3 狐の礼③
「スリーカード」と山口。
「フラッシュ」と与人。
悪くない役だけに、勝利を期待していたらしい。手札を見せ合ったあと、山口は「あー、負けた負けた」と悔しそうにわめく。
それどころか、こちらに言いがかりまでつけてきた。
「お前、イカサマしてないだろうな?」
「してねーよ。失礼だな」
冗談交じりとはいえ、聞き流せない発言である。与人はそうはっきりと否定した。
しかし、山口も簡単には引き下がらない。
「でも、やろうと思えばできるんだろ?」
「そりゃあ、できるけど」
「できるのかよ」
本気でそう思っていたわけではないらしい。山口は驚き半分呆れ半分という様子だった。
「いや、相手がイカサマしてきた時対抗できるように、ちょっと覚えただけだよ」
「ああ、そういうことか」
与人の弁解を聞いて、山口もやっと納得したようだった。
放課後、山口とポーカーなどで遊び、彼と別れたあとは自習をして、それからアパートへ帰る。この日も、与人はそんな毎日の習慣通りに一日を過ごしていた。
そして、毎日の習慣といえば――
(今日もか……)
帰宅後、玄関前に食材があるのを発見して、与人は複雑な気分になる。
玄関前に、毎日食材を置いていくコン。
一方、その中にコンが紛れ込んでいないか、毎日確かめる与人。
そんな奇妙な習慣が始まって、実にもう一週間以上が経過していたのだった。
(食費が浮くのは助かるんだけど……)
沢村家は決して裕福とは言えない。というより、明らかに貧困層の側で、与人が恒正学院を選んだのも、伝統ある進学校ゆえに奨学金の給付を受ける上で有利だった為である。だから、コンの差し入れは、正直なところ非常にありがたかった。
しかし、裏を返せば、それはコンに負担を掛けているということだろう。それを思うと、与人は単純に喜ぶこともできないのだった。
(一体、いつになったら帰るんだ、あいつ……)
これまで受け取った食材を思い出しながら、与人は頭の中で計算を始める。ピーマン一袋98円、キャベツ一玉148円、トマト一パック259円…… 合計すればもう自分の払った治療費分くらいにはなったのではないか。これ以上お礼を受け取るのは、さすがに気が引ける。
そんなことを考えながら、与人はもう確かめもせずに食材を部屋に持ち込むのだった。
◇◇◇
その翌日――
そろそろ気が済んで、コンの恩返しも終わるのではないか。そんな与人の期待とは裏腹に、今日も玄関前に食材が用意されていた。
与人はドアノブに掛けられたビニール袋を外す。今日はゴボウやジャガイモなど、根菜が中心だった。
そうして中身を確認し終わると――
与人は今日になって、また食材を地面に叩きつける習慣を再開していた。
「えっ? なっ、何で?」
予想した通り、変化が解けてコンが姿を現す。その顔には不思議がるような動揺するような表情が浮かんでいた。
それを見て、与人は説明してやる。
「食材はやめて鳥か何かに化けて、ひとまず俺の様子をただ見張る。で、コンが食材に化けるのをやめたと思った俺がチェックをサボるようになったら、また食材に紛れ込む。お前の作戦はおおかたこんなところだろ?」
正解らしい。コンはこくこくと無言で頷く。
だから、与人は続けて種明かしをした。
「言っとくけど、昨日チェックしなかったのは、それを見越した上での行動だからな」
「な、何て姑息な……」
「それ、どっちかって言うと俺の台詞だろ」
非難がましいコンの言い草に、与人は呆れながらそう言い返した。
それから今日も、お礼はもう十分だということを伝える。
「お前、家遠いはずだろ? あんまり長いこと帰らないと、親御さんが心配するんじゃないか?」
上京前に大阪で出会ったこと。事故に遭った際、そばに親狐がいたこと。それらを踏まえて、与人はそう諭す。
これが存外効果的だったようである。
「はぁ……」
コンは反省したように、弱々しくそう答えた。
