1 与人とコン
「…………」
与人とコンは何も言わずに、ただ青い顔で正座する。
その眼前では、切子が仁王立ちしていた。
「…………」
こちらも何も言わずに、ただ睥睨するような視線を向けてくる。
切子が「詳しいことは君の部屋でゆっくり話そうじゃないか」と言うので部屋に上げたのだが、それきり彼女はずっとこの調子だった。肉体的には何もされていないのだが、精神的には嬲られているような気分である。
「あの……」
切子の無言の重圧に耐えかねて、与人が先に口を開いた。
「マジですみませんでした」
そう言って、土下座して謝罪する。
小指、簀巻き、コンクリ…… 脳内をよぎる不穏な言葉の数々に、与人は慌ててこうも付け加える。
「コンは俺が巻き込んだだけなんだ。頼むから、こいつだけは勘弁してやってくれないか」
「ええっ!?」
驚きの声を上げるコン。こちらも慌てた様子で主張する。
「ち、違います。私が与人様を唆したんです。だから、罰なら私が受けます」
そこからは、二人による言い争いのような形になった。
「いや、俺が悪いんだよ」
「いいえ、私が悪いんです」
「俺だって」
「私ですよ」
「俺が」
「私が」
そんな風に、与人とコンは必死になってお互いを庇い合う。
すると、この光景を見た切子は――
「二人とも落ち着きなよ」
そう言いながら、ドスを抜いていた。
刃物を見せられて落ち着けるわけがない。しかし、二人はぴたりと口を噤んでいた。これ以上怒らせたら、次に見るのは血かもしれないのだ。
だが、予想に反して、切子は冷静な口調で話を続けた。
「何か勘違いしているようだけど、私は君たちをどうこうしようと思っているわけじゃない」
それを証明するように、彼女はドスを鞘に収める。
「結果は結果だ。イカサマがあったとはいえ、負けたのは私だよ」
口調も予想外なら、その内容も予想外である。与人は思わず聞き返していた。
「本当か?」
「裏の賭博にイカサマはつきものじゃないか。私だって、君がイカサマを仕掛けてくるのを承知の上で勝負に参加したわけだしね。だから、あの場で見抜けなかった私がマヌケだっただけの話だ」
自嘲的にそう笑うと、切子は更に説明を加えた。
「盗聴器まで仕掛けたのは、単に真相を知りたかっただけだよ」
「そうだったのか……」
与人はホッと胸をなでおろす。それならそうと早く言って欲しかったが、ここで切子の機嫌を損ねては元の木阿弥なので黙っておくことにする。
「ま、お詫びをしてくれるというのならちょうどいい」
そう前置きして、切子はコンに視線を移す。
「せっかくだから、件の変化の術とやらを見せてもらおうか」
「はっ、はい。それくらいなら、お安い御用です」
言われるがまま、コンは大急ぎで立ち上がった。
◇◇◇
「――と、こんな感じです」
以前与人にそうしたように、コンは切子に対しても実演を交えながら変化について説明した。
これを見て、切子は興味深げに言う。
「なるほどね。これは騙されるわけだ」
(嫌味なのか、そうでないのか……)
与人は顔を顰める。イカサマの件については許されたはずだが、罪悪感のせいか、切子の普段の態度のせいか、未だに彼女の一挙一動に怯えてしまう。
そうして説明を聞き終えた切子は、再びコンに命令する。
「もう一度、沢村君になってもらえるかな」
「は、はい」
びくつきながら与人の姿に変化するコン。これに、切子は続けて命じる。
「それじゃあ次は、その姿のまま〝お嬢、お前のことが好きだ!〟と叫んでくれ」
照れるでも、恥らうでもなく、彼女は堂々とそう言ってのけた。
「……何考えてんだ、お前?」
不審がって、与人は思わず口を挟んでいた。本当に、一体何を考えているのだろう。
一方、切子は堂々とした態度をまるで崩さなかった。与人の質問に対し、携帯電話を構えながら答える。
「何って、これを撮影して動画をばら撒けば、君が学校中の笑い者になるかなと思って」
「ドS!」
「冗談だよ」
そうは聞こえないから恐ろしい。切子の返答に、与人は渋い顔をする。
コンも同じような心境のようだ。結局どうしたらいいのか分からず、二人の顔色をおろおろと窺っていた。
「コン、もういいぞ」
与人がそう声を掛けると、コンは「はぁ……」と迷ったように頷く。それで、ようやく変化を解いて、いつもの姿に戻った。
こんな子供なら、周りが冗談で言ったことでも本気にしかねないとは考えなかったのだろうか。与人の中で、切子に対する不満が募る。
「あんまり変なことさせるなよな」
「イカサマに使った君に言われる筋合いはないね」
「ごもっとも」
ぐうの音も出ないとはこういうことだろう。与人はそう答えるしかなかった。
ただ、切子は単純に非難するつもりで言ったわけではないらしい。
「しかし、実際こんな素晴らしい力を、学生同士のケチなギャンブルで使うのは宝の持ち腐れじゃないか?」
大体予想はつくが、与人はとぼけて聞いてみる。
「……何の話だ?」
「もっと大きな金の動く、裏のギャンブルを紹介しようかと言ってるんだ」
金や利権を賭けて行われる、ヤクザ同士の裏賭博。その勝負を委託される、いわゆる「代打ち」はしばし取り沙汰されるから、与人にも予想はできた。もっとも、イカサマを非難するどころか、推奨してくる切子には戸惑わざるを得なかったが。
そんなことにはお構いなしに、彼女は具体的な話を始める。
「仲介料は稼いだ額の三割……いや、四割だな。君たちのコンビならほぼ負けなしだろうから、これくらいは安いものだろう」
切子はそうやって自分の利益の話をしたあと、忘れずに与人の利益にも触れる。
「これは君にとっても決して悪い提案ではないはずだよ。親がいないんだ。生活は決して楽ってわけじゃないだろう? ん?」
目の端で両親の写真を捉えながら、彼女はそう言った。
そうして楽園の蛇のように甘言を弄しながら、切子は呼びかけてくる。
「どうだ? 私と組まないか?」




