいたようだが。
「忍、もうそのへんでいいだろう」
「……警告はしましたからね」
切子が笑いをこらえながら命令すると、忍はようやく銃を下ろす。しかし、明らかに「何かあったら撃つ」という意味なので、与人はちっとも安心できなかった。
(ちょっとは仲良くなれたと思ったんだけどなぁ……)
与人は麻雀で勝負したあとのことを思い出す。一度は握手まで交わした仲のはずなのだが……
そんな与人に対して、「それから」と忍は更に注文をつけてきた。
「自分のことは忍でいいですよ」
「あ、ああ」
驚きながら「俺も与人でいいよ」と続けると、忍は「はい」と頷くのだった。
「ところで、タマさんはいないんですか?」
「憑依中なんだろ」
コンの質問に、与人はそう答える。それから、早速彼女の名前を呼んだ。
「な、忍?」
「ええ」
忍は自分の目を指しながら、コンに説明した。
「目借で周囲の人間の視線を確認すれば、お嬢の身の安全を守りやすいので」
「あ、そういうことですか」
そんな二人のやりとりを聞いて、今度は与人が質問する。まさか自分を警戒する為だけに能力を使ったりはしないだろう。
「やっぱり、いろいろ危険なのか?」
しかし、この質問に切子は首を振っていた。
「忍が真面目過ぎるだけだよ。今時は警察の締めつけが厳しいから、グレーゾーンならともかく、明らかな不法行為はなかなか手を出し辛いんだ。うちの組なんて、フロント企業のカジノやパチンコ、ソーシャルゲームなんかの運営が、収入のメインになってきてるくらいだしね」
「へー」
「だから、ドンパチなんかたまにしか起きないよ」
「たまには起こるのかよ」
一応とはいえ、京極組に属している以上、巻き込まれないとは言い切れない。与人は呆れ顔でツッコんでいた。
だが、コンの反応はそれ以上だった。切子の話を聞いて、顔から血の気が引いていたのだ。
(これ、息抜きになるんだろうか……)
与人は思わずそう心配するのだった。




