2 与人とコン②
「どうだ? 私と組まないか?」
邪悪な笑みと共に、切子がそう尋ねてくる。
確かに、苦学生の与人には魅力的な話だった。金さえあれば、特待生・奨学生待遇を維持する為の勉強時間を減らせる。金さえあれば、娯楽品や嗜好品を今より自由に買えるようになる。もっと普通の学生のような生活を送れるのだ。
いや、ヤクザの取り仕切るような裏の賭博である。多少の危険はあるかもしれないが、上手くいけば一生を買えるような金が手に入るのではないか。
それは、あるいは正業についたのでは絶対に手に入らないような莫大な額かもしれない。
だから、この質問に対する与人の答えは決まっていた。
「断る」
返答を聞いて、切子は「ほう」と曖昧な感情のこもった相槌を打つ。
拒否した理由も、即答した理由も単純なことだった。
「命あっての物種だろ」
そう説明しながら、与人はチョボイチ勝負での出来事を思い返していた。あの時、切子がドスを振り下ろした先が、もしサイコロではなく壺だったとしたら――
「今日だって、一歩間違えたらコンが死んでたかもしれない。そんな危険を冒してまで金なんか欲しくないよ」
「与人様……」
感極まったように、コンは潤んだ瞳で与人を見つめた。
「……そこまで言うのなら、とりあえず今日はお暇しよう」
二人のやりとりをどこか不満そうな顔つきで見ていた切子だが、最終的にはそういう結論を出していた。
しかし、まだ諦めたわけではないようだ。
「気が変わったらいつでも連絡してくれ」
そう言って、切子は有無を言わさずに名刺を渡してくる。不要だからと突き返そうとしたのだが、与人が追いかけるより早く彼女は部屋を出ていってしまった。
(気が変わったら、ねぇ……)
玄関から居間へと戻る最中、与人は改めて名刺の文字に目を落とす。我ながら、そんなことになるとはとても思えないが……
「あの……」
戻ってきた与人に、コンはおずおずと声を掛けた。
「本当によろしかったんですか?」
「人間、分相応ってものがあるだろ。俺は今の生活で十分だよ」
そう答えたが、それでは不服のようだ。コンは申し訳なさそうに続ける。
「お気持ちは嬉しかったですけど、私のことなら気を遣っていただかなくても……」
その健気な態度に与人は微笑むと、それから真顔になって言った。
「いや、あれは単に断る為の方便だから」
「えぇー」
ショックを受けたようにコンはそう叫んだ。
そんな彼女に、与人は改めて確認する。
「大体お前、俺の命令なら何でも聞くつもりなのか?」
「えっ。は、はい、もちろんです」
一体、何を想像したのか。コンは顔を赤くして頷く。
だから、与人は言った。
「そうか。じゃあ、今すぐ帰れ」
「なっ、何ですか、いきなり」
「別にいきなりではないだろ。今までも散々言ってきたことじゃないか」
「それはそうですけど……」
コンにとっては予想外の命令だったらしい。反論に困っている様子だった。
それを見て、与人はたたみかけるように続ける。
「これまで色々身の回りの世話をしてもらったし、今日はイカサマにも協力してもらった。そろそろ恩返しは十分だろう」
「そ、そんなことないですよ」
「いや、あるだろ」
「ないです」
「あるだろ」
「ないです」
同じやりとりの繰り返しに、与人は「平行線だな……」と呟く。
このまま言い合いを続けても仕方ないだろう。そう考えて、与人は提案した。
「しょうがない。チョボイチで決めるか」
「え」
「お前が負けたらさっさと山に帰れ」
「ええっ」
コンは驚いたような嫌がるような顔をする。
しかし、一方だけがチップを賭けたのでは、対等なギャンブルにならないだろう。だから、与人は自分の分のチップもきちんと用意するつもりだった。
「逆に、俺が負けたらもう帰れって言うのはやめるよ。お前が満足いくまで恩返しを続ければいい」
「……それ、本当ですか?」
「ああ」
頷く与人。その点に関して嘘はなかった。
結局、負けるリスクよりも、勝った時のメリットの方が大きいと踏んだらしい。散々悩んだ末に、コンは覚悟を決めたように口を開いた。
「分かりました。その勝負受けます」
◇◇◇
「種目はチョボイチ。親は一回交代の廻り胴。お互いにチップ20枚でスタートして、先にゼロになった方の負け。変化を使うのは禁止。ルールはこれでいいな?」
そう確認を取る与人。これにコンが「はい」と答える。
こうして、恩返しの権利を賭けた、二人のチョボイチ勝負が始まったのだった。
まずは親決め。それぞれサイコロを振って、与人は2を、コンは4を出した。
「私の親からですね」