◇◇◇
更にその翌日。学校から帰ってきた与人は眉間に深い皺を作る。
というのも、今日もまた玄関前に食材が置かれていたからである。
(あいつは全く……)
昨日の反省したような素振りは何だったのか。与人は苛立ちを覚える。
それから、いつもの日課で食材が何かを改める。今日は原点回帰で、葉っぱの上に、キノコや山菜が並べられていた。
しかし、ただそれだけでもないようだ。
「ん?」
与人は食材の脇に、折り畳まれた紙が添えてあるのを発見する。手紙か何かだろうか。
(長い……)
畳まれた紙を広げながら、与人はそう呆れてしまう。一体、何をそんなに書くことがあるのだろうか。
読んでみると、やはりそれは与人に宛てた手紙だった。
手紙には丁寧な字で、まず事故から助けてくれたことに関するお礼の言葉がくどくどと繰り返されていた。それに続いて、帰れと言われたのを何度も無視したことに対しての謝罪の言葉が、これまたくどくどと並べ立ててある。
そして、最後にまた長々とした文章で、これで帰るという旨のことが書かれていたのだった。
(そうか。帰ったか……)
自分には恩返しを受けるほどの理由がないし、コンには故郷で家族が待っている。こうなるのがお互いに一番のはずだ。そう考えて、与人は安堵する。
だが、一応確かめないわけにはいかないだろう。
与人は読み終えた手紙を地面に叩きつける。
しかし、手紙がコンに変わるようなことはなかった。
(荒んでんのかな、俺……)
与人は慌てて手紙を拾うと、ついた汚れをすぐに払うのだった。
◇◇◇
「そういえば」
放課後、ポーカーで勝負している最中のことだった。ふと思い出したように、山口はそう話を切り出した。
「前に人間関係の悩みがどうとか言ってたけど、あれは結局どうなったんだ?」
「ああ。それなら、もう解決したっぽい」
与人は昨日もらった手紙を思い浮かべる。あの内容が真実なら、コンは故郷へと帰ったはずである。もうお礼を押しつけてくるようなことはしないだろう。
しかし、これを聞いた山口は、何故か含みのある相槌を打つのだった。
「ふーん……」
「何だよ?」
「いや、解決したってわりには、あんまり嬉しくなさそうだなと思って」
「…………」
山口の言葉に不意を突かれて、与人は思わず黙り込んでしまった。
それから、与人は「別にそんなことはないよ」と文字通りポーカーフェイスで答える。そう、嬉しくないはずがない。山口が勘違いしているだけだろう。
その山口は自信満々に手を開いた。
「フラッシュ」
一方、与人はこれに淡々と答える。
「フルハウス」
「げぇっ!?」
今日こそ勝てると思っていたのだろう。山口は驚きのあまりそう叫ぶ。先程勘違いから妙なことを言われたので、与人はこの結果に溜飲を下げたのだった。
こうして今日も山口とポーカーで遊び、彼と別れたあとは自習をして、それから与人は帰宅の途につく。
そして、アパートに帰ってきた与人は、手紙の内容が事実だったとようやく確信するのだった。
(本当に帰ったんだな……)
玄関の前には、もういつものように食材が置かれているようなことはなかった。
「…………」
何もないはずの地面を、与人はしばらくじっと見つめる。
コンが帰ったのを寂しく思っているわけではない。
ただ、置かれた食材を確かめるのは、もう帰宅後の習慣と化していた。だから、玄関前を何もせずに素通りすることに違和感があったのだ。
そうして、与人はやっと自分の部屋に上がる。続いて、帰宅後のもう一つの習慣を行った。
「ただいま」
居間に飾った両親の写真に、与人はそう声を掛けた。
その直後だった。
インターホンの音が部屋に鳴り響く。
(まさか……)
コンだろうか。まだ帰っていなかったのか。
そう文句を言ってやろうと、与人は急いで玄関に向かう。
しかし、ドアを開けた与人は、そこに立っていた人物を見て目を丸くしていた。
「母さん!」