10 恩返し
「ツモ」
互いに一勝ずつして迎えた三回戦。その東一局は、与人の和了からスタートした。
「リーチ、ツモ、チートイツ。1600・3200」
与人が伏せた手牌を表にする。すると、宣言通りの役ができていた。
これを見て、忍は尋ねる。
「牌を確かめても?」
「どうぞ」
与人は軽い調子でそう答えた。
手牌を確認されることは当然想定していたようだ。触れてみても、叩いてみても、何も起こらない。与人は変化を使わずに和了ったのだ。
もちろん、忍もそれは折り込み済みで取った行動だった。手牌の確認は、変化の使用を疑っているというよりも、今後も使用させない為の牽制が目的だったのである。
確かに、盲牌とルール変更によって目借は封じられた。だが、手牌さえ確かめれば、相手の変化も封じることができる。
(こうして相手の手牌を確認する限り、ヒラ打ちと変わらない……)
そして、ヒラ打ちなら、遅れを取るつもりはない。忍はそう自負していた。
が、続く東二局。
「ロン」
「――――っ!」
与人の2600点の手に、忍は振り込んでしまった。これで二人の点差は、1万4800点まで開くことになる。
忍は今回も与人の手牌を確認するが、やはり変化が使われている様子はなかった。
しかし、それにもかかわらず、与人は二連続で和了っているのである。その意味するところは一つだろう。
『ヒラで打っても強いね……』
『…………』
タマの感想に、忍は答えない。
この時、忍の脳裏では、不意に過去の記憶が蘇っていた。
◇◇◇
「今日は遅くなるかもしれないから」
忍が十一歳の時、シングルマザーの母はそう言い残して出て行ったきり、二度と帰ってこなかった。
元々、母は忍の存在を周囲に隠すようにして育てていた。出生届も出しておらず、学校にも通わせていない。詳細は分からないが、忍は一度も父親の顔を見たことがなかったから、そのあたりに原因があることは想像に難くなかった。
捨てたとはいえ、それでも最低限の情はあったらしい。差出人不明の封筒で、毎月少々の生活費がアパートに送られてきた。再婚するなり、愛人になるなりを考えた時に、育ち過ぎた自分のことが邪魔だったのだろうかと、忍はぼんやりそう推測していた。
学校に通う代わりに、買い与えられた教材で自宅学習していた忍だが、外出を咎める母はもういない。だから、平日の昼間から外で遊ぶようになる。
そんなことを繰り返している内に、同年代の人間と顔見知りになって、だんだんと親しくなっていった。平日の昼間から街にいるようなのだから、知り合うのは素行の悪い連中ばかりである。しかし、それまでろくに友達のいなかった忍にとっては、彼、彼女たちと行動を共にするのは非常に新鮮で刺激的な体験だった。
自分たちも訳ありなせいか、彼らは概して仲間内には親切だった。忍が親から送られてくるはずの生活費が滞っていることを相談した時も、カンパは勿論、色々と金を稼ぐ方法を教えてくれたくらいである。
そして、その中の一つに忍は目をつけた。
(ギャンブル……)
当然、年齢制限のある正規のカジノではない。一般人同士で賭けた金をやりとりするような、違法な賭場である。
学校には通っていなかったが、頭は悪くなかったから、ギャンブルで勝つのはそう難しいことではなかった。確実に勝つ為にイカサマも覚えた。母からの生活費はいつしか完全に途絶えていたが大きな問題はなく、自分は将来ギャンブルで食べていくのかと馬鹿な想像までしていたほどである。
しかし、所詮は子供の身に着けたイカサマである。ある時、不自然な連勝をして警戒されているのに気づかず仕掛けたところ、ついには見抜かれてしまった。
これが大人の男だったら、問答無用で袋叩きにされていただろう。しかし、まだ年端もいかない忍が相手ではそうもいかなかったようだ。客から半ば処分を押しつけられた店員に至っては、忍の詳しい家庭環境を聞いて明らかに戸惑っていたくらいである。
そこに彼女がやってきた。
「お嬢!」
ノックもせずに控え室に入ってきた少女に対して、店員はそれを咎めるどころか、何故か「お疲れさまです」と深々と頭を下げていた。
「うちの賭場でイカサマしたっていうのはお前か」
少女が言った。同年代とは思えない迫力だった。
元締めの娘。忍はそう直感した。一体、サマ師にどんな罰を下す気でいるのだろうか。
しかし、彼女の口から飛び出したのは意外な提案だった。
「勝ってみろ」
彼女は控え室に置かれた卓を示す。それは忍のイカサマがバレる原因となったゲームだった。
「麻雀で勝負だ。もし私に勝てたら、その時は無罪放免で……いや、それどころか金を持たせて帰してやろう」