そう言うと、不慣れな手つきでコンは壺を振る。一応不正のないように、使うサイコロはカジノ用のクリアカラーのものである。
「はい、どうぞ」
「とりあえず、5に1枚」
勝負を焦る必要はない。まずは様子見から入るべきだろう。与人はそう考えたのだった。
賭けられたチップはたった1枚。親のコンが負けても4倍の4枚支払うだけである。
しかし、チップの多寡は関係ないらしい。彼女は緊張の面持ちで壺を開く。
その結果、サイコロの目は――
「やった!」
サイコロの目は6だった。手に入れたチップはやはりたった1枚だけなのだが、それでもコンは笑顔を浮かべて喜ぶ。
この通り、チョボイチは普通にやればほぼ運の勝負になる。だから、遊び慣れていないコンにも十分勝機はあるのだ。それが分かっているから、彼女も勝負を受けたに違いなかった。
また、運の勝負という意味では、有利な親から順番が始まったり、最初の勝負で勝ったりしたコンは、幸先のいいスタートを切ったと言えるだろう。
「次は、俺の番か」
先程の勝負で1枚減らして、所持するチップは19枚。まだまだ勝負は分からないが、できれば有利なこの親番で稼ぎたい。そんなことを考えながら、与人は壺を振った。
その様子を見て、コンは明らかに戸惑っていた。
「……与人様?」
「どうかしたか?」
「いえ、その……」
「何だよ。早く賭けろよ」
はっきりしないコンを、与人はそう急かす。
すると、彼女は最終確認のように尋ねてきた。
「い、いいんですね?」
「はぁ?」
与人が訳が分からないという顔をすると、ようやくコンは賭ける気になったようだ。出目を書いた紙の上に、重ねたチップを置く。
「じゃあ、1にチップ5枚で」
もしこれでコンが勝てば、与人が支払うチップは20枚。一方、与人が所持するチップは19枚しかない。だから、この勝負で決着がつくこともありえる。
しかし、コンが負ければ、早くも4分の1近いチップを失うことになる。まだ二戦目だというのに、大きな勝負に出たと言っていいだろう。
「お前、意外とギャンブラーだなぁ……」
「え、ええ、まぁ」
緊張を隠し切れない様子で、コンはそう相槌を打った。
だから、与人は勝負の前に一言声を掛ける。
「じゃあ、壺を開くぞ」
しかし、確かめるまでもなく、サイコロの目は明らかだった。
何故なら、振った壺からサイコロがはみ出してしまっていたからである。
そして、その目は勿論コンの賭けた1。
だから、与人はこう言うのだった。
「と、その前に、この看板の1を片づけて、と」
「えっ」
壺からはみ出していることに気づいていないと思っていたのだろう。与人がサイコロをどけると、コンは驚きの声を上げていた。
そんな彼女を無視して、与人は改めて壺を開く。
「壺の中のサイコロは……6だな。俺の勝ち」
そう言うと、与人はコンの賭けた5枚のチップを回収した。これで二人のチップは、与人が24枚、コンが16枚になった。
ようやく事態を理解したらしい。コンは声を荒げる。
「そ、そんなのイカサマじゃないですか!」
「転がってたサイコロを、お前が勝手に勝負に使うサイコロと勘違いしただけだろ」
「いや、でも……」
「サイコロが見えてるってお前が正直に言えば、俺だって壺の中にもあるって正直に答えたぞ」
与人はあたかもイカサマをしたのがコンであるかのように主張して、コンの反論を退けた。言い返されるのは分かっていたから、この程度の理論武装は前もってしてある。たとえ言い争いになったとしても負ける気がしなかった。
実際、コンはすぐに言葉に詰まってしまった。
「だっ、だって、負けたら帰らないといけないから」
しゃくりあげるような声で彼女は話を続ける。今にも泣き出しそうな雰囲気だった。
「だから、絶対に負けられないと思って……」
まさかコンをここまで追い詰めることになるとは思っていなかった。イカサマをした罪悪感が今になって与人に重くのしかかる。良心の呵責には、理論武装なんて何の役にも立たなかった。
「悪かったよ」
コンが本格的に泣く前に、与人はそう謝っていた。
「今の勝負は……いや、賭け自体なしにするか」
この提案を聞いて、コンはようやく顔を上げる。
「本当ですか?」
「言っとくけど、なしにするだけだからな。これからも帰れとは言うからな」
「分かりました!」
与人の提案はあくまで現状維持である。気が済むまで恩返しすることを認めたわけではない。しかし、にもかかわらずコンは泣き顔から一転して笑顔を浮かべていた。
これは絶対に分かっていないと、そう思いながら、与人はもうそれ以上訂正しようとはしなかった。
「とりあえず、夕飯にするか」
「はい。じゃあ、すぐに用意しますね!」