少女は「構わないよな?」「は、はい」と半ば強引に店員を説き伏せる。忍には元より選択権はない。
それで、忍と少女の麻雀対決となった。
半荘一回勝負。一対一の勝負を行う為に――店員たちがわざと少女に振り込むようなことを禁じる為に、忍と少女以外の二人はツモ切りのみ。そんな変則ルールで対局は始まった。
彼女は何故こんな勝負を持ちかけてきたのか。境遇に同情して、わざと負けてくれるつもりなのだろうか。
そんな忍の甘い考えは、東一局で消し飛んでいた。
序盤から次々に和了を連発して、あっという間に引き離しにかかる少女。半荘一回なら運の要素が大きいと言ってしまえばそれまでだが、彼女の不遜な態度は「これが実力の差だ」と、そう主張しているかのようだった。
忍も必死に喰らいつくが、それでも逆転には至らず。勝負は終盤、南三局に入る。
その直後のことだった。
「緊張し過ぎだな」
「っ!?」
忍はいつの間にか少女に腕を掴まれていた。
そして、その手から、握り込んでいた牌がこぼれ落ちる。
「すり替えの腕自体は大したものだが、それじゃあ今からイカサマしますと宣言しているようなものだ」
忍がやろうとしたイカサマは、あらかじめ服などに隠し持っていた牌を手牌と交換する、『すり替え』だった。「まさか先程バレたばかりのイカサマはしないだろう」という考えの裏をかいたつもりだったのだが、少女には通用しなかったらしい。
握り込んでいた牌と手牌の枚数を合わせれば、明らかに十三枚を越えている。すり替えを仕掛けたことは言い逃れのしようがないだろう。
万事休すかと、忍は表情を固くする。
それに対し、少女は不敵に笑った。
「だが、その度胸は気に入った」
そう言うと、何の迷いも躊躇もなく続ける。
「行くところがないんだろう? 私のところに来いよ」
それからは、忍自身も訳の分からない内にそういうことになった。
屋敷の一室を貸して生活環境を整えてくれたことから始まり、種々の手続きも行ってくれた為、ようやく学校に通えるようになった。おかげで、忍は生来ずっと縁のなかった、平凡な生活を送るようになる。
そんな、とある日のことだった。
「この前のお礼に来ました」
初対面のはずの来客の発言に、忍は怪訝な顔をする。
「この前の?」
「いじめられていたところを、助けてくれたでしょう?」
そう言われても、忍には何のことだか分からない。しかし、来客はますます理解不能な話を続けていた。
「私はあの時の蛙です」
「…………?」
自称蛙こと、御多賀タマの語ったところは以下のようなものだった。
子供たちが悪戯心を起こして、池の蛙――タマのことだ――に目がけて石を投げる遊びを始めた。ぶつけられる前に逃げればいいだけなのだが、タマは体がすくんでしまってそれ以上動けない。
そこに現れたのが忍だった。
生き物をいじめるのは良くないというようなことを説いて、忍は子供たちを諭す。子供たちも注意を無視するほどの悪ガキではなかったようで、これを素直に聞き入れたのだった。
そして、話の最後にタマはこう結んだ。
「だから、恩返しがしたくて」
「恩返し……」
その言葉に、忍は真っ先に自分を救ってくれた少女のことを――切子のことを思い浮かべていた。
「それなら、自分も同じです」
忍が京極組の代打ちを務めるようになったのは、その日からのことだった。
◇◇◇
東四局、この局も与人の和了で終わった。
「ツモ」
「…………」
これにより、二人の点差は更に2万1600点まで広がった。しかし、それを嘆くでもなく、忍は淡々と与人の手牌を確かめる。
(こうして相手の手牌を確認する限り、ヒラ打ちと変わらない……)
続く、南一局。点差は広がる一方、局数は少なくなって、徐々に追い詰められてきた感があるが、忍は気持ちを切らさずに打つ。
(そして、ヒラ打ちなら、遅れを取るつもりはない!)
代打ちの仕事を始めてから、既に二年近くが経っている。それだけ続けていれば、時には目借が使えない状況で勝負をしなければならないこともあった。
しかし、それでも京極組のエースは自分だった。
「ロン!」
与人の捨てた牌に対し、忍が和了を宣言する。
「タンヤオ、トイトイ、三暗刻。1万2000点です!」
これで与人の得点は2万8400点、一方の忍は3万800点。親満(親の満貫)の大物手の直撃で、一気に順位が入れ替わった。
そして、この和了は同時に、反撃の狼煙でもあった。
「ツモ!」
南場からは忍の優勢が続き、南四局までに与人は3万8200点、忍は4万2500点。わずかにだが忍がリードを広げた状態で、三回勝負の最後の局を迎えたのだった。




